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2020-12-01 | Blog, お知らせ, 俳句, 日記

十一月二十九日(日)、三十日(月) 待ちどほしアストロジーや十二月

iPadで絵を初めて描く子ども
さすがデジタルネイティヴはちがうねぇと、夫といっしょに唸る

十一月二十九日(日)

 まだ残る怠さ、腹痛のため、家でのんびりすることにする。

 また絵の練習。デジタル派の夫も、iPadを使いトレースで絵を描きはじめるが、当然のように「あーちゃんもやる!」となった。初デジタルでのペン入れだ。線を引くのがうまい。色塗りも嬉々としてやっていて、わたしは絵を描くといっても、コピー用紙にシャーペンでひたすら模写しているだけなので、だんだん羨ましくなってくる。むずかしいのではという思いこみから、敬遠していたが何だか楽しそう。試しに、ペンを借りると、思ったより繊細なタッチで線が引けた。楽しい。夫からまた借りる約束をする。

 お腹が痛いくせに、ミニストップのソフトクリームを食べようとするふたりが羨ましくなり、自分も食べたら案の定、悪化した。それからずっと床に転がっていた。

十一月三十日(月)

 ヒロアカ本誌を読む。ちょっと泣く。だれかに感動を伝えたくて仕方なくて、ヒロアカ用に作ったTwitterの別アカに、まとまりのない言葉をつぶやく。夫ともおおいに感想を喋り、ほんとうにヒロアカは面白いなぁ!と思う。

 午前中、家で夫とミーティング。仕事、あーちゃんのイベントなど共有しておきたい事項を話しあう。とはいえ、わたしの話すことは、今週は投句〆切がここだから、この日は夕飯をさぼりたいとか、今週末はしいたけ占い2021年上半期の、先行配信があるから楽しみやね!とか、その程度のこと。※タイトル註「アストロジー」は星占いのことです

 月曜正午に確認できる、青嵐俳談の結果はボツ。iPhoneのメモで管理している、投句一覧の今日のところにバツ印をつける。やっぱりゆるいよねぇと自句の反省。残念だな〜という気持ちは多少あるけれど、一覧にはまだ四週ぶんの結果待ちの句があって、そのことに励まされる。入選するのは簡単なことではない。それでも、行動することも勉強になっていたらいいな、と祈るみたいな気持ちで投稿している。

 関悦史さんと佐藤文香さんの俳句誌「翻車魚」vol.4が届く。宛名が達筆!

 夕飯はタコライスとブロッコリー蒸し焼き。食後、あーちゃんに「きめつのやいばようちえんごっこをしよう」と誘われるが、わたしは鬼役だった。かなり詳しくあらすじを話してくれて驚いたが、一歳年上で仲良しの○○ちゃんが教えてくれたとのこと。

 さいきんは寝落ちをあまりしない。でも眠くて眠くて、じゃあ寝たらいいのにという感じなのだが、起きていたくて起きている。今日こそは本を読もうと思い、塾の先生である鳥羽和久さんの『おやときどきこども』(ナナロク社)を手にとる。前著の『親子の手帖』(鳥影社)がとても良くて、新刊がでたら必ず読みたいと思っていたのに、読みはじめるのが遅くなった。なぜかというと、自分にとって厳しいことが書いてありそうだと思っていたからだった。その厳しさが必要だと思い、買っているのだけど。

 じっさい読んでいると、シリアスな描写もあるのだけれど、ふがいない親として耳が痛い、というよりは、自分はまだ子どもに近い目線で、怒られている気持ちを思いだしつつ読んでいるな、と気づく。素行がわるいなど、子どものころはほんとうによく怒られていた。

 すっかり(表向きは)大人であるいまも、俳句をはじめ勉強したいことは山積みだが、そこに向かってまっすぐ進めているわけではない。だらだらとTwitterを見たり、漫画ばかり読んでいる。俳句に限っていえば、いまは評価されることよりも、自分で自分の句をすきだと思いたい。そのほうが楽しいと思っているからだが、不勉強なままでは「すきかどうか」も判断できないかもしれない。だから、自分には勉強が必要なのだ……と、本の筋とはあまり関係のないところで、滾ってくる気持ちがあった。

 半分くらい読んだところで、眠さの限界がきて就寝。

 

2020-11-30 | Blog, お知らせ, 俳句

11/13付愛媛新聞「青嵐俳談」入選しました。

うろこ雲の出ている空
この写真を撮る、ほんの一瞬まえまで見事な桃色だったのに、すぐに墨を流したような空になっていた。秋の日は釣瓶落とし!

