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2020-04-21 | Blog, 日記

思いだす日記 | 四月十一日、十二日

四月十一日(土)

葉桜だけになった、桜の枝。

 五時半起床。がさがさの声でラジオの収録をする。このまま朝の習慣にできるだろうか。取りあげたのはジャネット・ウィンターソン『灯台守の話』(岸本佐知子訳、白水Uブックス)。なにげなくめくった頁に、こうやって声を録音していることと、かさなる描写があって、そこをそのまま音読する。

 「これ、なんでしょうか!」

 朝食のホットケーキを食べていると、かじるたびに変わっていくかたちのクイズをあーちゃんがだしてくる。「やまっていって」、山、「せいかーい!」という、やさしいクイズ。ほかにあった答えは、さんかく、やじるし、きょうりゅう、すべりだい。

 きくちゆみこさんの音声配信「あるきながらしゃべる」を自室で聞く。名まえのとおり散歩しながら録音されていて、時折ごうごうと吹く風の音、咲いている桜の花、すれちがった走る子ども−自分は座っているだけなのに、うつろっていく景色を感じる。星野道夫さんの言葉「姿を見せることだよ」、アボリジニの「ドリームタイム」のことも、とても気になった。

 家のなかでは、葉だけになった桜の枝を、ずっと飾っている。常備菜のピーマンきんぴらとにんじんのグラッセをつくる(おもに娘用)。

 今日も庭でシャボン玉。風がつめたい。夫はベランダの掃除をしている。

 「たぶんシャボン玉は、かあちゃんのこと、すきなんやとおもう」

 そうあーちゃんが言うので、なんで?と聞くと「やっぱ、そうおもったで」と言う返事。

 ベランダに置いていた、ベビーカーを処分するという話に夫となり、もうずいぶん使っていないし、使いこんでいるので譲ったりもできないし(譲れる相手も周りにいない)、そうするしかないけれど、毎日のようにベビーカーを使っていたころを思いだし、胸がぎゅうとなる。そうやって抱っこ紐ともわかれた。あーちゃんの手が、シャボン玉液でべたべたになっていた。

 昼食はナポリタン。ケチャップで炒めたウインナーだけあーちゃんに取りわけるが、「舌があつくなる」と言って食べず。わたしはウインナーの油分に、すこし胃腸をやられた。

 自分の父母のぶんも、マスクをつくることを思いたつ。娘、自分の洗いがえにも取りかかる。ゴムを通す段階で、とたんに面倒に思えてくるので、そのまえの状態まで、とりあえず縫う。

 夜になるにつれて、心ぼそさがやってくる。日記本をつくったことがとおくに感じられる。あたらしくつくる本も、もともと書きたかったことを、そのまま書けるとは思えなかった。お金はなくなっていく。絵の依頼とか、ほんとうにできるのか。

 わたしはなにをしてるのだろう。虚空に向かって呟いてみる。

夕食 味噌煮込みうどん

四月十二日(日)

 TwitterのTLに流れてきた、アーティストと政治家の動画が目に入る。

 うわあ。なんだあれ。ぐつぐつと怒りを感じ、ぐつぐつぐつと世間(わたしのTL内)の怒りがわいてくるのを感じる。それを見るのもつらいので、ひとまずTwitterの画面を閉じる(それから何回か、うす目で見た)。

 怒っておいてなんだけど、わたしは星野源の件の動画を、いちども音声ありで再生したことがなかった。TwitterやInstagramで、ふいに流れる無音の動画をただ、眺めていただけだった。だからどんな歌詞で、メロディなのか知らない(いちじの情熱は失ったが、いちおうファンである)。

 スマホはいつも無音だ。文字だけなら大丈夫なのに、なぜか動画は見させられているように思えて、集中できない。ライブ配信はその極みで、その時間に画面のまえにいないといけないと思うと、逃げたくなってむずむずしてくる……。さいきんとくに、その傾向がつよい(出演するのは平気です)。

 なにも考えたくなくなって、マスクを縫いはじめる。手をうごかしていると無心になれる。なにかをごまかし、思考停止しているのだとしても。

 自分の洗いがえのつもりで縫っていた一枚を、母にあげたほうがいいような気がしてくる。実家にはしばらくいっていない。週にいちど、玄関先で母から食材などを受け取るのが(たまに父)、習慣になっていた。もうそれを、やめたほうがお互いにとっていいのでは、という思いが浮かんですぐ(そのぶん親たちがスーパーに長くいることになる)、スマホからメールする。

