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2021-03-02 | Blog, お知らせ

『どこにもいかない、ここにある』の「あとがき」を公開します。

室内で一人ジャンプしている子供
本書の口絵(じっさいは白黒ですが)に掲載している写真です。2歳ごろのあーちゃん

 

 前回のブログでもお伝えしましたが、発行から1年が経過した『どこある』の「あとがき」を公開いたします。

 かなり修正や加筆をおこなったものの、もとはブログに掲載していた文章なので(初出のブログは現在閉鎖し、こちらに過去の日記を移行予定です)、本書のなかで唯一の書き下ろしといえる部分が「あとがき」でした。読んでくださる方へ、お手紙のような気持ちで書いたことを憶えています。

 そして、なんだか長くなってしまったタイトルについて、これまであまり聞かれることがなかったのですが……理由なども書いています。すこしでも、本書に興味をもっていただける、機会になればうれしいです。


 

あとがき

 本書は二〇一八年六月から始めた、地方で夫と幼い娘と暮らす何者でもない(としか言いようのない)著者による、たわいもない日々をつづったブログのちょうど一年ぶんを、加筆修正してまとめたものです。

 一年というのは長いのか短いのか。三歳になった娘との生活も、あっという間に過ぎていきます。いとしくも不明瞭な言葉たち、ずっとつづくように思えた不条理な習慣のほとんどは、すでに消えてしまいました。誰もいない公園にも久しく行けておらず、だから娘に関することはぜんぶ、書いておいてよかったと思えることばかりです。

 そんな成長のいっぽうで、わたしも変わっていったことがあります。スピ的なものから関心がはなれていく(もう月の満ち欠けは気になりません)等、好きな人やものごとに依ろうとする気持ちが、だんだんなくなっていったのです。産後ずっと不安にさいなまれ、何かにすがりたかった自分にとって、このことはとても大きな変化でした。

 日記はすべてが過去のこと。読み返していると、恥ずかしくなってきたり、そんな自分と対話したくなったりして、なかなか先へと進みません。本書のタイトルは、まだブログを始めて間もない頃の日記にあった、〈日記に書かなかった日は、どこにいってしまうのかな、と思うときもある〉という文章に対して、いまの自分から出てきた言葉です。

 嬉しかったことも疲れたことも、どれも平たく見つめたかった。日記というかたちで、それを重ねていくことで〈ただ、生活がある〉ということが、やっとわかった気がします。そこには、うっすら諦念もあるかもしれませんが、わたしは生活をいとしいと思えるようになってきました。大丈夫と大丈夫じゃないのあわいで揺れながら、目の前にはいつだって、これまでの日々からなる「いま」があります。

 ブログを「読んでいるよ」と声をかけてくださった方、声をかけずとも読んでくださる方も、ほんとうにありがとうございました。みなさんとのやりとりに、何度も支えられてきました。この日記をとおして出会えた方がいることも、とても嬉しく思っています。

 装丁は夫の堀口ともひとが担当し、カバー挿画は娘が描いた絵を使わせてもらいました。わたしの生活の主要メンバーであるふたりに、心から感謝します。

 そして、本書を手にとってくださった方へ、ほんとうにありがとうございました。ブログの更新はさいきん滞りがちですが、生活がつづくかぎり、日記もまた、つづいていくはずです。どこかできっと、お目にかかれますように。

 二〇一九年十二月 ばんかおり

2021-02-26 | Blog, お知らせ

『どこにもいかない、ここにある』発行から1年経ちました。〜 ふりかえり編 〜

子供と通っていた、公園のベンチに置いた本『どこにもいかない、ここにある』
リアル「おうまちゃん」のベンチにて。呼びかたはいまでも変わっていません

 子育てが中心だった生活のあいまに、ブログで綴っていた日記をまとめた『どこにもいかない、ここにある』(自分で勝手に略して、” どこある “と呼んでいます)を発行し、先月で1年が経ちました。

 あっというまのようにも、なんだかとても遠くのことのようにも思えてしまうのは、昨年からのコロナあれこれがあったり、日記に書かれていることじたいが二年以上もまえのことだったりするからですが……。それでも、とくに何者でもない自分(あとがきにもそう書いています)が本をつくり、必要としてくださる方のもとへお届けできたことは、ほんとうに奇跡のような体験で、わたしはそのことに支えられていると感じることが、いまでも日々のなかでよくあります。

