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2020-03-10 | Blog, 日記

日記 | 三月九日(月)

むかしよく来ていた公園であそぶ娘。
シャボン玉を追いかけるあーちゃん。消えることに納得がいかない

 自由登園中の幼稚園へ、娘が久しぶりに登園する。この判断をしてよかったのか。ただでさえよくわからないまま、お弁当をつくっていたら、あぶりだしのように罪悪感が現れた。開けっぱなしの冷蔵庫の、冷気をあびながら呆然とする。

 ふだんから、ご飯や夫と娘のお弁当用に、なるべくおかずをストックしている。まだすこし残っていたはずの、ほうれん草のおひたしの入ったタッパーが、冷蔵庫のどこにも見当たらず、わたしは必死に探していた。

 なんでないんやろう……知らんよね?と夫に訊ねると、「あ、おなべ(ほうれん草を鍋で茹でることから、娘はおひたしをそう呼んでいる)なら、昨日の夜あーちゃんがぜんぶ食べたよ」と言う。そういえば、鍋焼きうどんをつくっている最中、夫があーちゃん用のおかずを皿に盛ってくれていた(親と子、なるべくいっしょのご飯を食べたいが、べつの献立になることは、よくある)。

 ああ、そうか。それならよかった。それなのに、わたしの胸中にあったのは「お弁当のいろどりが……」という言葉だった。栄養的にも、おなべが残っていたなら。でも、まあいいか、とにんじんのグラッセが入ったタッパーを開けると、残っていると思っていた、ハートや花のかたちに型を抜いたものが一個もなくて憔悴する。これも、昨日食べたのか……ということは、夫には聞かないでおいた。

 罪悪感。もうあまり感じなくなってきたと思っていたのに、まだまだある。登園させることにも感じていたのだし、「栄養ばっちり」そして、いろどりよく「見目うるわしい」お弁当をつくることが、「いいおかあさん」だと、ひと晩味をしみこまた叉焼、ハートがくり抜かれた丸いにんじんと、実母がつくったきんぴらの、茶色い弁当を持たせるわたしは、そうではないのかな、といっしゅんでも感じたことにたいして、「うわぁ」となったのだった。(感じたことにはとくに否定せず、そうなんだ、とただ思って、明日もまたお弁当をつくる)

 娘を送っていったあと、終わっていない洗い物や、洗濯はほおっておいて、自分のためにコーヒーを淹れた。「読書珈琲Litir」さんの栞という名のブレンド。お店になかなか伺えなかったので通販した。良い香りに癒される。今月に入って初めての(たぶん)、ひとりになれた時間。

 校正者である牟田都子さんの『校正者の日記 二〇一九年』を読みはじめる。牟田さんのことを知ったのはもう何年か前、マーマーや冷えとりに関するつぶやきを拝読したことが、きっかけだった。「まえがき」に、ぴっと襟をただしたくなる。

 二十度、という予報どおり、あたたかな日。快晴。いつもより早く娘をお迎えにいって帰宅。おやつにふたりで、おっとっとを半分こして食べたあと「庭でシャボン玉する?」と提案すると、「おうまちゃん、いきたい」と言う。おうまちゃんとは、わたしたちがよく行っていた、いつも誰もいない公園(馬の銅像がある)で、あーちゃんが保育園(のち幼稚園)に通いはじめてからは、いちども行っていなかった。

 とくにさいきんは、公園いきたいと言われても、「あたたかくなってからね」と、わたしも夫も言ってきた。さむさを言い訳に、連れていっていないことにも、うっすら罪悪感。

 ほぼ一年ぶりくらいに行ったおうまちゃんは、やはりひとが少なかった。だが、桜の大木が何本か切られていて、すかすかした印象になっていたり、ボロボロだったシーソーがなくなった代わりに、ブランコが小さな子どもでも大丈夫な、すぽっと下半身を包みこむかたちに、変わっていたりして、時の経過を感じる。

 シャボン玉、ブランコ、頂上まで昇って、怖いと言いだすすべり台。途中からは、車に積んであった、三輪車まで持ちだして、あそんだ。むかしは一枚の板だったので、ふたりで乗っていたブランコに、娘はひとりで揺られている。

「あーちゃん、おそらにとんでってまうー」「はっぱのきに、ささってまうかなー?」

 かつて公園に行くことは、自分にとって疲れる行為だったのに、今日はぜんぜん疲れなかった。自分から「かえろっ」と言って、先にうごきだす姿に、おおきくなったなぁ、と思う。

