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2021-03-27 | Blog, お知らせ, 俳句

ヒロアカ俳句② | 僕は委員長(連作十作)

花の兄だけを真つ直ぐ見てゐたり

悪役の腕すばやき捩菖蒲(ねぢあやめ)

若葉風駆けだす脚の翼めく

路地裏の誘蛾灯射る傷の色

明易きしつかりしろよ委員長

鉄線花腕に残したままでゆく

長き夜に一人称の揺らぎ合ふ

曲がること知らない花の弟よ

エンジンの音やさやかにすれ違ふ

天高し名背負ひてなほ少年は


 ついに今日から始まりますね、ヒロアカアニメ5期! 今週のジャンプ本誌では、ファンの心を揺るがす展開がありましたが……(本誌派のかたたち、みんな元気ですか……?)、とてもたのしみにしていたアニメといっしょに、今後もヒロアカを応援したいと思っています!

 前回「ヒロアカ俳句①」では、また時系列に沿っていくと書いたのですが、今回はひとりのキャラクターに焦点を当て、連作を作ってみました。この頃、いろんなかたの二次創作俳句や短歌を読んでいて、そういう作りかたもあるのだなぁと、自分でも挑んでみたくなったのです。

 さて、今回テーマにしたのは「飯田天哉」です。彼は主人公の友だちで、真面目な学級委員長。「ヒロアカ俳句①」では、〈ひこばえや大丈夫てふ委員長〉が飯田くんをイメージした句でした。

 コミカルタッチであることも多い人物ですが、わたしは初期からずっと彼に心を掴まれてきました。アニメ5期で描かれるのは、すでに飯田くんが成長した姿だと思っていて、この連作では成長するまでを描いてみたかったしだいです。

 原作を知らないかたにも、たのしんでいただけたらうれしいです。 ご感想等もしあれば、ぜひ教えてくださいませ!

 

2021-03-20 | Blog, お知らせ, 日記, 書評

二〇二一年三月十八日(木)

乗代雄介『旅する練習』の書影

 乗代雄介『旅する練習』(講談社)を読みおえ、しばし茫然とする。

 どれだけ夫に環境を整えられても、けっきょくストーブのまえに座りこみ本を読むことをやめられない(すぐ腰がやばくなる)。このときも、わたしは床でストーブの熱に焼かれていた。頭上にある椅子に座った子どもの背中をちらちらと見あげては、叫びだしたい気持ちを抑えながら、ゆっくり息を吐きだしていた。

 一昨日から風邪の症状があり、まだ微熱があった昨日から本書を読みはじめた。体調がわるいとよけいに、文字を目で追いかけたくなって、やっと読みたかった本を手にとったのだった。このところ句集ばかり読んでいたから、久しぶりの小説だ。今日は園が午前保育だったため、昼から子どもが居たけれど、夕飯を簡単なものにしたので、本を読むチャンスが思いのほかあった。

 物語は昨年の三月あたま、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、学校が臨時休校になった頃から始まる。サッカーがとてもすきで上手く、強豪校への中学受験に成功した亜美と、近所に住む小説家の叔父で語り手の〈私〉は当初、鹿島アントラーズのホームゲームを観にいくついでに、以前亜美が鹿島にある合宿所の本棚から、持ち帰ってしまった本を返しにいくという計画を立てていたが、やむなく中止になる。そこでふたりは〈私〉の提案により、千葉の手賀沼から鹿島のある茨城まで、利根川沿いを歩いて目指すことを決める。

 面白いのはただ歩くのではなく、亜美は堤防沿いをドリブルしながら進み(すごい!)、ときおり〈私〉は立ち止まり、目にした鳥や花などの風景をノートに描写する(そのあいだ、亜美はリフティングしている)ことだ。ふたりにとって、それはお互いにふだん行っていることの練習であり、亜美はこの旅を「練習の旅」だという。風景を描写することについて、それ自体が小説なのだと、保坂和志さんが言っていたような、ということがふと思いだされる。〈私〉と似たことを酉島伝法さんがしていた気がすると、読みながら思っていたけれど、作者の乗代さん自身がしていることだと後から気づく(また、このことについては後述します)。