『どこある』は、東京の書店「双子のライオン堂」さんと「H.A.B」さん(現在はオンラインストアのみ営業されています)、オープン間近だった日記の専門店「月日」さんの合同企画で開かれた、日記本の展示に参加したい! という気持ちにぐいぐいと背中を押され、はじめて作ったzine(個人で出版する本のこと)です。なんとか参加が叶った期間中は、友人をはじめ多くの方に手に取っていただけうれしかったです。ほんとうにありがとうございました! 本書はイベント終了後も、「月日」さんでお取扱いいただいています。

 また同時に、自分でも本を販売できたらと、それまで個人的な制作を手伝ってくれていた夫といっしょに、このサイトをはじめました(在庫僅少ではありますが、現在もオンラインストアで販売中)。「堀口文庫」は、出版レーベルというとすこし大げさですが、お互いのすきなことをやっていこうという、ゆるやかで雑多なところもあるユニットです。

取扱店舗さんですが、今年6月ごろまでの期間限定で「七月堂古書部」さんのオンラインストアでもお取り扱いいただいています! 近代詩伝道師のPippoさんが『どこある』を読んでくださり、イベントにてご自身のおすすめ本に選んでいただいたご縁です。詩に関する本が充実していますよ〜! わたしもオンラインストアでよくzineを購入してました。

 昨年はみなさんも、ほんとうに大変だったと思うのですが、やはりわたしも思うようにはいかなくて、「堀口文庫」の活動ものんびりしたものになりました。東京でのイベント以降は、夫婦ともに仲よくさせていただいている、岐阜市長良の「トロンチ」さんでサイン会を開催させていただきましたが、時期としてはぎりぎりでした。 久しぶりの再会もあってうれしかったなぁ。

ブログ記事 : なつかしい写真がちらほら「3/21【即売&サイン会】| TRONCHIにて開催!」、開催後レポート「【即売&サイン会】ありがとうございました!

 

 緊急事態宣言が発令され、幼稚園が休園になった娘とずっと家にいた三ヶ月間は、まるで『どこある』に書かれているようなドタバタや、じわじわした焦りが戻ってきたような毎日でした。正直、いろんなことが「わからない」と感じる日々。育児に悩みまくっていた過去の自分より、すこしは進化できたような気持ちになっていたけれど、それはただ、幼稚園というシステムのおかげだったのかもしれない、脆いものだったと思えてきたりしました。

 

 やはり、いちばん感激したのは、手に取ってくださった方からご感想をいただいたことです。自分のために書きはじめた日記は、当初そのつもりはなくても、どうしても育児日記になっていったり、内心は憧れていた読書日記を書いてみたかったけれど、そうなりきることも全然できなかったりと、ジャンルを形容しがたいところがあります。それでも、本にしようと思えたのは、ブログ時代からご感想をいただいていたことが、心の支えになっていたからでした。

 手書きでのお手紙やSNSでの投稿、メールでのご感想を読ませていただくたび、つらかった日々が救われていくような、そんな気持ちになり、胸が熱くなったことを思いだします。わたし自身、もともと人見知りなところがあり、感想を伝えることは得意なほうではなかったのですが、この経験を機に「すき」と思ったことは著者の方に伝えたい! と思うようになりました(まだ自分は伝え足りないなぁ、と思うことも多々ありますが)。ごいっしょに、娘の ” あーちゃん ” を見守ってくださったみなさま、ほんとうにありがとうございました。

 なかでも、夜泣きについて書いたこと(そのつど、ある食べ物を与えていたこと)のご感想をよくいただきました。 わたしたちも、いまは思い出として笑っています……! 子育てをしている方に共感したと言っていただけるのはもちろん、お子さんのいらっしゃらない方にもたのしんでいただけたことも、ほんとうにうれしいことでした。個人的には、さんざん挫折したりさぼったりしていた、会社員時代のことを書いた日記、現在の自分にちかいと思える、いちばん最後の頁に掲載した日記が気にいっています。

 俳句という形式にも出会い、以前よりも創作と向きあえるようになったいま、自身も変わりつづけていますが、わたしは『どこある』で書いた日々のつづきにいます(変わっていないのは、いまだにママ友がいないこと)。だらだらと1年間をふりかえってまいりましたが、次回は本書タイトルの由来にも触れている、「あとがき」を掲載予定です。もうしばらく、おつきあいいただけるとうれしいです!