 夕飯は肉じゃが、ブロッコリーの蒸し焼き、えのきと豆腐とわかめの味噌汁。あーちゃん、もりもり食べる。

 夜はまた夫が寝落ち。眠けにおそわれながら、牟田さんの日記のつづきを、半年ぶんまで読んだ。

2020-03-09 | Blog, 日記

日記 | 三月八日(日)

 

窓際にミモザのドライフラワー。
ミモザの日でもあるらしい

 わすれられないの、という文字が頭に浮かんだのは、今日の日付けのせいである。

 (聞きおぼえのある文字列、と思ってあとから検索したら、サカナクションの曲名だった。レトロな雰囲気のMVで話題にもなった『忘れられないの』)

 国際女性デーでもある今日は、むかしの知り合いで、ものすごく険悪な関係になってしまったひとの、誕生日だった。

 ひとの誕生日を憶えるのが得意だと、わたしはつねづね言ってきた。でもそれは、なにか違うということを、思いはじめたのはここ数年のことだ。

 憶えたくて憶えているわけではない。ただ、わすれたくても、わすれられないだけなのだった。

 子どものころから、二十代半ばまでに顕著なのだが、友人などすきだったひとや、その感情にかぎらず、自分や身内と誕生日がちかいひとの、誕生日をずっと記憶している。

 その話をかつて、友人とファミレスでしたことがある。「じゃあ、いつなのか?」と聞かれ、えーっと……と、いちばん古い記憶を思いおこしてみたら、小一、二ぐらいにすきだった子の誕生日が、口をついて出てきた(四月◯日)。

 「それはノイズにならないの?」と、またべつの友人に聞かれたことがある。あまり自覚がなかったが、脳の負担には、そこまでなっていないと思ってきた。勝手に憶えてしまって、しかもそれをわすれないだけで、苦しいと思ったことはないと。

 でも、ふと気がつく。毎年、今日だけはすこし苦しかった。ちょっと嫌だった、ということに。わすれたいと言うよりは、もうわすれたっていいのに、と思う。

 これまで、自分と似た特性をもったひとに、出会ったことはない。どこかにはいるのだろうか(あ、林家ペーさん?)。

 同時に今日が、ミスチルのVo.桜井さんの誕生日であることも、わたしの頭にはインプットされている。そう、このひととあのひとは同じ、ということも残っていく。中学のとき出会ったあの子と、勤務先のあのひとが同じ、という感じで頭にむすばれてしまうのだった。わたしには、同じ誕生日のひとって、結構おおい印象だ。明日も明々後日も、いまは何の関わりもなく、誕生日を憶えているだけのひとたちの誕生日である。

 雨の日曜日。ずっと家に居る。昨日はうごきすぎたような一日だったので、ちょうどいい。日記本フェアでお世話になった、「H.A.Book store」さんの通販で買った、店主・松井さんの日記『hibi / どこにいても本屋』と、ずっと気になっていた柿内正午さんの『プルーストを読む生活 1 第一篇スワンからゴモラまで』が届く。納品書には「堀口文庫と同じ両方とも文庫本ですね、そういえば!」と書かれていて、ほんとうだ! と思う。おまけに付いていた冊子の内容が大充実。

 週末は家事をほとんどしていない。夕飯は鍋焼きうどん(出汁は鍋の素なので簡単)。あまった鶏のむね肉で、明日のお弁当用に、レンジで叉焼をつくる。

 録画したプリキュアを観て、あとは寝るだけのあーちゃんが、「わたしが、かあちゃんを、まもる!」とポーズをきめては、飛びはねている。いまわたしはプリキュアなのだと、高揚するあーちゃんを、さいしょは面白がって見ていたが、何かそういう台詞どうなのかな?と、慎重になっていきたい気もしてきた。キュアなにがしはしだいに、わたしと夫に攻撃を繰りだしはじめる。

おとぎ話では、名づけることは知ることだ。わたしがあなたの名前を知れば、わたしはあなたの名前を呼ぶことができる。わたしがあなたの名前を呼べば、あなたはやって来てくれる。

-ジャネット・ウィンターソン『灯台守の話』(岸本佐知子訳、白水Uブックス)

 