鱗雲もとは書店のフィットネス  ばんかおり

 11/13付愛媛新聞「青嵐俳談」森川大和選・入選をいただきました。久しぶりの掲載となりました。ありがとうございます!

 掲載ページはこちらです。

「鱗雲」は秋の季語。自分の住む地域の、この頃の風景を詠んだのが掲句です。チェーン店に多いかと思うのですが、気がつくと二階建て書店の上半分が、フィットネス(クラブ、ジムの意味合いで使ってます)になっている。実家の近くにあった書店も、一部分がコンビニになったりもしたのですが、ついには完全に閉店し、フィットネスに変わるべく工事をしている。

 これはけっして「いい、わるい」の話ではないです。地元の書店へも、さまざまに思い出はありつつ、自分が成長するにつれ、品揃えがわるいからとあまり利用しなくなったこともあり、複雑な気持ちがあります。知力が体力に負けているような寂しさも感じるけれど、そんな単純な話ではないかもしれない。それでも、やはり寂しい。この風景を見ると、いつも何ともいえない気持ちが湧きおこってきます。

 ほかの地域でもいま、おなじような風景が広がっているのでしょうか。

2020-11-29 | Blog, お知らせ, 俳句, 日記

十一月二十八日(土) 鯛焼を買ひにゆかうと泣く子ども

鯛焼きを空にかざしているところ

 朝、子どもといっしょにNetflixで、映画『魔法つかいプリキュア!奇跡の変身!キュアモフルン!』を観る。モフルン(喋るぬいぐるみで、いわゆる妖精の立ち位置)がプリキュアになるんや、ということは分かっていたので、あーちゃんは「いつなるの?」とばかり言っていた。演出がいいというのか、テンポがよくて面白い。洗濯を干す手がたびたび止まった。男の子のプリキュアなのかと思いきや、モフルンの性別は、モフルンらしい。まほプリ(と略すらしいと、今日知った)はアニメ版を観ていたが、まだ最後まで観られていない(HUGっと!プリキュアも)。俄然、続きが気になってくる。

「猫俳句大賞」への投句を完了。

「たいやきがたべたい」というあーちゃんを連れ、近所のホームセンターへ。先週末、もう夕食の時間かというときに、「いまからたいやきをたべにいく」と急に泣きだして、つぎのお休みに食べようね、と約束していたのだ。

 ペットコーナーでアロワナを見ていると、いつも必ず『FRIED DRAGON FISH』という映画のことを思いだす。結末だけをずっと記憶していることと、その内容を、近くにいる夫にぽつぽつと話す。わたしはいつも、意味のないことばかり喋っているなぁと思いながら。大きくて、赤みがかった尾をひらひらさせたアロワナの、二本生えたひげのようなぶぶんを一瞬、夫は水槽の上から撫でていた。

 屋台で買った鯛焼きを、あーちゃんは初めて一尾まるっと食べる。これ、お昼食べへんやろうなぁ、と思いつつすぐ、土曜やし、こんな日が一日くらいあってもいいか、と思う。ここの屋台の、醤油味のたこ焼きが好きで、来たらぜったい買ってしまう。わたしも鯛焼きを一尾食べ、あまり時間を置かず、たこ焼きも食べたら、お腹がぱんぱんになってしまった。やはり、あーちゃんもお昼をあまり食べない。

 アンパンマンを描いているあーちゃんの、小さなテーブルの片隅を借り、わたしも推し(ヒロアカの飯田くん)の絵を描く練習ができたし、鬼滅のアニメも二話観られたし、オタクの心が満たされた日であった。

今日読んだ本:『セレクション俳人11 田中裕明集』(邑書林)

 

 

 

2020-11-28 | Blog, お知らせ, 俳句, 日記

十一月二十七日(金) 風邪心地自分の歳を間違へる

机の上に置いた蜜柑

 夫の体調があまり良くなさそうで、朝に分担していること(子の着替えなど)を、わたしやろうか?と言うと、あーちゃんに「なんできょうはやさしいの?!」と聞かれる。いつもやさしいつもりなのになぁ。