(ばんかおり)

2021-02-22 | Blog, お知らせ, 俳句

「世界」1月号「岩波俳句」に入選しました。

ふつきんのない幼子や秋日和  かおり

「世界」1月号(岩波書店、2020年12月発売)掲載「岩波俳句」にて、池田澄子さん選・佳作をいただきました。ありがとうございました!

 季語は「秋日和」で、よく晴れた秋の1日のこと。「ふつきん」は腹筋(旧かな遣いでは「っ」など促音は大きく表記します)。

 3歳ごろの娘を見ていて思いついたので、前回の入選作と同様、家族の句ともいえますが、きっと幼子はみんな腹筋がないのだろうな……(かわいい……)と思ったとき、なぜか運動会のイメージが浮かんだため、秋の句になりました。だから、吾子俳句(自分の子を詠んだ句をそう言ったりします)というよりは、吾子を含む幼子ぜんぶを詠みたかったのかな、と思います。澄子さんはよく、ご自身が書かれる「わたし」は万物のひとつと言われていますが、そのことをふと思いだしました。

 わたしは俳句歴が1年になるまでは、旧かなで有季定型、文語で句を作ろうと思っています(と書きながら、1年でこの型が身につくかというと微妙な気も……)。文語については、作りながら文法の勉強をしていることや、また口語表現も好きだな、と感じることも多々あって、曖昧になりがちなのですが……! 旧かなは単に見た目に、魅力を感じているところがあります。

 久しぶりのブログ更新になりました。さいきんは句が足りない…!と思うことも多くなり、俳句の投稿じたいあまりできていないのですが、入選句の記録、ぽつりぽつりと続きます。

アスファルトの地面に転がっている子ども

2021-01-16 | Blog, お知らせ, 日記

二〇二〇年 十二月二十二日(火)

カラオケルームの室内。壁には、カラオケの画面が映されている

 夫といっしょにカラオケへ行く。今年はお互いにやりたいことをやろうと、「堀口文庫」というレーベルをふたりで始めた年だったので、いちおう忘年会という名目である。行って大丈夫かな?という気持ちもあったけれど、平日の午前中、家族だし、ひとりカラオケとほぼ変わらないのでは?と思い、行った。いまや夫は、貴重な遊び相手となっている。

 受付にはわたしたち以外、客はおらず、廊下には女性の声が響いていた。アニソンばかり歌う自分の声も、こうやって聞こえているだろうことが、いつも一瞬照れくさい気持ちになるが、部屋に入るとすぐ忘れる。ふたりなのに、めちゃくちゃ広い部屋だった。

 いつぶりのカラオケだろうか。いつの季節か思いだせないけれど、わたしは名古屋で親友としているのが、もう二年ちかくは前。夫は会社員だったとき、飲み会の二次会で行ったことがあるらしい。でも、体感としては、めちゃくちゃ久しぶりだった。ヒロアカ関連が多いが、それぞれ歌い歌をまずはがつがつ歌う。わたしはかかんにも、うろ覚えの「紅蓮華」を歌う(ぐれんげ、と読むと知ったのは、つい最近のこと)。お互い、ぜんぜん歌えない。声を出そうとすると、喉がぎゅうと絞られているようで、高い音がぜんぜん出ないのだ。「LOST IN PARADISE」も難しくて、ぜんぜん歌えなかった。

 歌えないなぁと思いながら、これまでよく歌ってきた歌(YUKIちゃんや、十八番の『風のノー・リプライ』)を入れてみると、これは難なく歌える。夫も同様だった。声の質が合っているのだと思うが、こういった自分にとって帰る場所のような歌を歌ってから、新しめの歌を歌ったほうがいいんじゃない?というのが、今日のわれわれの結論だった。そういえば、好きな歌と得意な歌は違うって、和山やま『カラオケ行こ!』でも言っていた。

