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2020-05-10 | Blog, 日記

思いだす日記 | 五月二日(土)

ベランダに新しく設置された棚

 三十度の予報どおりの暑い日。風が吹いていない。

 夫がずっと庭で作業している。気づいたら、ベランダにあたらしい棚ができていた。ずっと窓も開けっぱなしなので、わたしたちは内と外を行ったりきたり。生垣の剪定を夫がしていて、あーちゃんは葉っぱをぶちぶちとちぎることに、興じている。常緑樹であること。そこから情報が更新されない庭木の葉は、いっけん、杉の葉のようにも見える。

 わたしはベランダにだした椅子で、本を読んでみる。読みかけのイーユン・リーと、なんとなく本棚から手にとった『高校生のための小説案内』(筑摩書房)。後者は古書店で、編者である梅田卓夫先生の名前をなつかしく思って買ったもの。梅田先生は母校の教授だった。水が入ったコップの絵を描き、それをもとに文章を創作するという授業があった。文章にたいしては「ふうん」という感じだったが、コップの絵を激賞された記憶がある。わたしは絵を描くこともすきだったと思いだす。やさしい先生だったなあ。数年まえのこと、ともに本書の編集に関わっている、清水良典先生(も、母校の教授)の創作関連の本を読んでいて、そのあとがきで梅田先生が亡くなったことを知り、とても悲しかった。本書はいろんな作品の抄録が載っているのだが、頁をめくると、さいきん読みたいと思っていたシモーヌ・ヴェイユ『工場日記』があって、お、と思う。ほかには野上弥生子、S・レム、T・マン、吉田知子。イーユン・リーの文章は、置かれている環境などはちがうのに、それを知っていたと言いたくなるような、悲しみを湛えている。

 「月刊おもいだしたらいうわ」のことをTwitterで知り、さっそく最新号のPDFを印刷して読む。そのなかに、友だちと「小説を書こう」と言い合う、という記述があって、いいなあと思う。わたしは書くことで、友だちといっしょになにかできればいいな、というところで止まったままなにもしていなかった。そのまえに、まずはひとりでやろうと思ったばかりだった。やってみたら「なにか」は、見えてくるかもしれない。

 夕食の直前に、ベランダでビールと堅あげポテト(黒こしょう味)。堅あげポテトは好物なのだが、食べていると頭の周辺で、ばりばりという音しかしなくなるので、現実逃避しているような気持ちになってくる。

夕食 カレー(二日め)

2020-05-08 | Blog, 日記

思いだす日記 | 五月一日(金)

子どもがパズルで遊んでいるところ。

 良い天気。あーちゃんを着替えさせたあと、「くさい、くさい」とずっと言っている。鼻に手をあて、カーテンにくるまったまま、でてこない(そんなことしたら、よけい臭くないか)。換気してもだめで首をかしげていたのだが、通販で買って、開封してすぐ着せたロンTの匂いだった!

 夫の所用についていくかたちで、ホームセンターへ。屋台のメニューがいよいよ恋しかった。三人で車に乗って外へでたのは、ほんとうに久しぶりのこと。車窓から、無職になるまえは毎日のように通っていた道路沿いの風景を、まぶしく眺める。思いのほか駐車場がいっぱいで、え、いいのか、という気持ちになる。ペットコーナーに行きたい娘を止められず、いいのかな、いいのかな、と思いながら入店。土日祝は休みだという、ペットコーナー付近は、だれもいなかった。なるべく足早にまわる。目のまえを、二十代前半くらいの男性が、うさぎの餌を小脇に抱えて足早に通りすぎていく。うさぎ、飼ってるんだね、と思う。

 園芸コーナーにはひとがたくさんいて、ええ~、と思う。自分も来ているのだが。ミニトマトを栽培するキットが気になっていたが、やはり育てる自信がなく、買うのをやめる。あーちゃんが欲しがっている、朝顔の栽培キットは見つからず(苗はいろんな種類があった)。特売だったガーベラの花束を手にしたが、混んでいるレジを見て、売り場に戻す。