 昨日、俳句がたくさんできたと喜んでいたのだが、一夜あけると、あれれ?という出来のものが多い。推敲したり、捨てたり。気がつくとヒロアカのことを考えている。こういうときは、俳句がぜんぜん作れなくなるのだった(ヒロアカ句をひっそりと作ってはいるけれど)。

 薬局に買出しへ行く。帰り際、あーちゃんのことをかわいがってくれていた店員さんから、「もう大きくなったでしょ? また一緒に来て!」と声をかけてもらえ、うれしい気持ちになる。

 夕食は子にリクエストされていたポトフ。ささっと作ってしまったあとは、お迎えまで日記を書いていた。ポトフは白菜がほぼメインなのだが、あーちゃんはあまり好きではないらしく、ソーセージばかり食べていた。

 記憶の実景をたどり、なんとか猫の句を思いつく。

今日読んだ本:坂口恭平『cook』(晶文社)

2020-11-27 | Blog, お知らせ, 俳句, 日記

十一月二十六日(木) 暮早し机上に積もる入門書

 朝、空に飛行機雲の航線が三本あることを、あーちゃんがうれしそうに見つける。

 幼稚園への送迎で毎日通る道も、景色は毎日ちがう。そう思うようになったのは、俳句のおかげだろうか。中央分離帯の草紅葉も、だんだんと枯れ木に近づいていく街路樹も、たぶん気がつけなかっただろう。

 俳句をよく思いつくのは、この園へ送っていくときの行き帰りで、今日もひとつタネのようなものが浮かぶ。それを手がかりに、ぽんぽんと何句かができて、うれしくなる。途方にくれていたふらんす堂の投句も、これでなんとかなるかもしれない。

 さいきん、木下龍也『天才による凡人のための短歌教室』(ナナロク社)を読んだ。勝手に俳句のことに、置き換えて読めたぶぶんもあって、面白かった。なかでも、ふっきれたような気持ちになれたのは、〈短歌についてではなく、まずは短歌を考える〉というところだ。

短歌を始めたばかりのあなたが考えるべきは、「短歌」であって「短歌について」ではないということ。いい歌とは何か、どうすれば他者の心を打つことができるか、それらはもちろん大事なことだが、考え始めたらキリがない。

「作歌を日課に。」-木下龍也『天才による凡人のための短歌教室』(ナナロク社)

 この日記のタイトルを俳句にしてみようと思ったとき、自分のすきな俳人が「わたしは俳句を日記とは思っていませんので……」と、言っていたなぁということが、頭をよぎった。でも、わたしはそこは考えなくていいのだと、乱暴なのかもしれないけれど、そう思った。俳句は日記じゃない面もあれば、日記である面もあるかも、しれない。俳句について、作っていればいやでも考えてしまうものだと思うが、一辺倒なものではないから、まだ初学者の手には負えないのだった。

公園の砂場に、おもちゃのスコップが落ちているところ

 おやつに大好物の「アクビ」のシュークリームを食べていたら、あっというまにお迎えの時間になってしまった。毎日おなじことを思っている。あっというまに、お迎えの時間が来る。もともと通う園のお迎え時間が遅めだったので、かなり助かっていたのだが、秋になった頃から、もっと早く迎えに来てほしいと言うようになった(理由は彼女なりにちゃんとある)。お迎え時に泣かれることがつづき、三十分以上お迎え時間を繰りあげたのだった。

今日読んだ本:堀越耕平『僕のヒーローアカデミア』25〜28巻(集英社)

ふと再読しはじめたら止まらず、頭がしびれたようになる。ヒロアカはやはり面白い。

2020-11-26 | Blog, お知らせ, 俳句, 日記

十一月二十五日(水) 三島忌にひとの抽斗開けたがる

 朝、幼稚園に行くぎりぎりの時間まで、あーちゃんはネットフリックスでプリキュアのオールスター系の映画を観ている。わたしもプリキュアのことは基本的に好きなので、つい惹きこまれる。プリキュアはあきらめない。

 身体のしんどさがまとめてやってきて、「面倒くさい」を連発する。面倒くさいから、味噌煮込みうどんに肉を入れるのをやめる。あーちゃんに頼まれていた、柿と林檎を剥いておくことは、夫がやってくれた。買いものも夫が行ってきてくれ、おやつに「雪見だいふく」を買ってきてくれた。怠い身体で食べるアイスクリームは美味しい。