 二時間滞在したが、帰宅後はずっと台所の床でへたりこんでいたくらい、疲れていた。カラオケって、けっこう体力を消耗する。いや、自分の体力がどんどん低下しているのだ。それでも、まだ歌い足りないような気持ちがあった。新年会しようと夫を誘う。来年は体力をつける。娘のお迎えの時間が来るまで、ずっとぼんやりしていた。

2021-01-06 | Blog, お知らせ, 雑記

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2020-12-13 | Blog, お知らせ, 俳句, 日記

十二月十日(木)、十一日(金) 暮早し棚から本の溢れたる

夕方頃の長良川付近

十二月十日(木)

 園行事の影響で、今日の送迎はいつもと違うパターン。でもわたしは間違えない。お便りを読んで不安だった箇所は、事前に先生に聞いたからだ。今回は素直に聞けてよかったと思う。送った先で、あーちゃんは昨年の担任の先生に会え、うれしそうにもじもじしていた。

 午前中は夫といっしょに万代書店へ、ヒロアカグッズを探しにいく。いわゆるリサイクルショップだ。随分まえに友人と、ここに来たことが数回あるのだが、何が目的だったか全く思いだせない。それは夫も同様で、懐かしさというか若干の恥ずかしさに、ふたりしてにやにやしていた。昨日行ったブックオフでは、タイトルごとにグッズが並んでいたが、こちらではごちゃ混ぜになっている。そのなかから夫が見つけだしてくれた、飯田くんのアクリルスタンド(ハロウィンver.)を購入。

 帰り道、書店に立ち寄る。毎月投稿している「野性俳壇」を確認したかったのだ。結果はボツ。兼題は「日短」で、わりあい作りやすいと思っていたので、そうか……と思う。ここのところ勉強不足を痛感している。なんとなく、これまで生きてきたぶんの蓄積(語彙とかの)は、いよいよ空になったぞ、という感じがするのだ。足りていないからと、本棚に入りきらないくらいに本を増やしながら、わたしはアニメばかり観ている。

 夕飯は豚肉のしょうが焼きと味噌汁(残り)。

 お風呂であーちゃんといっしょに「ヒーリングっどプリキュア!」の主題歌を歌う。さいきんはあまり観られてないが、歌えるものだな、と思う。あーちゃんは「ふ〜うってとこ、うたう!」と言って、合いの手?を入れてくれた。楽しかった。頭がふらふらで、早めに就寝。

十二月十一日(金)

 朝、園への送りから帰宅すると、駐車場に大きなトラックがいた。入ることができず、とりあえず安全な場所に停車して、夫にその旨をLINEする。もう大丈夫かな、と思いふたたび駐車場に近づくと、まだ待っとれ、という身振りの夫。ちょうどトラックが出ていくところだった。ありがとう〜もしや、何かひとこと言ってくれた?とか思っていたら、たまたまだったようだ。帰宅して、着ていたパーカーをさっと脱いだ夫は、上半身裸だったので驚いた。裸で筋トレしていたところだったらしい。

 洗濯時のアニメ、今日は呪術廻戦。つづきが気になりすぎて。

 午後は外出する予定があったので、午前のうちに夕飯をつくる。具材に何の捻りもないカレー。じゃがいもは大きめに切る。

 出かけたのは、岐阜駅前にある「アニメイト」だった。生まれて初めて行った。もちろん夫もいっしょだ。今日もふたりしてにやけていた。でも、思ったよりヒロアカグッズは少なくて、来年は増えるかもね〜と言い合いながら、すぐ店を出た。そういえば、呪術の呪の字もなかったけれど、見つけられなかっただけだろうか。すこし拍子抜けしたまま、駅内にあるミスドでドーナツをテイクアウトして帰る。

❇︎タイトル註:冬の季語「暮早し」。冬の日の暮れが早いこと。

 

2020-12-10 | Blog, お知らせ, 俳句, 日記

十二月八日(火)、九日(水) 小春日のプリンの揺れの余韻かな

公園で見つけた葉牡丹

十二月八日(火)