 ふたりの旅には途中から、大学四年生のみどりさんが加わる。本書は亜美がとても明るく、読んでいるとこちらまで元気になってくるのだが、自分に自信がないというみどりさんのこともわたしはすきだ。彼女はある細やかな理由から、ジーコのファンなのだが、そういうことってありそうだ、と思わされる。推しと出会うということは、そんな些細な瞬間なのかもしれない。関東圏の地理やサッカー、たびたび話題にのぼるアニメ「おジャ魔女どれみ」。どれにもわたし自身はあかるくないのだが、それでも本書を面白く読むことができた。〈私〉がこの旅のさいごに行う風景描写の練習、とりわけ美しい場面に、わたしはずっと心を掴まれたままだ。

 作者と作品は基本、べつものであると思っている。作者のもつ背景を、作品に影響させずに読みたい。それでも自分は作者を知りたいという、ミーハーともいえる気持ちをもっているほうだと思う。前作『最高の任務』(講談社)を読んだあと、たまたま目にして読んだインタビュー「作者の読書道」がとても面白く、乗代さんに興味をいだいたのだった。

 とくに印象的だったのが、読書の際に大量の引用をノートに書いていること(すぐに真似したが、続かなかった)。『最高の任務』にほのかに感じた山本直樹味についても、答え合わせのような返答があった。先述した風景描写についても、このインタビュー内に載っている。そういった作者への興味から、新刊がでたら読まなきゃという気持ちもあったのだが、今後も乗代さんの作品を読みつづけたいと、本書を読んで思いなおした。

 ここを通り過ぎて銚子まで歩いたこともある柳田國男は、これとよく似た感動を紹介している。蘭領の島で稲作をしていた友人が何日も寝ずに働いた後に小屋で休んでいた時、「團場の上を白鷺のような鳥が二三羽、緩やかに飛びまわっている」のを見て、「何ということなしに、居合わせた者が皆涙をこぼした」というのだ。「つまり人間の努力の前に、自然がなよなよと凭りかかる光景が快いのである」

 柳田が断じている感動は、努力して土地を手懐けた百姓のもので、訪れては帰るだけの気楽な旅人ならまだしも、よそ者が感じやすいものではない。小島信夫の不敵な気楽さはその感動を容易に引き起こすが、同時にそれへ甘んじることを戒めるような忍耐に関する不思議さも書き込まれている。

 そして、本当に永らく自分を救い続けるのは、このような、迂闊な感動を内から律するような忍耐だと私は知りつつある。この忍耐は何だろう。その不思議を私はもっと知りたいし、その果てに心のふるえない人間が待望されているとしても、そうなることを今は望む。この旅の記憶に浮わついて手を止めようとする心の震えを静め、忍耐し、書かなければならない。後には文字が成果ではなく、灰のように残るだろう。

『旅する練習』P103-104

2021-03-18 | Blog, お知らせ, 俳句

12/11付愛媛新聞「青嵐俳談」に入選しました。

子供の書いたひらがなの練習
句とは関係ないですが、子どもがしていた文字の練習です

いにしへの文字を習ひて一葉忌  ばんかおり

 12/11付(2020年)愛媛新聞「青嵐俳談」森川大和選・入選をいただきました。ありがとうございました! 掲載ページはこちらです。(このときの、ひとつまえの麻衣子さんの句、面白い!)

 季語は「一葉忌」(冬)です。11月23日は小説家・樋口一葉の忌日。俳句には、著名な作家の命日を季語とする、「忌日季語」というものがあります。はじめてそれを知ったとき、(何だかかっこいい……)と思って1句作ってみたのですが、みごとに季重なりしてました。それ以来、むずかしいけれど、自分がすきな作家の忌日が近づいてきたら、句を作るようにしています。

 掲句もそのようにして作った句のひとつです。一葉といえば擬古文(平安時代の文体を真似た文)というところから発想しました。とはいえ、いまだ現代語訳でしか一葉を読んだことがないので(川上未映子さん訳の『たけくらべ』がすきです)、いつかは原文を……!と思っています。

2021-03-12 | Blog, お知らせ

帽子のアトリエ「SleepSlope」さんのモデルをしました。

スリープスロープさんホームページのトップ画面
トップ画面にこんな感じで登場してます(画像はSleepSlopeさんホームページよりお借りしました)

 このたび、岐阜でアトリエを構え、オリジナルの帽子などを製作されている「SleepSlope」さんからご依頼をいただき、モデルとして撮影に参加してきました。

 以前、勤めていたセレクトショップ「長月」でも商品を取り扱っており、大人気だった「SleepSlope」さん。わたしもたくさん着用させてもらいつつ、お店のブログでご紹介をよくしていました。そういったご縁もあり、お声をかけていただいたのですが、毎日かぶっているくらい帽子がだいすきなので(寝ぐせ隠しという目的もおおいにありつつ)、とてもうれしかったです!