 車のなかで、夫が買ってきてくれた、たい焼きとたこ焼きをたべる。しみじみ美味しい。化学調味料かな~?という味も感じるのだが、ここのたこ焼きはとろっとろで、ほんとうに美味しいのだった。夫も探していたものはなかったようで、あーちゃんにと、アンパンマンのひらがなをモチーフにしたパズルだけ買ってきていた。

 家のなかにあるものでカレーをつくる。じゃがいもはなかった。にんじんは擦って炒める。

 小説を書きたい(その中身はただ、書きたい場面がある、ということなのだけど)という気持ちと同時に、書きかたの勉強がしたいという気持ちが高まっていて、ひとりで創作のワークショップをしている体で、やってみようと思いノートにいろいろと書きだしてみた。保坂さんの本を読む、ワークショップ形式の本(持っているので思いうかぶのは、レアード・ハント『英文創作教室』くらいだけれど)の課題をやる等。

夕食 カレー(豚肉、玉ねぎ、にんじん)、夫作のゆで卵のせ

2020-05-07 | Blog, 日記

思いだす日記 | 四月三十日(木)

散歩中に見つけた、たんぽぽの綿毛

 昨日は二十時半に寝てしまったので、さすがになにもしてないと感じる朝。自然に五時半には目が覚めるが、なにかするわけでもなく、iPhone片手に布団のなかでまんじりとする。

 日記に書きわすれていたが、一昨日あーちゃんが「ひとりでねる」と言って、わたしも夫もいないなかはじめて眠った。理由が聞いても掴めなくて、なにの影響だろう?とそわそわしていたが(無意識に動画をいろいろ見せてしまってるので)、昨夜はわたしとだけ寝る、と言ったのだ。それで、いっしょに眠ってしまった。

 なにもしてなさにうっすらと焦って、子どもの対応にも、余裕がなくなる。今日は夫が出社をする日で、久しぶりにあーちゃんとふたりきりで過ごす日だった。いなくなった途端に、喧嘩しはじめるわたしたち。そういうとき、子どもの要求はつよくなるのが常なのだが、面倒くさいという気持ちに飲みこまれそう。

 庭であそぶ。「シャボン玉ひかる、ひかるものがだいすき!」という、あーちゃんの言葉をiPhoneにすぐメモしながら、どこか心ここにあらず。

 もやしのナムルをつくる。一本いっぽん、芽と根を取っていくのがつかれるが、こうする以外の方法を知らない。

 思ったより早く、夫が帰ってきてほっとする。ハムとナムルをのせた塩ラーメンで昼食後、子どもとふたりで散歩。ふたりきりで散歩をすることに、つかれを感じてきた。いつもあーちゃんはたのしそうだが、わたしには同じことの繰り返しに、思えてきてしまった。たんぽぽの綿毛を二本見つけ、それを吹くあーちゃんを写真に撮ったら、光がきれいに写っていて夫にLINE。それだけで、すこし気持ちが晴れてくる。急に暑くなった。帰ったあとは、半袖のTシャツを着る。

 夫はベランダを過ごしやすく、改良することに燃えている。わたしはそこで本を読んで、あかるいうちからビールを飲もうと思う。今日はこまぎれの時間に、イーユン・リー「優しさ」を読みきる。

 実家から貰いうけた、冷凍の豚肉480グラムをどうしたものかと、ずっと思案していたが、焼肉をすることに。冷蔵庫に入っていた野菜も、ぜんぶ焼く。フライパンで焼いただけだが、思いのほかたのしく、美味しく食べた。

 こもりつづけた、四月がおわる。

夕食 焼肉(豚肉、キャベツ、ピーマン、玉ねぎ)、もやしのナムル

2020-05-06 | Blog, 日記

思いだす日記 | 四月二十九日(水)