 スーパーやドラッグストアへ、買出しに出かけるだけで午前中は終わる。娘から買ってきて、と言われていたプッチンプリン、牧場ヨーグルトのいちご味、りんごジュース。娘がプッチンプリンを楽しそうにプッチンする瞬間を、毎回新鮮な気持ちで見ている。自分が幼い頃はそれこそ、このプリンを食べまくっていたけれど、ちゃんとプッチンしていた記憶はほとんどない。

 午前中に二話だけ、ハイキューを観ることがすっかり日課になった。こんなすごい漫画ばかり連載していた(いる)ジャンプって、やはり化物のようにも思えてくる。注文していたヒロアカのグッズが届いた。飯田くんのステッカーをさっそく、意気揚々と来年の手帳に貼る。

 夕飯は味噌煮込みうどん。昨日の豚汁につづき味噌味だが、食べたくなったので。同じ味つづいてもいいの?と夫に聞くと、いつも「(前日に食べたものを)憶えてないから」、大丈夫だと言うのだった。夜は日記をだらだらと書く。

十二月九日(水)

 朝、免許証の更新のため夫が不在。家にひとりでいる時間が、ほんとうに少なくなったので、妙な解放感をかんじる。洗濯の間だけだからと、ハイキューに呪術まで観たところで(もう洗濯は終わっている)、夫が帰ってきた。ハイキューはおそらく一期の前半が終了したところ。毎回鼻をつんとさせながら観ているけれど、めちゃくちゃよかった……。

 大切な投句をぶじ済ませる。なんと、池田澄子さんと榮猿丸さんに、句の評がしてもらえる句会に参加するのだ。一句だけなのだが、直前になり二句の間で迷いだし、ついに自分ではわからなくなり「どっちがいいと思う!?」と夫に相談するなどした。投句をしたあと、なんだかほっとして夫と連れだち、マクドナルドでグラコロバーガーとポテトフライを食べた。

 幼稚園から帰宅した娘と、夫のこれまでの免許証(十八歳のときからぜんぶ取ってある)をいっしょに見て、おおいに盛りあがる。

 夕飯は、腹痛でふらふらになりながら塩鯖を焼き、冷蔵庫の野菜室で忘れていた長芋を焼いて、醤油をじゅっとしたのに、なめこの味噌汁。今夜は日記を書く気がおこらず、はやく寝ればいいのにyoutubeでずっと、呪術のOPとEDテーマの動画を観つづけていた。EDテーマがおしゃれすぎて衝撃を受けたので、思わず夫にも観せる。

2020-12-08 | Blog, お知らせ, 俳句, 日記

十二月七日(月) ネタバレはしてませんから日短

助手席に置かれた少年ジャンプ
表紙絵がポップでおしゃれ

 なんだか朝からふわふわとしていた。わたしと夫は揃って、フードコートでミスドのエンゼルフレンチを食べていた。まだ開店して間もないイオンはひとが少なかった。無印で子ども服を買うなど、用事を済ませてから、またフードコートに戻る。スガキヤでわたしはピリ辛ネギ、夫は特製ラーメンを食べて家へ帰った。

 気持ちが落ち着かなかったのは、「週刊ジャンプ」を電子で読むか紙で買うか、迷っていたからである。電子派の夫に追随して、普段ほとんどの漫画はiPhoneで読んでいたが、今日発売の号はヒロアカが表紙&巻頭。しかも人気投票の発表があり、口絵というのかポスターの画像がTwitterでふと流れてきたのを見て、紙で買おうと思う。

 推しがまさかの上位だった。ヒロアカの世界には、ヒーローランキングというものがあり、それすらなくてもいいのではと思っているくらいだから(皆それぞれの個性を生かしている様が素晴らしいから、順位づけのない未来があってもいいと思う)、人気投票というものじたい、よくわかっていなかったのに……。そうか、先生の描く新しい推しの姿が見られるという、喜びがあるのだな。