 夫は娘といっしょに寝落ちした。読んでいる途中だった、ジャネット・ウィンターソン『灯台守の話』(岸本佐知子訳、白水Uブックス)を自室で読みはじめ、なんだか落ち着かなくて、台所の床に移動しなおしてから、読了。愛の物語であった。

 訳者あとがきにあった、〈『自分自身をつねにフィクションとして語り、読むことができれば、人は自分を押しつぶしにかかるものを変えることができるのです』〉というウィンターソンの言葉のとおり、〈《物語る》力〉について、このところずっと、考えている気がする。新刊、次作は、創作にちかいものを。短篇集をつくりたい。

2020-02-16 | Blog, 書評

午前三時の日記、あるいは対話 / その後の、親愛なるヒロインズ

 午前三時の日記、あるいは対話

寝ている娘と本『ヒロインズ』。

  書きなさい。とにかく、何がなんでも書きなさい。
 彼女の声が聞こえる。身体に流れこんでくる。
 うまく生きられず自分がめちゃくちゃになってしまったら、それについて書いて。
「何からはじめる?」わたしはわたしに聞いてみる。
「何からはじめたらいい?」というかぼそい声がする。何かをはじめることに、いったいだれの許可がいるのだろうか。
 あなたがこれまでにしてきた経験が、文学の題材としてふさわしくないなんてくだらない言葉を、絶対に、絶対に信じてはだめ -P321〜322


 わたしの午前三時。それは、耳をつんざく、娘の泣き声で目覚める時間。
 だいたいいつも、おなじ時間であることに感心する。娘は二歳を過ぎて数ヶ月。むなしくなるから「夜泣き いつまで」と、ネット検索するのはやめた。この時間に起きると妙に目がさえてしまう。以前は布団のなかで、自分のブログに投稿する文章をiPhoneに打ちこんでいた。内容は日記だが、その日のうちにほとんど書きおわらない。〈ヴァージニア・ウルフが書くことを許されたのは一日たった一時間だった。ゼルダは二時間〉-P279、家事と育児に追われるわたしは三十分から一時間くらい。
 午前三時。いまは、この文章のことを、かんがえている時間。こまぎれになら時間はあると気づく。その断片をつなぎあわせて書いている。もちろん、SNSなどネットを眺めているだけで、過ぎていく時間も多い。iPhoneの画面を夢中で見ていると、娘はわたしに「起きて」という。


〈私がいちばん書きたいもの? 小説が書きたい。だってそうでしょ、何かを書く人は誰でもそう思ってるはず〉 -P28
 どちらかというと日本文学にしたしんできて、海外文学にあかるくない自分が、リトルプレスやzineを探していて辿りついた「SUNNY BOY BOOKS」のサイトで、ケイト・ザンブレノの『ヒロインズ』が出版されると知ったとき、どうしようもなく惹かれたのは、わたし自身がずっと、作家になりたい無名の人間だったからだ。
 物心ついたころから小説が書きたかった。小二のとき猫が主人公の物語をはじめて書いた。つぎにやっと書けたのが二十九歳で、これも猫がでてくる掌篇。ある通販会社主催の小さな文学賞で、賞をもらった。そのあと何作か書いたけれど評価はなく、子どもが生まれてからは、小説が書きたいのかもわからなくなってしまった。仕事は地元の岐阜で、無記名の記事ばかり書くライターをしている。
 自分を見失っていた。育児は未知すぎて、四ヶ月めに帯状疱疹が顔にできた。二〇一八年六月、何を書いてもいいのだと、日記の形式にすがるようにブログをはじめた。タイトルは「Brunfelsia おもな登場人物はわたし」。Brunfelsia(ブルンフェルシア)はナス科の植物バンマツリの英名だ。スーパーの一角にあった小さな花屋で、その一種である「カオリバンマツリ」を見たとき、思わず吹きだした。わたしの名前はばんかおり。


〈私が書いているのは、陰の歴史についての本。書かれた本の陰に隠れた歴史〉-P25
 七月に通販がはじまるやいなや、すぐ手にとった本書だが、第一章を読みすすめるのに時間がかかった。アメリカのモダニズム作家たちの周縁で、見えない存在にされてきた〈狂気の妻〉たちのことを、わたしはほとんど知らなかった。いまでは親愛なるヴィヴィアンとゼルダ。彼女たちのことをザンブレノの文章をとおして知ったとき、あまりに知らなさすぎたと愕然とするのと同時に、すでに知っていることなのに、知らないふりをしていたような気持ちになった。自分も抑えられていることに気づき、その正体を〈陰の歴史〉とともにあきらかにしていく。重苦しくても、必要な読書体験だった。女性というだけで抑圧されている。それは、現代のわたしたちまで地続きで(二〇一八年はとくに怒りの年)、見て見ぬふりすることは、もうできない。   