自室の本棚
今後もすこし予定のある「オンライン○○」の背景は自室の本棚、このあたり。

 いつもなら、今日からゴールデンウィーク、という感じのする日にち。

 午前中にイラストレーター・平松モモコさんのオンライン似顔絵。

 わたしにとってはじめてのオンライン◯◯だ。こもりはじめるまえから、会いたいと思うばかりで会えていないひとたちには、オンラインでもすぐに会うことができない。ただ、自分から誘うことが苦手で、だれからも誘われないだけ、というのもあるけれど、またかならず会いにいくから、と思っているのもある(これを読んでくれているかた、もちろん誘ってくれていいんですよ)。あとは興味の幅がせまいから、参加したい、と思うものがすくないのも、あるかもしれない。

 Instagramのビデオ通話を使う予定だったので、PCのほうがお話しやすいかしらんと思い、ブラウザからログインしようとして、パスワードわからなくなってて変更……と直前までばたばた準備していたものの、アプリからしか通話できなかったみたいで、けっきょくiPhoneを使うことになる。

 似顔絵を描いてもらうのは三回めになる。まえ描いてもらったのは昨年の八月のことだ。「ばんさんのことは、もう見なくても描けます~」というモモコさん。さいしょ、告知を見たときすこし迷ったのだけど、今回は予祝バージョンがあるということで、それをお願いしたいと思ったのだ。予祝。字のとおり、あらかじめ祝うこと。おそらく引きよせに似たなにか……だと思うのだが、よくわからない(この日記を書いているいまも、ググったりしていない)。でも、おもしろそうだと思った。

 わたしがあらかじめ祝ってもらったのは、短篇小説集が完成したこと。いま製作が止まっていて、それを焦るでもなくなっている新作zineの、装画をお願いしようとしているのが、まさにモモコさんでもある。

 モモコさんはインタビューがとてもうまいと思う。判型、テーマや中身、タイトルについても話した。タイトルを言ったのははじめてだった。そのとき抱っこしていたあーちゃんを別室に移動させ、ひと呼吸おいてから、声にだした。顔がかっと赤くなる。それだけのことなのに、勇気がいった。

 マーマーマガジンのどの号だったか、すぐには思い出せない。レースのブラウスにサロペットを着たモモコさんが載っていて、わたしはひとめぼれしたみたいな気持ちになった。輝いてみえた。推しってきっと、こういうことなのだろう。それでもいつも緊張しすぎることはなくて、ほんとうに楽しい時間。今日もたくさんお喋りできてうれしかった。おすすめされてずっと買えていない、セルヴォークのグロス欲しいな。慣れないし調整もうまくできなくて、わたしの声はとてもおおきかったはずだ。家族ごめん。

 実家でよく母がつくっていたキッシュ(と呼んでいたが、実質スペイン風オムレツ)を久しぶりにつくる。レシピの時間より長めに炒めたはずが、じゃがいもも玉ねぎも固くてあーちゃんに不評。

夕食 ハムと玉ねぎ、じゃがいものキッシュ、トマトサラダ

2020-05-05 | Blog, 日記

思いだす日記 | 四月二十八日(火)

ベランダでシャボン玉をしているところ

 所用で外出していた夫が帰宅し、コーヒーを淹れてもらって台所で飲みたいわたしと、いますぐシャボン玉したいあーちゃんとで、喧嘩になりかける。

 そこで夫が、ベランダにアウトドア用の椅子をだしてくれ、先にシャボン玉をしていたわたしたちの元に、コーヒーを持って来てくれる。椅子、はやく出せばよかった……というか、自分は家具やアウトドア用品について管轄外という感じなので、気づくのが遅かった。いつも部屋とベランダの境い目に座っていたから、わたしに向かって飛ばされたシャボン玉が、部屋にたくさん入っていたのだ。それを見て、いつもあはは、と言っていただけだった。

 夫もしばらく、いっしょにベランダでコーヒーを飲んでいた。あれ、仕事は?ということが脳裏にちらついていたけれど、聞かないでおく。夫、ありがとう。

 散歩もすっかり日課になった。今日のあーちゃんは、ぜんぶの道を走っていた。「て、つないでるから、いいよね!」と言いながら。元気だねえ。いつもより早く散歩がおわる。アオサギのいた畑がなんか違うと思ったら、生えていたレンゲなどの草が、いっせいに刈られていた。なにか作物が植えられるのだろうか。あーちゃんも「くさ、ないねえ」と気づいていた。もうここに、アオサギは来ないかもしれない。