 月末〆切の投句を二件済ませた。今月はあと、「猫俳句大賞」にも応募したいし(間に合うかな)、来月早々には(もう来週)ふらんす堂関連の〆切が立てつづけにあるのだった。ほんとうに?と、何回も手帳のページをじっと見る。

三島由紀夫の本が並んでいる、文庫本の棚

 今日が三島由紀夫の忌日だと知ってはいたが、没後五十年であることをTwitterで知る。二十代前半くらいがいちばん熱心に読んでいただろうか。耽美派の作品が好きだったが、最期はずっと理解しえないままだ。

 小学校の高学年くらいか、中学生だったか定かではないが、親戚の家で抽斗を勝手に開けたら(宝さがしでもしているつもりだった)、『仮面の告白』と『金閣寺』が入っていた。『仮面の告白』のほうを読んだが、当時はちっとも分からなかった。それが三島との出会いだった。

 いまの自分には、もう濃すぎるかもしれないと思う三島だが、いつか『豊饒の海』は読破したいなぁとずっと思っている。

2020-11-25 | Blog, お知らせ, 俳句, 日記

十一月二十四日(火) とりつみれくづれてふゆの鍋となる

 三連休がおわった。昼、めちゃくちゃ久しぶりに丸亀製麺へ夫と行く。空いている時間をねらって、早めに行ったのに混んでいてすこし驚いた。セルフサービスの葱を取ることを、なんとなくやめる。

 昨夜は腕の痛みが気になってきて眠れず、けっきょくロキソニンを飲んで寝たんやよね、という話を夫にしたら、「逆上がり禁止ね」と言われた。「急にする、ちょっとした動き」の危険性を説かれる。

 あーちゃんがいないことの解放感をあじわいつつ、一日というながい時間を、連休後すぐ幼稚園で過ごすことのできる彼女を、すごいと思う。さいきん、「なんでようちえんっていくの?」という質問をよくされるけれど、答えかたがむずかしい。そのつど応じてはいるものの、どこか釈然としないものを感じている。

 夕飯は簡単なものにしようと、鶏つみれの鍋をつくる。つみれの生地が柔らかすぎたのだろう。どんどん崩れて、出汁が白く濁ってしまったし、鍋底にも焦げついた(味は美味しかった)。鍋を煮ているあいだ、昨日の日記を書く。ほんとうは十月のことを、以前のように(『九月の日記』)書いておきたかったのだが、いま、記憶のあたらしいことを書かなければ、もう自分は日記を書かないかもしれない、という気がふとした。あたりまえすぎるのだけれど、頭のなかに書きたいことがあっても、書かれなかれば書いたことにならないのだ。書いてみて、やはり自分は「ただの日記」が好きなのだ、と思う。更新後、太田うさぎ『句集 また明日』(左右社)を読む。再読だが、胸が苦しくなるほど、好きな句ばかりである。

子どもが粘土でつくった猫など

 幼稚園から帰ってきたあとは、粘土あそびをすると決めていたあーちゃん。もくもくと型抜きをしては、型をとったあとの、へろへろした粘土のほうを見せてくれた。たしかに切り口が、きれいである。ひとまとめにして片づけるのを嫌がったので、できあがったものを夫がタッパーに入れていた。

 ふたりのお風呂を待っているあいだ、『名句に学ぶ俳句の骨法 (上)』(角川選書)を読む。

2020-11-24 | Blog, お知らせ, 日記

十一月二十三日(月)逆上がり禁止勤労感謝の日

公園にあった、一枚だけ紅くなっている紅葉

 起きたときから怠く、風邪がぶりかえしたような感じ。年賀状用の写真を撮りに、先週初めて行った公園(敷地がだだっ広く、写りこむ電線や建物がない!)へ再び行く予定だったが、変更して近所の公園(通称 : おうまちゃん)へ。

「さつえいはいや。みられるとはずかしいから!」というあーちゃんに、誰もいないよ〜と来たおうまちゃんだったが、思いのほか人がいた。二台設置されたブランコで、隣同士で遊んでいた親子のおかあさんと、「いつもここ、誰もいませんよね」「連休のさいごだから、みんなもう行くとこないんですよ」と会話する。