 いざ、コンビニに生まれて初めてジャンプを買いにいこうと思うと、急に恥ずかしさに襲われた。まさか、自分がこんなにも少年漫画にはまるなんて、みたいな気持ち。これまでジャンプに持っていた、あまりよくない固定観念とか。思わず夫に、ちょっと、ついてきてよとお願いするが、ついてきてはくれなかった。わたしはただ楽しいのだ。すきなものをすきだと思っていることが。小学生の頃は『ぼくの地球を守って』、中学生の頃は『風と木の詩』にはまっていたときは、それをだれかに伝える発想がなかったことを、思いだす。

 セブンイレブンでジャンプと、ついでにスイートポテト二個をレジに出したときは、恥ずかしい気持ちなんてみじんもなかった。ざらざらとして、細かいところはつぶれてしまっている(登場人物が食べているお菓子の袋とか)本誌で読むヒロアカの最新回は、めちゃくちゃ面白かった。

 ふわふわとしているまま、お迎えの時間が来てしまう。夕飯は豚汁の残り。娘と夫がお風呂に入っているあいだに、『呪術廻戦』のアニメを一話だけ見る。オープニングの曲がおしゃれで気になった。

2020-12-08 | Blog, お知らせ, 俳句, 日記

十二月五日(土)、六日(日) 寒林や公園の父皆眼鏡

十二月五日(土)

実家のツリー
実家にはタカラジェンヌの生写真と、ファンシーグッズがたくさん飾られている

 所用で実家へ。門扉の横に植えられている山茶花が満開だった。もうずっとここに山茶花はあったはずなのに、ここにこんな花あったけ?という気持ちになる。はじめて見たような鮮やかさ。

 あーちゃんは母といっしょにツリーを飾っていた。わたしが子どもの頃からある何も特別ではないツリーは、気がつけばあーちゃんよりもすっかり小さい。オーナメントは、もとからあるものに加え、母がどんどん追加していくので混沌としている。いや、実家じたいが、置いてあるものも色彩もすべてが混沌としているのだ。わたしはその風景に、さいきん妙な安心感を覚えはじめている。

 電源の入っていない炬燵に入り、家から持ってきた句集や歳時記をもくもくと読む。今日はオンラインで結社のイベントがあったのだが、まだ体調がおもわしくなく欠席することにした。今月は定例句会も欠席しているので、もくもくと自主練をイメージする。

十二月六日(日)

公園の落ち葉の絨毯でダッシュする子ども

 洗濯をしていたら、昨日は着ていない幼稚園のシャツや、下着などを二枚ずつ洗っていたことに気づく。昨日の洗濯で洗って干したはずなのに……?洗ったものを干さずに置きっぱなしにしていたのか、そもそも洗っていなかったのかも、よくわからない。われながら、そんなこと気づかないなんてある?と思うけど、今日はトップスを前後ろ逆で一日中着ていたし、とにかくぼんやりしているので自信はない。

「にちようびにいく」と、あーちゃんが言いはっていたN公園へ。ここはおうまちゃんとは比べものにはならない広さ。大きな木もところどころにあって、目にも楽しい場所だ。遊具もわりと充実しているのだが、娘のお目当てはすべり台である。すこし早めに着いたからか、そんなに混んでいない。おとうさんが子どもを連れてきているのがほとんどで、しかもみんな眼鏡をしている。

 らせん状の黄色いすべり台(あーちゃんは『ソフトクリーム』と呼ぶ)を、何回も滑る。夫といっしょに滑りたがるから、それを見ているだけのわたしはちょっと暇だった。夫を見ながら、「親だ、親だなぁ」と思う。そして頭のなかでは、まだ完成していない俳句のことを、こねくりまわしていた。おなじ遊具で遊んでいるほかの子どもたちは、しだいに興味をべつの遊具にうつしていくが、あーちゃんはずっとすべり台をすべっている。こういうとき、いつも彼女の粘りづよさに感心する。

 夕飯は豚汁。あると思っていた油揚げが、冷蔵庫になかった。やはりぼんやりしている。

 寝かしつけたあとは、昨日届いた岸本佐知子の新刊『死ぬまでに行きたい海』(スイッチ・パブリッシング)を、数章だけ読む。やはり面白い。雑誌「MONKY」の連載で読んでいた部分だったけれども、初読の衝撃もよみがえりつつ、ほんとうにすばらしい文章だと思いながら読んだ。

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