 日曜あたりから、長芋を焼いて、しょうゆをジュッとかけて食べたいと思いつづけていて、実現する(夫に買ってきてもらった)。なんとなく、添加物すくなめのめんつゆに変更したけれど、やはりしょうゆがよかったかな、と思う。

 夕食をたべていたあーちゃんが、西陽が差しこむ部屋を指さし、「あっちはゆうがたひかりタイム」と言っていた。

夕食 鯖の塩焼き、長芋ステーキ、ポテトサラダすこし、ピーマンきんぴら、味噌汁(二日め)

2020-05-04 | Blog, 日記

思いだす日記 | 四月二十七日(月)

子どもの描いた絵(もぐら)
「もぐらのダンス」の絵らしいが、アマビエっぽさがある

 六時四十分起床。ストレッチ、ラジオ体操が、すっかり習慣になる。だいぶ身体も伸びるようになった。

 あーちゃん「トイストーリー」を観ながらお絵かき。わたしは縫いかけのマスクのつづきをすこしだけ縫う。ネットで買ったマスク用のゴムが、昨日届いたので。

 常備菜の小松菜おひたしをつくる。あーちゃんがいつも残す軸だけ、大人用のナムルにした。昼食の塩ラーメンにのせたら美味しかった。

 風がつよい。シャボン玉をしていたら、急に「だめよ!」とあーちゃんが叫んだ。どうしたのかと思ったら、風に怒っていたらしい。夕方にちかづくと、すぐその場で座りたくなる。

 池田彩乃『観光記』、『〈子ども〉のための哲学』のわからなさに挫けポチった、永井均『子どものための哲学対話』(講談社文庫)が届く。本が届くと、やはり良い日だなあ、と思える。帯に未映子さんおすすめ、と書かれていて、ひょっとして十年まえのわたしは勘違いして、前者を手にいれたんやろうか……。

 『のどがかわいた』読了。イーユン・リーの「優しさ」という作品を紹介する文章があったのだが、すぐ読みたくなる。わたしはイーユン・リーをけっこう持っているはず……と本棚を探すと、四冊も未読のままだったことに気づいた。探していた作品は、『黄金の少年、エメラルドの少女』(篠森ゆりこ訳、河出文庫)の冒頭作として、収録されていた。わたしはきっと、イーユン・リーがすきになるに違いないと思い、四冊も買っていたのだ。そして、それは当たっていた。そうやって買っておいたままになっている本は、ほかにもたくさんある。ウルフはその代表的な例。

 夜、寝落ちしなかった夫とともに、やっと『スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け』をPCで観た。映画じたい観るのが、ほんとうに久しぶり。んん〜。いいのだけど、わたしはたぶん、ラブを期待しすぎていた。運命、とか宿命みたいなもの、なんだかんだ言ってすきなんだ。

夕食 鶏の照り焼き、レタス、ポテトサラダ、小松菜おひたし、油揚げ、えのき、わかめの味噌汁

2020-05-03 | Blog, 日記

思い出す日記 | 四月二十五日、二十六日

「どうぶつの森」の画面(スクリーンショット)
すっかり放置していたが再開。あーちゃんが撮ったスクショ

四月二十五日(土)

 あーちゃん、着る服を自分でコーディネートする。マスタード色のセーターに、茶色いコーデュロイ地のパンツ(すみっコのとんかつの色らしい)。

 散歩中、側溝にはさまっていた、ザリガニの死骸のまえで、あーちゃんが動かなくなる。ザリガニって、こんなに赤かったっけ?というくらい赤い。「なんでしんでまったんやろうね」と言う娘に、ここに挟まっとるのが不自然やと思う、これはだれかが、置いたと思うんやよね……という推理を伝える。