撮影中のオフショット

 撮影はsumireさん。(Instagram : @sumire_kouhai もチェックしてみてくださいね!)彼女のふんわりとした、やさしい光を感じられる写真のファンだったので、喜びもひとしおでした。今回のブログに載せたオフショットなどの写真も、sumireさんからいただいたものです。どうもありがとうございました!

撮影中のオフショット
左はモデルの相方だったつばさくん。メンズアイテムも充実してます!

 過去に洋服と靴のモデルをしたことがあるのですが、大丈夫かな〜とけっこうドキドキで当日を迎えました。撮影場所は各務原にある公園「学びの森」と、そのなかにあるカフェ「KAKAMIGAHARA STAND」。ほとんどのかたが顔見しりだったこともあり、なごやかな雰囲気で撮影はすすんでいきました。春夏の新作帽子に、既存商品であるヘアーバンドなどいっぱい着用することができ、とても楽しかったです。

ヘアーターバンを着けているところ
ヘアーターバンの着用イメージ

 やわらかな生地の「オーガニックコットンターバン」は、家事をするときなどにも、さっと着けられておすすめです! 色もぜんぶで6色と豊富に揃ってますよ。首元まで下げるとストールにもなるとお聞きして、びっくりしました〜。

つば広帽子の着用イメージ

 夏に必須なつばの広い帽子もかわいかったです! どれも軽いかぶり心地でした。撮影時は、デザイナーの石黒さんに「ベレー帽の似合う頭!」とほめてもらえ、ふだんからベレー帽を愛用するわたしはとてもうれしかったのですが、リネン素材のサマーベレーも気になりました。新作は今後もオンラインストアで更新されていく予定だそうです。

「SleepSlope」さんの商品はオンラインストアのほかに、アトリエやイベントの出店では実物を手に取ることができますよ。ぜひチェックしてみてください〜!

2021-03-06 | Blog, お知らせ, 俳句

ヒロアカ俳句① | 欲したる(連作十句)

ヒロアカ俳句の一覧

サイレンの谺する街花の雨

見開きに書ききれぬこと星朧

逃水や焦げた匂ひのするノート

喧嘩にもならず倒され鳥曇

筆圧の高き線なり春一番

欲したる言葉貰ひし春夕焼

ネクタイのぎゆつと短き入学子

つちふるや少年少女訓練す

涙にも起源のありて暮の春

ひこばえや大丈夫てふ委員長


 ヒロアカの略称でおなじみ、漫画・アニメ作品『僕のヒーローアカデミア』で俳句を作りました。漫画では12話、アニメでは1期の9話あたりまでをイメージして詠んでいます。ヒロアカは春から始まる物語なので、季語も作中の季節に沿って選びました。内容としてはけっこう最初、ということで、「ヒロアカ俳句」は今後も作っていく予定です。

 ずっと二次創作俳句を作ってみたいと思っていたのですが、このたびやっとできました。ヒロアカには昨年の夏頃にはまり(推しは飯田くん)、いまでは「ジャンプ」定期購読者になったわたしです。作句のためアニメを1話から見直したり、漫画を読み直したりしたのですが、やはり面白い。現在の展開を思うと、登場人物の見え方もまた変わってきますね。今月27日からスタートする、5期アニメもほんとうにたのしみです!