 第二章で、自身の創作講座の生徒である若い女性に、ザンブレノが声をかける場面がある(P321)。本当に書きたいことを書ききれていなかった彼女へ、〈書きなさい〉ときっぱりいうザンブレノの言葉に胸が熱くなり、いっきに目のまえがあかるくなった。わずかなわたしの小説も、自身の体験をもとにしている。いつかそこから離れた作品を書かなければいけない。書けないから自分はだめだと、ずっと思いこんでいた。〈フィクションこそが高くそびえる唯一の到達点で、つまりは神だったから〉-P369 わたしは〈書きたくて、書けなくて、それでも書かずにはいられない女性〉-P121 なのだ。到達点はひとつではないと、やっと気づけたばかりの。
 ザンブレノがブログにコメント欄をつけたという一文を読み、自分のブログにもつけてみた。迷いもあったが「つけたいと思ったってことは、やってみろってことじゃないの」と、デザイナーの夫が設けてくれた。ブログをはじめた当初、夫に読まれたくない気持ちもすくなからずあった。要は夫を筆頭に、他者の目を気にしていたのだが、いまその気持ちはほとんどない。ひとに見られることを前提に、公の場で日記を書く行為には、〈自己検閲という暴力〉-P336 をこえていく力があるのかもしれない(自己検閲ゼロとはまだ言いきれないけれど)。夫はわたしのやりたいことをサポートしてくれている。
〈そのとき自分に起きていることすべてを書いておきたかった-自分自身を理解するために〉-P367まさしくそうだ。そして毎日書きたかった。わたしは自分をとり戻そうと、必死だったのだ。書いているうちに、水中にふかく沈んでいた気持ちが浮きあがってくる。日記を書くことは、まるで自分と対話をしているようだ。そして、誰かとも対話したいと思うようになった。コメント欄にはコメントをもらえた。友人のあまりいないわたしだが、趣味をとおしTwitterなどSNSでの繋がりができ(創作関連よりも、リトルプレス『マーマーマガジン』の編集長・服部みれいさんが発信している、音声メディアファンの仲間がおおい)、ブログの感想をもらうことがある。それが救いや励みにもなり、ネットがなければもてなかった繋がりに、感謝している。


 さあ、あなたもやってみて。-P400
 ザンブレノの声をうけ、わたしはまず、この文章を書いた。
 本書を十一月に読了したあとは、読みたい本が膨大にふえ、ほとんどがまだ読みかけだ。いつか読まねばと思っていたウルフの『自分ひとりの部屋』、「ワルツはわたしと」が収められた『ゼルダ・フィッツジェラルド全作品』、ザンブレノの熱い語り口に惹かれ、ぜったい読みたいと思ったジーン・リースは、日本初の短篇集『あいつらにはジャズって呼ばせておけ』(タイトル最高)が電子版で発売され、キャシー・アッカー『血みどろ臓物ハイスクール』も文庫で復刊されたばかりである。
 フェミニズムに関しても本を読み、学ぶ必要がまだまだあるし、わたしにとって「日本のヒロインズ」はだれなのかも、かんがえ中。崇拝にちかい気持ちをいだいている、自分のすきな作家たちが、じつはそうかもしれないと思いをはせる。
『第七官界彷徨』の世界に魅了されている尾崎翠。彼女は頭痛の薬による幻覚症状にみまわれ、東京から郷里の鳥取へ、兄に連れ戻された。日記といえば、つねにわたしの念頭にある『富士日記』の武田百合子。現在ではおそらく夫の泰淳よりも有名な彼女に、あまり抑圧という印象はなかった。パワフルで、家事に夫のサポートにと、とにかく何でもやっていた彼女。そのすべてを時代のせいにしていいものだろうか。でも、ヴィヴやゼルダに関し、「写真」や「スケッチ」という言葉が侮蔑的に使われたのにたいし、「絵葉書の写真をバカにしてはいかんぞ。泥臭くて野暮臭くて平凡さ。しかし隅々まではっきりていねいにうつしてある。それだけだって大したもんだ」-「絵葉書のように」-P42 武田百合子『あの頃』所収(中央公論新社)と妻にいう泰淳の言葉に、しみじみもする。
「日本のヒロインズ」については、文筆家の山崎まどかさん、ウルフの翻訳を手がけられた片山亜紀さんが、Twitterで幾人か名を挙げているのを拝見した。そのなかで、おふたりとも挙げていたのが矢川澄子だ。わたしは彼女と同じ誕生日。ただそれだけで、ずっと気になる存在だった。でも年譜的な情報を知るのみで、それ以上知ることがどこか怖かった。わたしたちは自己犠牲なんて似合わない、獅子座の女(ちなみにゼルダも獅子座だ)。いまあらためて、彼女のことが知りたいと思っている。