 それから、なにか分からない、鳥の雛だろうか……?死骸があったのを見たがるのが嫌で、思わずいやや、とおおきい声がでる。ハエが飛んできたので、虫ぎらいなあーちゃんはそこから逃げだし、心底ほっとする。今日もアオサギはいない。

 小説家・相川英輔さんの短篇『ハミングバード』(惑星と口笛ブックス)の朗読をnoteにアップした。すこしまえから、いつも音声配信をしているstand.fmの調子がわるく、問合せをしたら近日アップデートするとのこと(現在は直っている)。すでにアップされていたかたの朗読を聞いたら、自分のはまるで機械、ロボットのようだなあと思えてきて、急遽、車のなかで録りなおしたのだった。読めば読むだけ、うまくなっていく気がするが、ひとりになれる時間には限りがある。本作をイメージしたコラージュもつくっていたら、「いろんなことしとるねえ」と夫から感心される。

 久々にこの味が食べたかった、というものを夕食に食べた。

夕食 タコライス(味つけは独自の解釈)。あーちゃんも辛くするまえのそぼろを食べるが、気にいった模様。

四月二十六日(日)

 なんだか、いてもたってもいられない。我慢ならないという気持ちがわいてきて、手書きの日記も兼ねている、バレットジャーナル用のノートに書きだしてみる。すこしすっきり。だれにも見せない文章は、これから思考していくことの、素みたいなものだと思う。

 コラージュ原稿が完成したので、祐子さんに送信。デザインはいつも夫である。

 「かみなりふったら、おうちのなかでくらそうね」午後から雷の予報で、散歩に行く気にあまりなれず(でも雷にはならなかった)。

 庭でシャボン玉。いつもあそんでいるのは、その昔わたしがアルバイトをしていた「アラスカ文具」で買った、ちいさなアヒル型のものなのだが、今日はあーちゃんの顔ぐらい大きなシャボン玉がつくれる。

 本が読みたいという気持ちがつのる。

 身体が怠く、食べたいものがなにも思いうかばなくて、夕食はツナとレタスのチャーハン。先週もそんな感じだったので、日曜の夜はもうこんな感じでいいか、と思う。べちゃっとしていたので、一般家庭の火力の限界や、と言い訳。

 夜、ばきばきに目が醒めていた。十年ちかく積んでしまっていた、保坂和志『小説の自由』(新潮社)をやっと! 読みはじめる。

2020-05-02 | Blog, 日記

思いだす日記 | 四月二十三日、二十四日

四月二十三日(木)

子どものおもちゃ(ままごと中)

 寝落ちした。今日は新月(どうりで昨日はぱんぱんな感じがしていた)。

 保坂和志さんのInstagram(Twitterも同様)の投稿に、休校がつづく生活のなか、子どもといられる時間がふえて楽しいと友人が言っていたことが、書かれていた。保坂さんはそれを聞いて脱力したとあり、そのあとにつづく記述にも感銘を受け、ノートに書きとめておく。まず、そう思えていいなあ、と思った。でも、自分には無理という気持ちより(今月頭はそういった気持ちでいっぱいだった)、自分もそう思えるかもしれないという、気持ちの余白を感じる。力をぬけばいいのだ。

 庭でシャボン玉。あーちゃんの吹いたのと、わたしのがくっつき、おおきくひとつになったことに驚嘆する。

 ひとりでスーパーへ行く。肉、魚、野菜など先の献立を見こして(この見こす、ということが苦手なのだが、仕方ない)かごに入れ満足していたら、会計時に財布がないことに気づく。焦る。店員さんに、レジでの取り置きをお願いし、慌てて帰宅して戻る。スーパーにもビニールの幕、店員さんの手にはビニール手袋。セボンスターチョコレートを買って、車のなかでそそくさと開ける。

 「ajiro」のオンラインストアで購入した、文芸誌「ことばと」(書肆侃侃房)が届く。保坂さん、千葉雅也さん、小林エリカさんの作品を読むのが楽しみ。

夕飯 麻婆豆腐(だった気がする。副菜はわすれてしまった)