2021-03-02 | Blog, お知らせ

『どこにもいかない、ここにある』の「あとがき」を公開します。

室内で一人ジャンプしている子供
本書の口絵(じっさいは白黒ですが)に掲載している写真です。2歳ごろのあーちゃん

 

 前回のブログでもお伝えしましたが、発行から1年が経過した『どこある』の「あとがき」を公開いたします。

 かなり修正や加筆をおこなったものの、もとはブログに掲載していた文章なので(初出のブログは現在閉鎖し、こちらに過去の日記を移行予定です)、本書のなかで唯一の書き下ろしといえる部分が「あとがき」でした。読んでくださる方へ、お手紙のような気持ちで書いたことを憶えています。

 そして、なんだか長くなってしまったタイトルについて、これまであまり聞かれることがなかったのですが……理由なども書いています。すこしでも、本書に興味をもっていただける、機会になればうれしいです。


 

あとがき

 本書は二〇一八年六月から始めた、地方で夫と幼い娘と暮らす何者でもない(としか言いようのない)著者による、たわいもない日々をつづったブログのちょうど一年ぶんを、加筆修正してまとめたものです。

 一年というのは長いのか短いのか。三歳になった娘との生活も、あっという間に過ぎていきます。いとしくも不明瞭な言葉たち、ずっとつづくように思えた不条理な習慣のほとんどは、すでに消えてしまいました。誰もいない公園にも久しく行けておらず、だから娘に関することはぜんぶ、書いておいてよかったと思えることばかりです。

 そんな成長のいっぽうで、わたしも変わっていったことがあります。スピ的なものから関心がはなれていく(もう月の満ち欠けは気になりません)等、好きな人やものごとに依ろうとする気持ちが、だんだんなくなっていったのです。産後ずっと不安にさいなまれ、何かにすがりたかった自分にとって、このことはとても大きな変化でした。

 日記はすべてが過去のこと。読み返していると、恥ずかしくなってきたり、そんな自分と対話したくなったりして、なかなか先へと進みません。本書のタイトルは、まだブログを始めて間もない頃の日記にあった、〈日記に書かなかった日は、どこにいってしまうのかな、と思うときもある〉という文章に対して、いまの自分から出てきた言葉です。

 嬉しかったことも疲れたことも、どれも平たく見つめたかった。日記というかたちで、それを重ねていくことで〈ただ、生活がある〉ということが、やっとわかった気がします。そこには、うっすら諦念もあるかもしれませんが、わたしは生活をいとしいと思えるようになってきました。大丈夫と大丈夫じゃないのあわいで揺れながら、目の前にはいつだって、これまでの日々からなる「いま」があります。

 ブログを「読んでいるよ」と声をかけてくださった方、声をかけずとも読んでくださる方も、ほんとうにありがとうございました。みなさんとのやりとりに、何度も支えられてきました。この日記をとおして出会えた方がいることも、とても嬉しく思っています。

 装丁は夫の堀口ともひとが担当し、カバー挿画は娘が描いた絵を使わせてもらいました。わたしの生活の主要メンバーであるふたりに、心から感謝します。

 そして、本書を手にとってくださった方へ、ほんとうにありがとうございました。ブログの更新はさいきん滞りがちですが、生活がつづくかぎり、日記もまた、つづいていくはずです。どこかできっと、お目にかかれますように。

 二〇一九年十二月 ばんかおり

2021-02-26 | Blog, お知らせ

『どこにもいかない、ここにある』発行から1年経ちました。〜 ふりかえり編 〜

子供と通っていた、公園のベンチに置いた本『どこにもいかない、ここにある』
リアル「おうまちゃん」のベンチにて。呼びかたはいまでも変わっていません

 子育てが中心だった生活のあいまに、ブログで綴っていた日記をまとめた『どこにもいかない、ここにある』(自分で勝手に略して、” どこある “と呼んでいます)を発行し、先月で1年が経ちました。

 あっというまのようにも、なんだかとても遠くのことのようにも思えてしまうのは、昨年からのコロナあれこれがあったり、日記に書かれていることじたいが二年以上もまえのことだったりするからですが……。それでも、とくに何者でもない自分(あとがきにもそう書いています)が本をつくり、必要としてくださる方のもとへお届けできたことは、ほんとうに奇跡のような体験で、わたしはそのことに支えられていると感じることが、いまでも日々のなかでよくあります。