 食材じたいは自分たちでどうにかできるのに、どこかそれが親たちとつながっている行為で(わたしのためになっていると親がわは思っているであろうし)、親孝行のひとつだくらいに思っていた。あと一回届けてもらい、「それでやめておこう」という結論になって、安心すると同時に心ぼそい気持ちになる。自分が母と父に会えなくなることが、たださみしかった。

 となりの部屋であーちゃんと夫があそんでいる。わたしは台所でマスクを縫いながら、気がつくとそのとき聞いていた歌を、大声で歌っていた。気持ちがよかった。聞いていたのは、未映子「人は歌をうたいます」(あらためて歌詞のよさにも気づく)。すこしだけ、自分のための音楽が、戻ってきたような気がした。

 父母のぶん二枚(計四枚わたすことにした)、あーちゃんが一歳ごろに着ていた、ストライプ柄のオーガニックコットンのワンピースをばらしてつくった、夫のぶん一枚が完成する。縫い目を追いすぎて、目が痛い。

夕食 麻婆豆腐、レタス、マカロニサラダ、しめじとわかめの中華風卵スープ

子どもがお絵かきをしているところ。

2020-04-19 | Blog, 日記

思いだす日記 | 四月十日(金)

シャボン玉で遊ぶ子ども。

 今朝も「きょう、ようちえんある?」とあーちゃんは問う。

 「◯◯ちゃんは、あーちゃんにあいたがっとるかなあ?」

 いちばんの仲よしである、一個うえのクラスの◯◯ちゃんの連作先も、どこに住んでいるのかも、わたしたちは知らなかった。

 朝食よりまえに、昨日描いていた絵のつづきを描きはじめる。水性ペンを使っていたのだが、力づよく描きすぎてペン先がつぶれる。ちいさな穴も開いて、不機嫌になる。裏から紙を貼って穴をふさぐと、クーピーに変えて描いていた。

 独自の非常事態宣言でる。外ではなにか放送している声がするが、家のなかからはよく聞こえない。

 このところ、岸本佐知子「年金生活」のことばかり、思いだしている。年老いた夫婦のもとにある日、年金が給付されることになって……という、ディストピア掌篇。

びっくりした。何をいまさら。いやそれ以上に、政府というものがまだあったことに驚いた。国のいちばん偉い人が誰なのかもよくわからなかったし、気にもしていなかった。

岸本佐知子「年金生活」(『kaze no tanbun 特別ではない一日』柏書房 所収)

 

 晴れている。「月日会」に日記をぶじ投稿したあと、あーちゃんとふたりで庭にでた。はんぶん物置のようになったベランダと、ほんのちょっとの庭。シャボン玉したい、と言われるまで、外にでたいなら庭にでればいいことを、忘れていた。

 「たいようにあたると、シャボン玉ひかるんやよ、みる?」

 風がつよすぎてごうごういっているなか、あーちゃんがシャボン玉をするのを、ただ見ていた。さむいさむいと、ふたりして狭いベランダにすぐ戻って、そこからまた、シャボン玉を飛ばす。

 なんとか星人の歌と、恐竜が追いかけてくる歌。オンライン幼稚園でよく流れている歌のサビだけを気がつくと、口ずさんでいる。そのたび、「そこしかしらんの?」とあーちゃんに言われる。

 夫から、Instagramに投稿されていた、入園式の写真を見せてもらう(わたしたちは欠席)。またすこし切ないような気持ちになる。屋外で、社会的距離ぶん離れて並んだ、ふたつの椅子。

 「こういうときこそ本を読もう」という言葉に感じた、もやもやについて考えていた。Twitterでその理由を言いあててくれたように思えた呟きを見てすぐ、その反対のような意見を目にすれば、それにも納得できる。どうもわたしは、自分の読みたいときに読みたいだけで、ひとから言われて読むものではないし……と感じているようだった。強制するつもりで、だれも言ってなんかないのに、そんなことを思うわたしは、つかれているのだろうか。そこから思考はふかまらない。