銀杏を持って、父に駆け寄る子ども

 幼稚園の授業では鉄棒があり、あーちゃんは逆上がりが怖いとよく言っているのだが、おうまちゃんの鉄棒で練習するという。ひょっとして、かあちゃんできるかも、と言えばもちろん「やってみて」とせがまれて、最後にいつしたかも憶えているわけのない、逆上がりを一回する。被っていたベレー帽が、まっすぐ落下した。案外できるものだ、と調子にのったのも束の間、腕が、肩が、痛みだす。そりゃそうだ。ふだんから身体をほとんど動かしてないし、体調もわるいのに。

子どもが、ねるねるねるねを食べていたところ。

 家にいると、あーちゃんは無限になにか食べようとする。夏ごろに買ってあった「ねるねるねるね」(ぶどう味)を、やっと開封。これを買った際に「ねるねるねるねは七文字!」と、よろこびいさんで俳句をつくったことを思いだし、あれこそが初期衝動だったのだ、と思う。でもべつに、まだ初期衝動でもいいのだよ、とも思う。あーちゃんから、ひと口貰ったねるねるねるねは、めちゃくちゃ酸っぱかった。

 夜になるにつれ、腕がどんどん痛くなってくる。本を読みながら、兼題のある投稿や、ネット句会に向けて作句。いつもより進んだ気がする。

読みおわった本 : 「角川俳句」2020年2月号

✳︎ 日記のタイトルを俳句にする試みをしてみます(いつまでつづくかは謎ですが……)。 本日は「勤労感謝の日」が冬の季語になっています

2020-11-18 | Blog, お知らせ, 俳句

「小説 野性時代」12月号「野性俳壇」佳作をいただきました。

クリスマスツリーの天辺に飾る星
わが家にある、ツリーの全長にたいして、大きすぎる天辺の星

しんしんとクロノスタシスして聖夜  かおり

 文芸誌「小説 野性時代」十二月号の俳句コーナー「野性俳壇」にて、長嶋有選・佳作をいただきました。兼題(あらかじめ出されたお題)は、冬の季語「クリスマス」でした。ありがとうございました!

 簡単に語句の説明です。「聖夜」が兼題「クリスマス」の傍題(クリスマスがメインだとしたら、そのサブ的な仲間の季語です)で、クリスマス・イヴにあたります。

「クロノスタシス」は時計の秒針が止まって見える現象のこと。

「野性俳壇」には以前、選外佳作として名前が掲載されたことがありましたが、自句の掲載は初めてでした。投稿の三ヶ月後に結果がでるからか、兼題の季節が前倒し気味なため(たしか八月ごろにクリスマス! )、難しさを感じていたので嬉しい……。季語が含んでいるものを、自分がちゃんと掴めているのかどうかは今後も課題です。


 過去の日記にも書いたことがあるのですが、もともと長嶋さんの小説ファンだったわたしは、ご本人に会える! ということもあり「飛騨マッハ」へ行ったのでした。そこで人生初句集『春のお辞儀』(ふらんす堂、現在は書肆侃侃房より新装版が販売中)を買ったわたしにとって、長嶋さんは俳句の「親鳥」のようなもの。採っていただけ、ほんとうに感激でした。

初版『春のお辞儀』
活版印刷でつくられた初版の『春のお辞儀』は、関わられているかたがめちゃ豪華な「しおり」付き。こちらも面白くて何回も読み返しています

 そういえば、「野性俳壇」が開始してすぐ(二〇一七年からみたいですね)、長嶋さん読んで欲しさに、二回ほど投句をしたことがありました。その頃は俳句のことをわかっていなくて、何もかんがえず無季の句を出していたような……。当然のように掲載はされず、自分に俳句は無理かもなぁ、なんてすぐ止めてしまっていたのです。

 そんな自分が、俳句にはまって投稿をどうにか続けていられるのは、句会をともにしている仲間がいるからかもしれないな、と思います。わたしにとってはですが、ひとりで続けるには、俳句は難しい文芸でした。結社に入ってみたかったのも、自然に仲間を求めて、という気持ちがあった気がします。今回は、そんなきっかけをくれた知人たちと一緒の掲載でもあり、喜びもまたひとしおでした。

(ばんかおり)

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