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2020-04-21

思いだす日記 | 四月十一日、十二日

四月十一日(土)

葉桜だけになった、桜の枝。

 五時半起床。がさがさの声でラジオの収録をする。このまま朝の習慣にできるだろうか。取りあげたのはジャネット・ウィンターソン『灯台守の話』(岸本佐知子訳、白水Uブックス)。なにげなくめくった頁に、こうやって声を録音していることと、かさなる描写があって、そこをそのまま音読する。

 「これ、なんでしょうか!」

 朝食のホットケーキを食べていると、かじるたびに変わっていくかたちのクイズをあーちゃんがだしてくる。「やまっていって」、山、「せいかーい!」という、やさしいクイズ。ほかにあった答えは、さんかく、やじるし、きょうりゅう、すべりだい。

 きくちゆみこさんの音声配信「あるきながらしゃべる」を自室で聞く。名まえのとおり散歩しながら録音されていて、時折ごうごうと吹く風の音、咲いている桜の花、すれちがった走る子ども−自分は座っているだけなのに、うつろっていく景色を感じる。星野道夫さんの言葉「姿を見せることだよ」、アボリジニの「ドリームタイム」のことも、とても気になった。

 家のなかでは、葉だけになった桜の枝を、ずっと飾っている。常備菜のピーマンきんぴらとにんじんのグラッセをつくる(おもに娘用)。

 今日も庭でシャボン玉。風がつめたい。夫はベランダの掃除をしている。

 「たぶんシャボン玉は、かあちゃんのこと、すきなんやとおもう」

 そうあーちゃんが言うので、なんで?と聞くと「やっぱ、そうおもったで」と言う返事。

 ベランダに置いていた、ベビーカーを処分するという話に夫となり、もうずいぶん使っていないし、使いこんでいるので譲ったりもできないし(譲れる相手も周りにいない)、そうするしかないけれど、毎日のようにベビーカーを使っていたころを思いだし、胸がぎゅうとなる。そうやって抱っこ紐ともわかれた。あーちゃんの手が、シャボン玉液でべたべたになっていた。

 昼食はナポリタン。ケチャップで炒めたウインナーだけあーちゃんに取りわけるが、「舌があつくなる」と言って食べず。わたしはウインナーの油分に、すこし胃腸をやられた。

 自分の父母のぶんも、マスクをつくることを思いたつ。娘、自分の洗いがえにも取りかかる。ゴムを通す段階で、とたんに面倒に思えてくるので、そのまえの状態まで、とりあえず縫う。

 夜になるにつれて、心ぼそさがやってくる。日記本をつくったことがとおくに感じられる。あたらしくつくる本も、もともと書きたかったことを、そのまま書けるとは思えなかった。お金はなくなっていく。絵の依頼とか、ほんとうにできるのか。

 わたしはなにをしてるのだろう。虚空に向かって呟いてみる。

夕食 味噌煮込みうどん

四月十二日(日)

 TwitterのTLに流れてきた、アーティストと政治家の動画が目に入る。

 うわあ。なんだあれ。ぐつぐつと怒りを感じ、ぐつぐつぐつと世間(わたしのTL内)の怒りがわいてくるのを感じる。それを見るのもつらいので、ひとまずTwitterの画面を閉じる(それから何回か、うす目で見た)。

 怒っておいてなんだけど、わたしは星野源の件の動画を、いちども音声ありで再生したことがなかった。TwitterやInstagramで、ふいに流れる無音の動画をただ、眺めていただけだった。だからどんな歌詞で、メロディなのか知らない(いちじの情熱は失ったが、いちおうファンである)。

 スマホはいつも無音だ。文字だけなら大丈夫なのに、なぜか動画は見させられているように思えて、集中できない。ライブ配信はその極みで、その時間に画面のまえにいないといけないと思うと、逃げたくなってむずむずしてくる……。さいきんとくに、その傾向がつよい(出演するのは平気です)。

 なにも考えたくなくなって、マスクを縫いはじめる。手をうごかしていると無心になれる。なにかをごまかし、思考停止しているのだとしても。

 自分の洗いがえのつもりで縫っていた一枚を、母にあげたほうがいいような気がしてくる。実家にはしばらくいっていない。週にいちど、玄関先で母から食材などを受け取るのが(たまに父)、習慣になっていた。もうそれを、やめたほうがお互いにとっていいのでは、という思いが浮かんですぐ(そのぶん親たちがスーパーに長くいることになる)、スマホからメールする。

 食材じたいは自分たちでどうにかできるのに、どこかそれが親たちとつながっている行為で(わたしのためになっていると親がわは思っているであろうし)、親孝行のひとつだくらいに思っていた。あと一回届けてもらい、「それでやめておこう」という結論になって、安心すると同時に心ぼそい気持ちになる。自分が母と父に会えなくなることが、たださみしかった。

 となりの部屋であーちゃんと夫があそんでいる。わたしは台所でマスクを縫いながら、気がつくとそのとき聞いていた歌を、大声で歌っていた。気持ちがよかった。聞いていたのは、未映子「人は歌をうたいます」(あらためて歌詞のよさにも気づく)。すこしだけ、自分のための音楽が、戻ってきたような気がした。

 父母のぶん二枚(計四枚わたすことにした)、あーちゃんが一歳ごろに着ていた、ストライプ柄のオーガニックコットンのワンピースをばらしてつくった、夫のぶん一枚が完成する。縫い目を追いすぎて、目が痛い。

夕食 麻婆豆腐、レタス、マカロニサラダ、しめじとわかめの中華風卵スープ

子どもがお絵かきをしているところ。

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