 いろんなことが途中だ。これが現時点のわたし。
 誰がなんと言おうと私たちこそ、私たちの物語のヒロインなのだから。-P401
『ヒロインズ』の最終頁をなんども読んでは、心をふるわす。わたしもヒロイン。小説というジャンルにとらわれなくていい。ブログをつづけたいし、育児のことも、もっと書きたい。いつか自分でzineもつくりたい。
「あなたは何からはじめる?」
 わたしたちは、いつだって何だってはじめられる。

初出:『ヒロインズ』の読書体験をシェアするzine 『私たちの午前三時』(C.I.P.BOOKS)/ 2019年1月発行

こちらのzineはただいま、東京・学芸大学の書店「SUNNY BOY BOOKS」で販売中のようです。オンラインストアにて在庫がありました◎

その後の、親愛なるヒロインズ

 

 いまは冬。ぎゅうと、胃を掴まれるような痛みで目覚め、ほんとうにお酒には弱くなったなぁと、昨夜あったことを反芻する朝。となりで眠っている娘の目がうすく開いたかと思うと、わたしの掛け布団のなかへ、いきおいよく滑りこんでくる。

 −昨年末のことだろう、ブログの日記が、書きかけのまま止まっている。娘はもうすぐ三歳半で、夜泣きはしなくなってから、ずいぶん経った。あいかわらず夜は、娘といっしょにすぐ眠ってしまう。たまに起きていても、物事をふかく考える力は残っていなくて、冷んやりした台所の床に座りこみ、iPhoneの画面をぼーっと見ている。布団のなかで、文章を書くことは、もうずっとしていない。

 頻繁にではないが、夜ひとりであそびに出かけることも、増えてきた。最終のバスで帰宅して、先に娘が寝息をたてている、布団のなかに潜りこむと、そこはとてもあたたかい。

 先日もわたしは出かけていた。名古屋・東山にある書店「ON READING」で始まった、植本一子さんの写真集『うれしい生活』(河出書房新社)の出版を記念した展示(2/24まで開催中)と、トークイベントに参加するためだ。

 (自分の日記を本(zine)にすることにおいて、植本さんの『かなわない』(タバブックス)をはじめとする(その前の『働けECD』もすきだったけれど)、著作に影響を受けていないことなんて、あるのだろうか……とまずは思わずにはいられない。だがいま、ここでは割愛する)

 植本さんがイベント内で仰っていたことが、約一年前、ケイト・ザンブレノ『ヒロインズ』(西山敦子訳、C.I.P.BOOKS)の感想などを集めたzine(以下、感想zine)に、自分が寄稿した文章を書いてから、思っていたこととかさなり、はっとした。

 それは、フェミニズムについて、勉強していないと、発言をしてはいけないような気がしてしまう、ということだった。

 植本さんは、勉強をしようと本を手にとるが、腹立たしくなって、なかなか読みとおせないとも、仰っていた。「どう思う?」とパートナーに問いたくなって(例にだされていたのが夫婦別姓のこと)、微妙な空気になってしまうらしい。

『ヒロインズ』を読了したあと、わたしもフェミニズムやジェンダーに関する本を何冊も、手にとった。それでも、ぜんぜん読めていなくて(読めたのはイ・ミンギョン『私たちにはことばが必要だ』すんみ、小山内園子訳、タバブックス くらい……)、植本さんの話には、大きくうなずくばかりだった。