 夜は寝落ち。

夕食 肉じゃが、食べ忘れていた三日めの味噌汁(意外と大丈夫)。

2020-04-18 | Blog, 日記

思いだす日記 | 四月九日(木)

子どもの描いた絵。タイトル「ぶどうの実と、おともだちおる絵」
「ぶどうの実と、おともだちおる絵」

 起床してすぐ、六時ごろ台所でラジオの収録。本にあったすきな文章をメモしたノート(前半で止まったまま)をめくったら、金井美恵子「愛の生活」の主人公が、一週間ぶんの夕食を思いだそうとする場面が書かれていて(シンクロニシティ!)、そこを読んでみようと思いたつ。夕食を手がかりに、日記を書こうとしているわたしとは、ぜんぜんちがうけれど。

昨日の夕食に、わたしは何を食べたのだったろう? 昨日の夕食に、わたしが食べたのは、牡蠣フライ、リンゴとレタスのサラダ、豆腐のみそ汁だった。

一昨日は、ポーク・チャップとジャガイモのサラダと葱と油揚げのみそ汁を食べた。昨日の昼食はクロワッサンに牛乳で、一昨日も、同じだった。昨日、やはり十時に起きた時、わたしは一週間前までの、夕食と昼食の献立を仔細に思い出そうとして、遂に成功して、それをちゃんとノートに書いておいた 。

金井美恵子「愛の生活」(『愛の生活 森のメリュジーヌ』講談社文芸文庫 所収)

 午前中、あーちゃんは自分でぬりえをダイニングテーブルに持ちだし、集中して塗っていたので、YouTubeはつけないでおく。家にこもりはじめてから、もともとうまかったぬりえが(線からはみださないように、絵じたいの位置をこまかく動かしながら塗る)、より上達していっている。

 途中から「しまじろう、みたい」と言うので、今日も台所でオンライン幼稚園。すでに、何回も同じ歌を聞いている気がして、みょうに特徴的なサビだけが、頭のなかでぐるぐる回る。

 朝と夜以外の、時間帯の把握がまだ曖昧であるあーちゃんが、「あさ、ひる、うすぐらいのつぎ、よる」と言っていて、感動する。ふだんは夕方と言っている気がするし、わかっているとは思うのだが、「うすぐらい」……! かつて同じように、ぐっときたもの「はる、なつ、あき、ゆき」を思いだす。

 ふとポストを覗きにいくと、Kさんからの葉書が届いていた。うれしい。わたし、文通してるんだ、とだれかれなしに自慢したい気分。夫に見せびらかす。

 のこり六日ぶんの日記が書けた。PCとiPhoneを行ったり来たりしていたが、ほとんどiPhone上で書いていたので、眼精疲労。日記はぜんぶで七千字ちかくあって、さすがに頭がぐらぐらと、熱くなっているのがわかる。夕食時、ほんのすこしだけ残っていた娘の味噌汁を、もういらないよねとぐっと飲みほしたら、「あーちゃん、飲みたかったのにー」と言って泣いた。

 わたしが書くことに夢中になっているあいだ、お絵かきをはじめていたあーちゃんは、登場人物がたくさんいる絵を完成させていた。夫とともに驚く。また一枚、海にうかぶ船の絵を娘は描きはじめる。そして、眠る時間になってもまだ描いていたくて大泣きする。

 布団のなかに入っても、まだ頭が熱く、iPhoneで日記に加筆していた。目が痛い、目が痛い、と思いながら就寝。

夕食 無印良品のレトルトカレー(わたしプラウンマサラ、夫キーマ)

あーちゃんはしらす丼、ミニトマト、じゃがいものソテー、味噌汁(二日め)

2020-04-17 | Blog, 日記

思いだす日記 | 四月八日(水)

子どもがボウルのなかで、卵をかき混ぜているところ
かき混ぜるブーム到来中(卵、米、ホットケーキの生地など)。

「きょう、ようちえんおやすみ?」

 このところ毎朝、起きてきたあーちゃんに聞かれる。うん、お休みやよ。「コロナのせい?」そう。コロナやで、みんなお休み、おうちにおるよ。「コロナはやく、なおればいいのにねえ」

 ほんとうなら今日は幼稚園の始業式だった。休むという判断をしたが、ほんのすこしでも友だちに会えたほうが、あーちゃんはうれしかったかもしれない、ということがちらりと頭をかすめるが、もちろんそれでいいとは言いきれなくて、それでも。