『どこある』は、東京の書店「双子のライオン堂」さんと「H.A.B」さん(現在はオンラインストアのみ営業されています)、オープン間近だった日記の専門店「月日」さんの合同企画で開かれた、日記本の展示に参加したい! という気持ちにぐいぐいと背中を押され、はじめて作ったzine(個人で出版する本のこと)です。なんとか参加が叶った期間中は、友人をはじめ多くの方に手に取っていただけうれしかったです。ほんとうにありがとうございました! 本書はイベント終了後も、「月日」さんでお取扱いいただいています。

 また同時に、自分でも本を販売できたらと、それまで個人的な制作を手伝ってくれていた夫といっしょに、このサイトをはじめました(在庫僅少ではありますが、現在もオンラインストアで販売中)。「堀口文庫」は、出版レーベルというとすこし大げさですが、お互いのすきなことをやっていこうという、ゆるやかで雑多なところもあるユニットです。

取扱店舗さんですが、今年6月ごろまでの期間限定で「七月堂古書部」さんのオンラインストアでもお取り扱いいただいています! 近代詩伝道師のPippoさんが『どこある』を読んでくださり、イベントにてご自身のおすすめ本に選んでいただいたご縁です。詩に関する本が充実していますよ〜! わたしもオンラインストアでよくzineを購入してました。

 昨年はみなさんも、ほんとうに大変だったと思うのですが、やはりわたしも思うようにはいかなくて、「堀口文庫」の活動ものんびりしたものになりました。東京でのイベント以降は、夫婦ともに仲よくさせていただいている、岐阜市長良の「トロンチ」さんでサイン会を開催させていただきましたが、時期としてはぎりぎりでした。 久しぶりの再会もあってうれしかったなぁ。

ブログ記事 : なつかしい写真がちらほら「3/21【即売&サイン会】| TRONCHIにて開催!」、開催後レポート「【即売&サイン会】ありがとうございました!

 

 緊急事態宣言が発令され、幼稚園が休園になった娘とずっと家にいた三ヶ月間は、まるで『どこある』に書かれているようなドタバタや、じわじわした焦りが戻ってきたような毎日でした。正直、いろんなことが「わからない」と感じる日々。育児に悩みまくっていた過去の自分より、すこしは進化できたような気持ちになっていたけれど、それはただ、幼稚園というシステムのおかげだったのかもしれない、脆いものだったと思えてきたりしました。

 

 やはり、いちばん感激したのは、手に取ってくださった方からご感想をいただいたことです。自分のために書きはじめた日記は、当初そのつもりはなくても、どうしても育児日記になっていったり、内心は憧れていた読書日記を書いてみたかったけれど、そうなりきることも全然できなかったりと、ジャンルを形容しがたいところがあります。それでも、本にしようと思えたのは、ブログ時代からご感想をいただいていたことが、心の支えになっていたからでした。

 手書きでのお手紙やSNSでの投稿、メールでのご感想を読ませていただくたび、つらかった日々が救われていくような、そんな気持ちになり、胸が熱くなったことを思いだします。わたし自身、もともと人見知りなところがあり、感想を伝えることは得意なほうではなかったのですが、この経験を機に「すき」と思ったことは著者の方に伝えたい! と思うようになりました(まだ自分は伝え足りないなぁ、と思うことも多々ありますが)。ごいっしょに、娘の ” あーちゃん ” を見守ってくださったみなさま、ほんとうにありがとうございました。

 なかでも、夜泣きについて書いたこと(そのつど、ある食べ物を与えていたこと)のご感想をよくいただきました。 わたしたちも、いまは思い出として笑っています……! 子育てをしている方に共感したと言っていただけるのはもちろん、お子さんのいらっしゃらない方にもたのしんでいただけたことも、ほんとうにうれしいことでした。個人的には、さんざん挫折したりさぼったりしていた、会社員時代のことを書いた日記、現在の自分にちかいと思える、いちばん最後の頁に掲載した日記が気にいっています。

 俳句という形式にも出会い、以前よりも創作と向きあえるようになったいま、自身も変わりつづけていますが、わたしは『どこある』で書いた日々のつづきにいます(変わっていないのは、いまだにママ友がいないこと)。だらだらと1年間をふりかえってまいりましたが、次回は本書タイトルの由来にも触れている、「あとがき」を掲載予定です。もうしばらく、おつきあいいただけるとうれしいです!