 もちろん、勉強しないと発言してはいけない、なんてことはないと、植本さんは言っていて、わたしも同じことを、自分の寄稿文を読みかえしたときに感じていた。そのことだけはわかる。そんなことはないんだ、ということは。

 とくに、自分の場合は「読まなければいけない」と思ってしまう本は、どんなジャンルであれ、読まなくなってしまうのだ。それは『ヒロインズ』を読む前に、名作だから読まなければと積んでいた、フィツジェラルドを読めなかったことと、そんなに変わらないのではないか(ギャツビー、読んだら面白かった)。

 勉強しなくていいと思っているわけではない。でも、まだまだ自分にかけている、圧みたいなものから解放されたい。そして、もっと自分の身近に引きよせて、フェミニズムについて考えたい。このことにたいして、わたしは途中でもなく、まだ入り口にいるだけかもしれない。ゴールのないことのようにも、思える。

 日記zineが完成してから、『ヒロインズ』のことをずっと考えつづけていた。自分が変わったと思えたのも、ひとや本との出会いがあったからだ。感想zineに参加したことがきっかけで、zineをつくる方とも交流できた。元々ファンだった、きくちゆみこさんの言葉とも、出会いなおせたような気持ちになった。わたしにとって、彼女のつくるzineはお守りのようで、その言葉の一つひとつが、「つくりたい」という火を、いつも心に灯してくれる。

 そういえば、ゆみこさんの自己紹介zine『こんにちは。あなた わたしはきくちゆみこです』を、さいきん手にいれたばかりだ。自分もかつて、自己紹介zineをつくりたいと思っていたことを、思い出す。感想zineの発行後、版元のある、静岡県・三島で開かれた読書会に、参加する際に持っていきたかったのだった。自分も含めた家族の体調不良で、参加は叶わず、zineはラフの状態だ。

 それでいいと、いまは思う。ゆみこさんのzineを読みながら、自分の願いは、だれかが叶えてくれているのだ、というような気持ちになってくる(なんだか自分から出てきた言葉ではなくて、SNSで見かけた発言のような気もするが)。それはまだ、うまく言葉にできない気持ちだ。例えば、自分がこの先つくりたいと思っている内容の本を、だれかがいまつくっている最中だったりすることがある。それでも、時間のなさを嘆いたり、焦るような気持ちが前よりなくなった。

 すこしずつしか進めない。でも、夫と組んで本をつくることが(それも楽しく!)できるなんて、一年前の自分は思っていただろうか。

 むしょうに、『ヒロインズ』を読んでいた頃を振りかえりたくなって、感想zineに寄稿した文章を、そのまま転載した。そのことを、こころよく承諾してくださった、版元の主宰であり翻訳者でもある西山敦子さんが、先日東京の二子玉川で開催された「本屋博」で、わたしたちのzineを買ってくださっていたことを知り、胸がいっぱいになった。本当にありがとうございました。

ばんかおり

 

2020-01-24 | Blog, お知らせ

お礼とお知らせ。

積まれた堀口文庫の本、ばんかおり日記集「どこにもいかない、ここにある」

 今日で発行より一週間(印刷所より、わが家へ届いた日を発行日としました)。日記集『どこにもいかない、ここにある』、ぶじお届けができているようで、ほっとしています。

 眠れない夜のそばに、自分の本を置いていただいていたことを、わたしもまた、早く目覚めすぎて眠れなくなった朝に知り、こみあげてくるものを感じました。

 これまで交流してきた、同志のような方々に届けられたこと。現在の勤務先をはじめ、身近な方に応援していただいていること。あたらしく出会ってくださった方がいること。

 うれしさに、言葉が追いつかないような、もどかしい気持ちになる日々です。本当にありがとうございました。

 みなさんのおかげで、手元にある在庫もわずかとなってきました。まずもって、初版の部数じたいが少ないため、この言葉を使っていいのかとも思うのですが、ただいま重版の準備をしています。

 はじめて本をつくり、「やってみなければわからないこと」だらけだなぁ、と感じているのですが、いちばん頭をかかえたことは金額でした。

 今後、取扱っていただける書店さんなどとの出会いを求めていくには、正直ぎりぎりだった……ということもあり、第二刷より1,100円(税込)から1,200円(税込)へ、料金を改定させていただきます。

 ついに明日1月25日(土)からは、「双子のライオン堂」(赤坂)、「H.A.Bookstore」(蔵前)、「月日」(選書のみ、下北沢・三月開業予定の日記専門店)の三店で「日記を書く読む。魅力にせまるブックフェア」がはじまります!