 今日より夫はテレワークに入る。YouTubeで見られる、ベネッセ発の「オンライン幼稚園」という番組があることを、昨夜ちょうどTwitterで知り「これは……!」となった(なにげにYouTubeを見せるのははじめて、しかしNetflixやディズニーチャンネルでとっくに動画に親しんでいる)。

 ダイニングテーブルであーちゃんはオンライン幼稚園、向かいにわたしはPCを置き、家事をしながら、今月一日からの日記を書きはじめる。「月日会」のメンバーに送られる会報(メルマガ)に、一週間ぶんの日記を投稿するのだ。まずはメモしてある、夕食から書いていく。

 「うたとおどりをはじめるよ」という声がタブレットからする。おどったらいいやんと言ったら、「あーちゃん、おどらへん」と言う。歌のMVのような動画が、連続して流れているようで「うたとおどりばっかりやん!」と文句を言っていた。先生である女性が現れると、ちょっとうれしいようだった(スタート時、先生が『朝ごはんはカレーでした!』と言っていて、わたしはびっくりする)。

 家に夫がいるだけで、娘は落ちついているようでもあって、オンライン幼稚園の効果は、いまいちよくわからなかった。夫は「思ったより、仕事できた」と言っていたので、まあいいか。

 あーちゃんに「れんしゅうすれば、できるようになるよ」と神妙な面もちで言われ、ふたたび前転に挑戦。できた。でも、勢いがつきすぎて、回るとき速くなるのを自分ではコントロールできず、恐怖から「ぎゃああ」と言いながらしかできない。「いっしょにやろ~」と言われ同時に回ったら、思いきり足がぶつかり合って、娘は泣いた。

 一日ぶんだけ日記が書けた。しめきりは明後日の昼なので、ほとんど明日に、のこり六日ぶんを書くことになる。どうなるのだろう。それでも、久しぶりに日記が書けてうれしかった。一日に感じたもやもやが、七日後のいまの自分と溶けあっていく。

 鴨居羊子『女は下着でつくられる』(国書刊行会)が届く。

 引きつづき、『野中モモの『ZINE』 小さなわたしのメディアを作る』(晶文社)を読む。わたしは気軽に作られたジンを読むことが好きなのに、自分でつくる場合は何だか「製本」のかたちにこだわってしまうのは、なぜだろう。そしてそれは、時間がかかってしまうものだ、と思ってしまうのも。それは自分には、本というかたちにだいぶ「あこがれ」があるのが、理由なような気がしている。

夕食 鶏肉、ほうれん草のマカロニグラタン、豆腐、わかめ、長ねぎの味噌汁

2020-04-16 | Blog, 日記

思いだす日記 | 四月七日(火)

レストランごっこのできる、子どものおもちゃ。
理想のメニューやん

 昨夜は眠すぎて、すぐに眠ることができない循環にはまって寝不足。もしかしたら、今日の午後からテレワークになるかもしれないが、会社に行ってみないとわからないと夫は言う。

 あーちゃんは、昨日母が届けてくれた、もとは従姉妹の持ちものである、音や声のでるレジと、プラスチックでできたハンバーグやオムライス、エビフライ、それから寿司に味噌汁などで、「レストランごっこ」ができるおもちゃで、あそんでいた。プラスチックのお盆のうえに、ラーメン、コーンスープ、味噌汁みたいな定食をつくっては、「おまたせしましたー!」と届けてくれる。わたしはひとつひとつ口元に持っていき、食べる真似をする。どれもちゃんと手にとったかを、あーちゃんは見ている。それが、なんどもなんどもつづくのだけど、まだ自分は受け身な感じなので、まだ楽なほうのあそびだと思う。

 昼食後あまりに眠くて、布団のうえでいちど気絶。どうにか起きあがったわたしに、あーちゃんは「いっしょにあそぼー」、「ノンタンごっこ」をしようと言う。自分はたぬきさん、かあちゃんはノンタン。「ノンタンは◯◯っていって!」「◯◯……」というのを、なんどもなんども繰りかえす。ねえ、ちょっと待ってよ……と急に息がくるしくなってきて、思わずTwitterで「ひとりになりたい。。」と呟く。ちょっと待って、ちょっと待って、と言いながら、台所にあるストーブのまえでうずくまっていたら、ドアががちゃりと開く音がして、夫が帰ってきた。びっくりする。夫は夫で、「だってテレワークって言ったやん」という感じだったが、あまり期待しないでおこうと思っていたのだ。夫が帰ってきただけですこし、風通しがよくなったような気がする。