四月二十四日(金)

窓辺に置いた植物(ポピーとエアープランツ)

 今日も胃腸の調子がわるい。夫もつかれているようだ。

 やわらかい黄色の、もこもことした集合体が恋しくて、Twitterでモッコウバラがみたいと呟いたら、すぐに画像をみせてくれた優しいかたがたが。じんわり。ありがとうございました。

 夕方には、ものすごい雷。SNSによると、ちかくに落ちたらしい。

 「だいぶまえ、きょうりゅうににボールをとられる、ゆめみた」とあーちゃん。寝るときにみる夢の話をするのは、はじめてのことかもしれないと、メモする。

 Kさんから手紙が届いた。うれしくてすぐ開封して読む。

 寝かしつけをしていたら、「かあちゃんがこどもになったら、すべりだいいっしょにすべろうね」と言われた。あーちゃんが眠ったあとも、布団のなかでじっとしたまま、泣いていた。できるなら、子どもになりたい。子どもになって、あーちゃんとあそべたらよかった。大人になんて、なりたくなかったのは、わたしだったかもしれない。

 起きあがる気力がわかないまま、東浩紀「コロナ・イデオロギーのなかのゲンロン」(『ゲンロンβ48』)を読んだ。アシモフ『はだかの太陽』が読みたくなる。

夕食 焼きそば、ミニトマト

2020-05-01 | Blog, 日記

思いだす日記 | 四月二十二日(水)

散歩中に出会ったアオサギ
「おおきなとり」、アオサギ

 六時すぎ起床。

 午前中、あーちゃんと散歩。以前、アオサギを見かけた畑ふきんに差しかかり、今日はおおきな鳥さんおるかな?と言いながら、道路に目を向けるとすぐそばにいた。わっと後ずさる。ちかくで見るとおおきいのだ。あーちゃんがすぐに駆けよったため、アオサギは低く飛びながら、畑のなかほどへ逃げた。そして動かなくなったアオサギを、一メートル幅ほどのドブ川で隔たれた道端にしゃがんで、わたしたちはずっと見ていた。

 畑にはモンシロチョウが数匹飛んでいて、れんげが咲いている。アオサギはなにを食べて生きているのだろう。もしやチョウ? ドブには幅のせまい石板が、橋としてかけられていて、あーちゃんはそれを渡りたがる。畑いったらあかんよ、と制しながら、自分が小学校に入るか入らないかくらいの頃、住んでいたアパートのちかくにあった、れんげの咲く畑であそんでいたことを思いだす。その畑の持ち主である老婆に、叱られて追いかけられたことも。怖かったなあ。それなのに、わたしは何回もその畑であそんだ。れんげの花で冠をつくりたかった。

 ここはひとの畑やで、ひとのお家に入ることになってまうでね。かあちゃんも、こういう畑にちいさい頃、入ったことあるわ。そしたら、おばあちゃんに怒られた。そう、あーちゃんに言うと、「え、このはたけのこと? かあちゃんも、ここにはいったの?」と言われて、ちがうよ、ここよりとおく、むかしわたしが住んでたとこのちかくのこと、と返す。

 「おばあちゃんに、なんておこられた?」とも聞かれたが、それはしっかり憶えてなくて、「ここであそんどったらあかんやろ!」みたいな感じかなあ、と生返事になった。

 あーちゃんがつんだ花がくったりしていて、水に入れるため帰ろうとなる。その後シャボン玉したら気絶しそうに眠い。夫の勧めで昼風呂に入った後、腹痛に見舞われ、予定どおりご飯をつくるのは無理、となる。外がさむかったので、身体が冷えたのだろう。子ども用のご飯と同時に、味噌煮込みうどんをつくっていたら、段どりがわからなくなる瞬間がたびたびあって、出汁が何回も干あがりそうになっていた。しんどくて台所で叫ぶ。

 細ぎれにできた時間に、『〈子ども〉のための哲学』を読むが、頭にぜんぜん入ってこなかった。

夕食 味噌煮込みうどん

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