 三店の店主による日記本の選書に加え、公募による約30名ぶんの日記本が並ぶイベントに、本書も参加します。先だって、こちらでの本書は版数にかぎらず、改定後の金額とさせていただいています。どうぞご了承くださいませ。

 フェアは3月7日(土)まで開催されますよ。個人的には、校正者の牟田都子さんの日記本が気になる…! 地方からの参加なため、なかなか気軽に伺うことがかないませんが、どのような出会いがあるのか、とても楽しみにしています。

(ばんかおり)

2020-01-16 | Blog, 出版

あとがきのあとがき 日記ずき

 Twitterの個人アカウント(@bobmarluy)での告知後、さっそくのご予約をいただいており感無量です。フェアが開かれる、東京で手にとってくださるという方も。みなさま、本当にありがとうございます! 

 その際「生活のあいまでつくった」本と、紹介しましたが、まさにその言葉のとおりで、そこにじゅうぶんな時間はありませんが、でも生活(育児、家事、仕事)があるからこそ、日記が書きたくなる、という循環があるような気がしています。

 カレンダーを見るともう発行まぢか。わたしは器用というわけではないのですが、手紙を書くまえのわくわくとした気持ちがすきで、それは発送も同じだなと思いながら、今日はみなさまへお送りをする準備をしていました(あ、でも内職とか、もくもくと作業することもすきです)。

 発送までどうぞ、もうしばらくお待ちくださいませ!

 さて、日記集『どこにもいかない、ここにある』のあとがきも、ページ数の都合上、内容をぎゅぎゅっと凝縮せざるをえず、どうしてもはみだしてしまうことがあって……そのひとつがそもそも「ひとの日記を読むのがすきなこと」。それが何故なのか、折にふれて考えてきました。

武田百合子『富士日記』(中公文庫)

 すき、ということを意識したきっかけははっきりとしていて、武田百合子『富士日記』(中公文庫)を読んだから。本書を手にとったのは十年ほどまえ。敬愛する川上弘美さんが百合子さんをすきだということを、たしか文芸誌の弘美さん特集で知ったからでした。

  冬になればなるほど、夕焼のきれいなこと! -44ページ

  夜はまったく晴れて、星がぽたぽた垂れてきそうだ。 -63ページ

 上巻(わたしが持っているのは改版)を捲ると、このような一行に付箋が貼ってあります。その出会いは、これまで見ていた景色が変わってしまったくらい、自分にとっては衝撃でした。

 とにかく文章に惹かれ、すぐさま百合子さんに夢中になりました。とはいえ、『ことばの食卓』(ちくま文庫)をなんども読み返しつつ、『富士日記』は読み返そうといつも心のどこかで思いながら、気がつけば、ながい時間が経っていました。

 ああ、やはり百合子さんの文章は面白い。さいきんそんな思いが、鮮やかによみがえったのは、昨年十月に発行された『富士日記を読む』(中央公論新社編、中公文庫)を手にとったからでした。

 本書は、ほとんどが『富士日記』にまつわる、著名な作家のエッセイや書評から成る一冊ですが、その第一章が「その後の『富士日記』」と題し、夫・泰淳の死後に書かれた文章が載っているのです(自分の読んだことのない文章が……!とうきうきしながら読んでいたら、底本であるエッセイ集『あの頃』中央公論新社、を積ん読していたことに気づく)。

 泣きたくなってくるような切ない気持ちと、思わず吹きだしてしまう笑いが、共存している文章に、わたしは百合子さんのすごみを感じます。『富士日記』読者にはおなじみの、石屋の外川さんと五〜七年ぶりに会ったエピソード「五年目の夏」が、とてもすきでした。

 さいごに、今年春に日記本の専門店「月日」をオープンされる、ブックコーディネーターの内沼晋太郎さんが、日記に関して以前Twitterでつぶやかれていた言葉を。

  日付だけでタイトルがない日記のフォーマットは、タイトルで興味を引いてワンテーマを短くわかりやすく、というインターネット的な文章作法から逃れて、バズることなく余分なことをたくさん書ける。