 夫がいることで、あーちゃんの「いっしょにあそぼー」も、やや落ちつく。夕方、ぽかりと空いたような時間があったので、台所で『野中モモの『ZINE』 小さなわたしのメディアを作る』をめくる。一章の冒頭にあった〈ジン活動は自分の人生を主体的に生きるための練習であり、同時にかけがえのない本番〉という言葉に、まず胸があつくなる。野中さんの子ども時代からの話(児童文学、学校の新聞係、わたしもすきだった『いちご新聞』!)がとてもいい。自分はずっと地方住まいで、同人誌やコミケなどのことを知るのも遅かったが、それを追体験しているように思え、やはり胸があつくなってくる。

 あーちゃん初めて、でんぐり返し(前転)に成功。足をまっすぐぴんと伸ばし、滞空時間ながめにころんと回る。「かあちゃんもやってみて」と言われるが、わたしはマット運動が大の苦手で、高校くらいからは前転もできない(体育の時間はマットの端で、ずっと私語)。布団に頭をつけ、ぐっと首に力をこめる。そして回ってみようとするが、恐怖で回ることができなかった。寝かしつけの時間まで、あーちゃんはずっと、ころんころんしていた。夜は寝落ち。

夕飯 豚肉のしょうが焼き、レタス、ほうれん草のおひたし、味噌汁(二日め)

2020-04-15 | Blog, 日記

思いだす日記 | 四月六日(月)

割ったら双子だった卵
「こどもとおや」とあーちゃんは言っていた

 

 五時台に目が覚めて、布団のなかでなんとなくInstagramのストーリーズを見ていたら、きくちゆみこさんがnoteで日記を書きはじめたと知り、光の速さで読みにいく。うれしい! ゆみこさんは日記が苦手と書いてあったけれど、このような不安定な状態にあるいま、ゆみこさんの言葉がリアルタイムで読めることが、ありがたい(苦手なこと、やらないと思ってたことをやる、わたしにとっては音声配信だな)。

 眠いのに気持ちが昂ぶって起床。夫の割った卵が双子だった。自然と、わたしも日記が書きたい、という気持ちがわいてくる。朝食は玉子サンド。

 日記本の専門店「月日」が、日記好きコミュニティの二期メンバーを募集していた。わたしは先月からほとんど無収入なので、申し込みを迷っていた。一期はすぐに定員が埋まってしまった。出勤まえの夫に、こういうコミュニティがあって……と話すと「入ったらいいやん」と言われ、すぐ申し込む。わくわくしてくる。

 昨日からなんとなく、マスクをつくっているあいだは、「いっしょにあそぼ」と言わなくなるあーちゃん。ふたりきりの時間を避けたくなってしまって、台所で娘サイズのマスクを縫う。余力があったので、夫のぶんも取りかかる。夫のは使いふるした手ぬぐいを使う。鎌倉へ旅行したとき買った、大仏の柄。あーちゃんはリビングと台所を行ったり来たり。ブロックあそび、プリキュアごっこ(だいたい、いまやっているプリキュアの、キュアグレースに変身)、着せかえに興じている。

 昼ごろ、幼稚園から休園を知らせるメールが届く。そりゃそうやよねえ、とほっとする。ただ、追加で送られてきたメールによると、始業式と入園式は行うとのこと。休園は今月いっぱい、とのこと。いちどは出席できないと言われた入園式に、出られるけれど保護者は一名だけ、となったとき、もう出なくていいかなと思っていた。いまの状況では、なおさら思う。となると、始業式だけ行くのもね、なんかもうお休みでいいのではと思えてくる。今月いっぱいかあ、今週中に夫がテレワークに(やっと!)入る予定なのだが、いったいどうなるのだろう。