(ばんかおり)

2021-02-22 | Blog, お知らせ, 俳句

「世界」1月号「岩波俳句」に入選しました。

ふつきんのない幼子や秋日和  かおり

「世界」1月号(岩波書店、2020年12月発売)掲載「岩波俳句」にて、池田澄子さん選・佳作をいただきました。ありがとうございました!

 季語は「秋日和」で、よく晴れた秋の1日のこと。「ふつきん」は腹筋(旧かな遣いでは「っ」など促音は大きく表記します)。

 3歳ごろの娘を見ていて思いついたので、前回の入選作と同様、家族の句ともいえますが、きっと幼子はみんな腹筋がないのだろうな……(かわいい……)と思ったとき、なぜか運動会のイメージが浮かんだため、秋の句になりました。だから、吾子俳句(自分の子を詠んだ句をそう言ったりします)というよりは、吾子を含む幼子ぜんぶを詠みたかったのかな、と思います。澄子さんはよく、ご自身が書かれる「わたし」は万物のひとつと言われていますが、そのことをふと思いだしました。

 わたしは俳句歴が1年になるまでは、旧かなで有季定型、文語で句を作ろうと思っています(と書きながら、1年でこの型が身につくかというと微妙な気も……)。文語については、作りながら文法の勉強をしていることや、また口語表現も好きだな、と感じることも多々あって、曖昧になりがちなのですが……! 旧かなは単に見た目に、魅力を感じているところがあります。

 久しぶりのブログ更新になりました。さいきんは句が足りない…!と思うことも多くなり、俳句の投稿じたいあまりできていないのですが、入選句の記録、ぽつりぽつりと続きます。

アスファルトの地面に転がっている子ども

2021-01-16 | Blog, お知らせ, 日記

二〇二〇年 十二月二十二日(火)

カラオケルームの室内。壁には、カラオケの画面が映されている

 夫といっしょにカラオケへ行く。今年はお互いにやりたいことをやろうと、「堀口文庫」というレーベルをふたりで始めた年だったので、いちおう忘年会という名目である。行って大丈夫かな?という気持ちもあったけれど、平日の午前中、家族だし、ひとりカラオケとほぼ変わらないのでは?と思い、行った。いまや夫は、貴重な遊び相手となっている。

 受付にはわたしたち以外、客はおらず、廊下には女性の声が響いていた。アニソンばかり歌う自分の声も、こうやって聞こえているだろうことが、いつも一瞬照れくさい気持ちになるが、部屋に入るとすぐ忘れる。ふたりなのに、めちゃくちゃ広い部屋だった。

 いつぶりのカラオケだろうか。いつの季節か思いだせないけれど、わたしは名古屋で親友としているのが、もう二年ちかくは前。夫は会社員だったとき、飲み会の二次会で行ったことがあるらしい。でも、体感としては、めちゃくちゃ久しぶりだった。ヒロアカ関連が多いが、それぞれ歌い歌をまずはがつがつ歌う。わたしはかかんにも、うろ覚えの「紅蓮華」を歌う(ぐれんげ、と読むと知ったのは、つい最近のこと)。お互い、ぜんぜん歌えない。声を出そうとすると、喉がぎゅうと絞られているようで、高い音がぜんぜん出ないのだ。「LOST IN PARADISE」も難しくて、ぜんぜん歌えなかった。

 歌えないなぁと思いながら、これまでよく歌ってきた歌(YUKIちゃんや、十八番の『風のノー・リプライ』)を入れてみると、これは難なく歌える。夫も同様だった。声の質が合っているのだと思うが、こういった自分にとって帰る場所のような歌を歌ってから、新しめの歌を歌ったほうがいいんじゃない?というのが、今日のわれわれの結論だった。そういえば、好きな歌と得意な歌は違うって、和山やま『カラオケ行こ!』でも言っていた。

 二時間滞在したが、帰宅後はずっと台所の床でへたりこんでいたくらい、疲れていた。カラオケって、けっこう体力を消耗する。いや、自分の体力がどんどん低下しているのだ。それでも、まだ歌い足りないような気持ちがあった。新年会しようと夫を誘う。来年は体力をつける。娘のお迎えの時間が来るまで、ずっとぼんやりしていた。

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