 日記を読むことがすきなのは、まさに内沼さんがいわれるとおり、そういった文章をよむことが、すきだからなのでした。バズる文章とは遠くはなれた、日記という形式じたい、わたしはかなりすきなのかもしれません。

ばんかおり

2020-01-12 | Blog, お知らせ, 出版

日記集『どこにもいかない、ここにある』発行! / 堀口文庫、はじめます。

 はじめましての方も、そうではない方も。こんにちは、ばんかおりです。

 このたび1月17日(金)に、日記集『どこにもいかない、ここにある』を発行します。

ばんかおり日記集『どこにもいかない、ここにある』

 2018年6月から始めた、11歳年上の夫と2016年生まれの娘と地方で暮らす、たわいもない日々をつづったブログ「Brunfelsia」1年ぶんを、加筆修正してまとめました。

 わかりにくかった箇所を読みやすくする以外にも、ページ数の都合上、ぜんぶの日記を載せることがかなわなかったため、いまの自分とは遠く感じてしまったことなどを、独断で削っています。それでもわたしにとっては大ボリューム、A6サイズの全230ページになりました。

 元のブログを読んでくださっていた方には、本のかたちになったことで、またちがった印象を持っていただけるのではと思います。ただ、基本はほんとうにあったことを書いている日記ゆえ、修正をおこなっても本質的なぶぶんは変わっていないとも、わたしじしん思っています。

 ずっと紙の本がつくりたいと思っていました。本書は、定義として個人的にいつもいいなと思っている、「誰にも頼まれていないけど自分が作りたいから作る自主的な出版物」(ばるぼら、野中モモ『日本のZINEについて知ってることすべて』誠文堂新光社より)である、zineです。

 そして、本書の発行を機に、装丁を担当している夫の堀口ともひとと共に、出版レーベル「堀口文庫」を発足しました。

堀口文庫のロゴ、本を読む黒猫。

 発行日にさきがけ、本日より「堀口文庫」オンラインストアにて『どこにもいかない、ここにある』の予約注文を開始いたします!

 ご注文はサイト内の「Online Store」(https://onlinestore.horiguchibunko.com/)よりどうぞ。

 ショップではすこしだけ、中身も見ていただけます。発送は1月19日~24日頃を予定していますので、どうぞお楽しみにお待ちくださいね。みなさまのよきタイミングで、お手にとっていただけるとうれしいです。

 わずかではありますが、これまでわたしが寄稿したzineの誌面などのデザインは、すべて夫によるもので、あくまで協力というかたちでしたが、本書の制作をとおし、今後も出版を含め何か面白いことをしようぜ、という運びとなりました。

 本サイト上では、本書のあとがきに書ききれなかった、日記という形式への愛や、装丁のことなど制作に関する話も、すこしずつできたらと思っています。また、今後は読書日記や書評など、本にまつわる読みものをこちらで発信していく予定です(本以外の企画もあれこれ考え中)。

 イベントのサークル名にあこがれていたり、勝手に自分で屋号をつけたいと、これまたずっと思っていたので、こういった場所をもてることが、単純にとてもうれしいです。わたしは名づけが得意ではなく……(自分のブログタイトルもどこか仮のつもりで、スペルをいまだ間違える)夫とたくさん案をだしたうえ、「堀口大學みたいやん」というノリもありながら、決定しました。

 『どこにもいかない、ここにある』(略して『どこある』と呼びたいのですが、いかがでしょう)は、1月25日~3月7日のあいだ、東京は「双子のライオン堂」(赤坂)、「H.A.Bookstore」(蔵前)、「月日」(下北沢・今年春に実店舗を開業予定の日記専門店)の3店舗で開催される、「日記を書く読む。魅力にせまるブックフェア」の公募枠に参加します。期間中は各店舗にて、お求めもいただけますので、お近くにお住まい方はぜひ、お立ち寄りくださいませ。

 ブログをはじめ1年以上が経ったときから、日記zineをつくっていたのですがなかなか完成せず、個人のラジオでは「2020年内には完成するかな?」とのんきに話してもいました。こうしたきっかけがなければ、いつまでたっても本のかたちにならなかった気もしています。機会をくださった3店舗さま、ほんとうにありがとうございました!

 お知らせがたくさんになりました。あたらしくはじまることにはいつもどきどきするけれど、ふたりでの活動になるからか、楽しみのほうが大きいです。これからも、どうぞよろしくおねがいいたします。

ばんかおり

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