 夕方、食材などを届けに母が来る。なんとなく、あーちゃんと夫に今日つくったマスクを着用させて出迎え、「がんばっとる」アピールしてしまう。母に「すごいやん、あんた器用やもんねえ」と言われる。幼稚園から、入園式の出欠を確認する電話があって、四月はお休みする旨も、いっしょに伝える。

 夜、眠たくてしかたないのに白湯をがぶ飲みしながら、ラジオ収録。音読したのは川上弘美「神様」(『神様』中公文庫 所収)。自分にとって馴染みのある本ばかり、紹介することになりそう。日記はまだ書けていない。

夕飯 ツナとしめじの炊き込みご飯、じゃがいもとえのき、わかめの味噌汁

2020-04-14 | Blog, 日記

思いだす日記 | 四月五日(日)

手縫いで作った、子ども用のマスク。
必要性にかられてマスク(幼児サイズって、元々あまりない?)。娘はよろこんで着けている

 

 布団のなかで目覚めたとき、いっしゅん今日が何曜日かわからなくなる。月曜だ、と思い、夫は会社にいくのだから、密室育児から解放される、よかったねえ……と思っていたら、日曜だった。

 昨日から、かばさんとはまたべつの「どうぶつえんにいきたい」と言われていて、しぶしぶ三人で出かける。入り口に設置された消毒のスプレーで、あーちゃんの手を消毒をしようとプッシュしたら、勢いよく噴射され目に入ってしまったようで、大声で泣きだす。さいわい、入ったのはすこしだけだったようで、すぐに収まったのだけれど、とても焦った……。すうじドリル、すみっコぐらしのぬりえを買う。毎回寄る屋台で夫にたい焼きを買ってきてもらい、みんなで車中で食べる。わたしたちはどこか遠くへ出かけていて、ドライブインでこれを食べている、という想像をする。

 外へでるときは、子ども用の使い捨てマスクをあーちゃんに着けているが、サイズが大きく、ずり落ちて鼻がでてしまうことが、いつも気になっていた。もうストックもない。夫も布マスクの洗い替えを欲しがっていたので、通常営業を休み、マスクの製造を中心にはじめた知人の店にオーダーを……と思っていたが、あ、これは自分でつくったほうが早いかも、と思う。

 わたし、マスクつくるで! と、帰宅後すぐ、つくりかたを検索する。いちおうミシンはあるけれど、得意ではないから手縫いで。押し入れの引き出しに入れっぱなしの、ガーゼ素材の手ぬぐいに、あーちゃんの麦わら帽子に取りつけた後、あまっていたゴムを使う。マスクは、もし幼稚園に行かせられるようになったら、やはり必要だろうと思っていた。手をうごかしていると無心になれて、気持ちが落ちつく。ただ、一枚縫うので今日は限界。縫いものをふだんから、すいているわけではない。入園準備もほぼ買って済ませたし、自分では、大きすぎる制服のスモックの袖を、しかたなく詰めただけだった。

 「SUNNY BOY BOOKS」さんで買った、『野中モモの『ZINE』 小さなわたしのメディアを作る』(晶文社)と、言葉 : 児玉由紀子、絵 : 安藤智、デザイン : 角谷慶『あたらしい日の真ん中に』が届く。野中さんの本は、サニーさんで買おうと思っていた。zineを読むこと、つくることの楽しさを知ったのは、サニーさんに出会えたおかげだからだ(自分の日記zineにも、そのことが書かれている)。店主・高橋さんからの、手書きのメッセージにいつも和む。思えば、このさりげないメッセージに惹かれ、いっきにサニーさんがすきになったような気がする。

 夜、また寝落ちしなかったので、さっそくstand.fmでひそひそ収録。音読したい、と思いたったのは、Twitterで「ひとり音読部」というタグを見かけたからだった。これまで音声配信では朗読、という言葉を使っていたが、音読のほうが気軽なひびき。意味あい的にも、こちらのほうが、自分のしたいことに近いと気づいたのだ。

 十回ほど配信をしてみて、わたしには自発的に喋りたくなるような話題はあまりなく(いまの状況、そう思うだけでなんだか疲れる)、おたよりの返事がしたいのと、すきな本をただ、読んでいたいだけということがわかった。そんな気ままなラジオをはじめたい。音読したのは尾崎翠「第七官界彷徨」(『ちくま日本文学004 尾崎翠』筑摩書房 所収)。

夕飯 目玉焼きをのせた焼きそば

2020-04-13 | Blog, 日記

思いだす日記 | 四月三日、四日

ゲーム「どうぶつの森 ポケットキャンプ」の画面。
なんだかなあ、とやるせない気持ちで、夜の海に釣りをしにきたら、夫と会った(どうぶつの森 ポケットキャンプ)
四月三日(金)

 かるい夜泣きで二時ごろ目覚め、台所で白湯を飲みながらポケ森(あーちゃんの呼びかたは『どうぶつたちのもり』)を散歩。Twitterを見ることに疲れを感じてきて、なんども見ないでおこうとしては、けっきょく見ている。いま自分のしたいことを呟いてみる。「掃除というか整理整頓、断捨離、瞑想、音読、文通」…… 

 寝坊する。午前中、あーちゃんは昨日やりそこねた、ひらがなドリルをやっていた。文字をなぞるよりは、まずぬりえを塗るほうに夢中。午後からは着せかえ。そのあいだに家事もできたし、ずっとやりたかったPCでの作業もできた。プリキュアとドリル、ありがとう……(プリキュアにはほんとうにいつも、お世話になってる)。すうじのドリルも買おうと思う。

 梅干しをいれた、玉子とじうどんを昼食に食べる。こういう味のものが食べたかった……としみじみ思う。そして、そういう気持ちになるたび、武田百合子のエッセイ「枇杷」のことを思いだす。

「こういう味のものが、丁度いま食べたかったんだ。それが何だかわからなくて、うろうろと落ちつかなかった。枇杷だったんだなあ」

 – 武田百合子「枇杷」(『ことばの食卓』ちくま文庫 所収)

 

 ずっとやりたかったのは、次作のzineに収録する自分の過去作品を、ひとつのデータにまとめるという作業だった。PCのなかでちりぢりになっていた、数作をあつめてみたら五千字しかない。思っていたよりすくなくて焦る(日記をまとめたzineは十万文字ある)。あたらしい原稿、もともとふたつ書く予定でいたけれど、ぜんぶでいったい何文字になるのだろう。日記zineのような頁数にしようと思ってないけれど、それでも……。そのことが、あたまのなかを占めはじめる。

 「百年」のオンラインストアで購入した、恒子 Kohxi (成重松樹)の写真集『THE SALAD WITHOUT DRESSING 1』が届く。成重さんはきくちゆみこさんの夫君。〈ドレッシングはかけないでおいたよ〉という言葉のひびき、なんだかいいな。

夕飯 鶏むね肉の照り焼き、ブロッコリーの蒸し焼き、ミニトマト、レタス、えのきとわかめ、豆腐の味噌汁

「ヒーリングっど プリキュア」の着せ替えで遊ぶ子ども。
「くびのほきょう」のこまかさ、やばかった

四月四日(土)

 朝食は、週末恒例の夫が焼くホットケーキ。おおざっぱなわたしでは、こんなにきれいにならない丸と色。習慣には安心がある。

 晴れていた。自室の窓を開けて、PCで昨日まとめたzineの原稿を立ちあげる。わずかに風が流れてくるのを感じて、心地よい。新作書けるんじゃないか、という気持ちになってくる。つづきをすこしだけ書く。

 午前中は家族三人でスーパーへ買い出し。

 岸本佐知子さんが出演されたラジオ番組の、聞き逃し配信を聞く。鴨居羊子の『女は下着でつくられる』(国書刊行会)を、「女子バディとともに道なき道を切り開く、冒険の書」と紹介されていて、いてもたってもいられずポチる。鴨居羊子の本は気になっていたが、未読だった。今月はほかにも本をポチっていて、はやくも予算がなくなりそう。それでもまだ、欲しい本がある。

 発売されてすぐ買ったのに、読めていなかった大阿久佳乃『のどがかわいた』(岬書店)を手にとる。いまの自分に沁みいる、やさしい文章。

 あーちゃんが朝から、「とうちゃん、とうちゃん」と後追いしていて、夫しんどそう。わたしがご飯をつくったりしているあいだ、あーちゃんがリビングの扉をぴしゃりと閉め、ふたりきりで過ごしていて、これがほんとうの密室育児……と思う。そうやってひとりになれた、すきまの時間もただiPhoneを見て過ごしてしまい、反省。

 夜、ふたりは眠ってしまったけれど、寝落ちせず起きていた。

 わたしは趣味で音声配信をしている。これもあーちゃんが春休みに入ってからは、収録できていなかった。音声配信にはどこか、音声配信用のテンションがあって、ひとりのときにしかできない、と思っていたからだ。今日のように夜ひとりになるチャンスはあるが、住空間がせまく、寝ていてるふたりを、わたしの声で起こしてしまうかもしれないという不安もあった。でも、それもふと、思いこみかもしれないと収録してみたら、だれも起きなかった。ひそひそ声だけれど。

 これまでRadiotalkを使っていたが、さいきんTwitterを見ていたら、stand.fmというアプリで音声配信しているかたがいて、そちらをためしてみたいと思っていた。でもそのまえに、Radiotalk内で話した内容にいただいていた感想に、お返事がしたかったのだ。だから最終回のつもりで話す。

夕飯 そぼろ丼、ピーマンきんぴら、味噌汁(二日め)

2020-04-12 | Blog, 日記

思いだす日記 | 四月二日(木)

子どもが「赤ちゃん」と呼ぶぬいぐるみ
このぬいぐるみたちはぜんぶ「あかちゃん」らしい。

 朝、出勤まえの夫から「ポストに届いてたよ」と、オレンジ色の封筒を手わたされる。NYに住むワイナー祐子さんのフェミニストzine『Short & Sassy』だ! ぶじ届いたことに、まずほっとする。注文をしたとき、NYはたしか、自宅待機になる一歩手まえだった。赤のハートがぽんぽん飛んでいる、表紙がかわいい。うつうつとした気持ちが晴れてくる。zineに挟まっていた、祐子さんからのメッセージに泣きそうになった。

 今日もわたしはバブという設定。「とうちゃんはねこ。ねこはかいしゃいっとる」と言う。

 あーちゃんの「かばさんのどうぶつえんいきたい!」コールに耐えかね、今週はじめて外へでる。ちなみに「かばさんのどうぶつえん」とは、近所にあるホームセンターのことで、かばの絵が描かれた、リサイクルコーナーがあるためこう呼んでいる(注 : だいすきなペットコーナーがある場所ということで、ホームセンターはぜんぶ動物園)。

 冷蔵庫もからっぽなので、ついでにスーパーに行こうと思う。これだけのことが、決死の覚悟、みたいに思える。あーちゃんと外出すると、なかなか短時間では、おだやかに帰られないことが(だいたい喧嘩)、頭をもたげていた。先週も行きつけの、いつも誰もいない公園にいったが、二時間ちかくもいると途中で、通りがかりのご老人たちに数回話しかけられ、それだけで(こ、これはいいのだろうか)と内心おろおろした。

 とはいえ、あーちゃんにはわからないだろう……というのが、強固な思いこみのようになり、わかってもらおうとすることを、わたしは怠けてはいないだろうかという気持ちにもなる。コロナっていうばいきんが、そとにはおるんやけど、目にはみえなくてね……と、自分なりに説明をこころみる。いつもなら、駐車場は走っちゃだめと、こんこんと言い聞かせても即走りだすあーちゃんだが、今日はそんなことはなく、わかってくれていると感じた。

 ホームセンターで、プリキュアの着せかえ、アンパンマンのひらがなドリルを買う。気がついたらあーちゃんは、ひらがな五十音をほぼ読めるようになっていた。先日、絵本に印刷された文字を鉛筆でなぞっていて、こういうドリルあるといいのかな、と思っていたのだ。このふたつが、ワンオペ育児の希望になることを期待。わたしはこのごろ欲しいと思いつづけていた、観葉植物を見る。こぶりなラベンダーと、ガジュマルの鉢を買った。スーパーでは野菜と、プリキュアチョコなど甘いものを。

 ひと動作おわるごとに消毒しながら帰宅。あーちゃんはさっそく着せかえに夢中。まだ自分では、台紙から取りはずせないので、パーツのこまかさに悲鳴をあげながら、わたしもいっしょにやる。部屋のなかに置いたガジュマルを見るだけで(ラベンダーはベランダへ)、うれしい気持ちになってくる。名まえはガジュ麻呂。

夕飯 クリームシチュー(二日め)

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