背泳や片恋し人みな魚座 かおり
− 8/21付愛媛新聞「青嵐俳談」森川大和選[入選] 掲載ページはこちら
ブログではご無沙汰しています。五月ごろからはじめた俳句に、はまりつづけているばんかおりです。俳句、むずかしいけれど楽しい! じつはある結社の会員になることも決めました。いまは手続きの途中なので、こちらについてはまたいずれ。
一方、日記はノートにがんがん書きつけているものの、Web上で日記を発信する、ということが自分のなかから抜けていました。ほんとうに、すっぽりきれいに。こちらも、書きたいときに書くというゆるいスタンスで再開する予定ですので、また読んでいただけたらうれしいです。
さて、句会に参加するために作りはじめた俳句、さいしょは句会にだす三句で精いっぱいでしたが、どこかへ投稿してみようかな、という気持ちが湧いてきました。毎月句会でご一緒しているお仲間が、どんどん投稿に挑戦されているので、その影響もおおきいです。三十代まで(三十八歳のわたしには残り一年ちょっと)を対象とする、愛媛新聞の俳句コーナー「青嵐俳談」も、お仲間が入選されていたことから知ったのですが、先日掲句で入選をいただきました。
まだまだ初心者だからか、俳句ができても「わからない」という気持ちになることがよくあります。十七音という短さでも、自分の意のままにまったくできないし(できたら、つまらないかもしれない)、単にいいのかわるいのか、自分でもわからない。
池田澄子さんのエッセイ集『あさがや草紙』(角川学芸出版)にたしか、下手でも自分の書きたいことが書きたい、という旨のことが書かれていて(手元に原本がないため覚え書きですが)、迷ったときはいつも思いだします。それが書けていたら、自分のなかで「よし」とするような。
わからないから、他者に読みをゆだねる部分があって、句会があるのだろうし、投稿によって選を受けることもあるのだろうと、初心者なりに思います。
掲句も、そんな「わからない」句でした。以前ブログでも「エモい句を作るぞ〜」と書いていたのですが、そのなかでできたものです。
単純だけど、エモすなわち恋の句。とはいえ、季語(背泳・夏)以外の言葉は、当社比の事実であり、自分にだけわかる類のものでした。星座にたいする感覚も、わたしには身近だけど、どうでもいいひとにとってはどうでもいいものだろうな〜。あとは、泳ぐと魚のイメージが近いかな、というのが気になりつつ、べちょっとしてなくて、さっぱりした季語をあわせたくて……。
結果、とてもうれしいけれど、掲載された自分の句を見て、ちょっと身悶えてしまう事態になりました。しかも、その恥ずかしさがなんだかくせになり、「青嵐俳談」へはそれから(自分なりの)エモ句をまじえて投句をしています。どうなのだろう。もし、また入選できたら、ブログでしれっとご紹介させてください。
ajara 岐南
私(design ib)がWebサイトの更新をさせていただいているajaraさん。 せいろのランチが人気のajara岐南店の、となりのとなりにある「おもちかえり店 ajara」のメニューがプチリニューアルするということで、撮影の立ち会いとWebサイト更新の打ち合わせに行ってきました。
おもちかえり店 ajara
カメラマンは、公私ともにお世話になっているスギヤマオサム氏(Studio SO)。
ライ麦パンのクロックマダムを撮影(ajaraのモーニングメニュー)
レフ板を忘れたカメラマン。私のノートの白紙ページをレフ板替わりに使って撮影していたことは内緒です。
後日、リニューアルしたお弁当を2つテイクアウト。 いろんな食材が使われていて、その一つひとつが美味しい! おかずは単品でも購入できるそうです。
森のローストチキン弁当
国産若鳥のチューリップ唐揚げ
ajaraさんのWebサイトhttps://cafe-ajara.com
スギヤマオサム氏は、ニューボーンフォトもやってます。https://www.letempsheureux.com
記事|堀口ともひと(design ib)
当然、というふうだった。巻(まき)の運転する深緑色の軽自動車が、駐車場へ向けカーブを切る。
広い道路沿いにブックオフがあった。そこが彼の、ふだんから利用している店舗だったのかは、聞きそびれたので分からない。
それだけじゃない。わたしはいろんなことを聞きそびれた。一年間、浪人していた理由とか。彼は大学の後輩だが同い年だった。聞く時間はその日、じゅうぶんあったはずなのに。
巻との二回めのデートは、いちおうの目的地を彼の自宅としていた。それぞれべつの県に住んでいて、その間は車で二時間以上かかるため、だいたい真ん中あたりだという駅に呼びだされたのだった。そこから彼の住む地域まで、思っていたよりながいドライブをすることになり、終電を逃した帰りには、わたしの自宅まで、さらにながいながいドライブをすることになる。巻が道に迷ったからだ。
はじめてのデートで行った居酒屋で、お互い本が好きであることを知った。彼がいちばん好きだという村上春樹を、その頃はまだ読んだことがなかった。そういえば、日本の小説について学べる科もあったのに(わたしはそこに属していた)、外国に関する文化を中心に学ぶ科に彼がいたことも、当時はふしぎに思っていた。
大型のチェーン店が立ち並ぶ、均質化された地方という点で、助手席から見える風景は、自分の住んでいる地域とさほど変わりがない。お金もなく、本が好きだから、ブックオフへ行く。それが自分にとっても日常だった。なんならそこには、地元の新刊書店より本が置いてある。
まず巻は百円文庫本の棚へ、ずんずん進んでいった。「日本人作家 あ行」と書かれた札のまえに立ち、そこから順にひとつずつ、睨みつけるようにじいっとタイトルを見ていって、たぶん芥川とか乱歩とか川端とか、目ぼしいと思わしきものをひょいひょい手に取っていく。自分の好きな作家の本がありそうなコーナーだけを確認し、目当てのものが見つからず、はやばやと暇になっていたわたしは、そんな彼の姿を黙ってじいっと見ていた。
ものすごく新鮮だった。そうか、そうすればいいのか。この方法なら、自分の探している本だけでなく、無意識に気になっていた本にも出会えるかもしれない。ただただ、そう感心していた。
彼は自分の部屋に入ると、戦利品である文庫本のカバーをつぎつぎと剥がしてはゴミ箱へ捨て、本棚に並べはじめる。彼の本棚には、同じように手にいれたのだろう、色褪せたうすいベージュの文庫本が、ぎっしりと詰まっていた。統一感があって綺麗だ。わたしは彼から差しだされた酒を飲みながら、ぼんやりとその背表紙に書かれたタイトルを眺めていた。
それが巻とのさいごのデートになった。わたしが大学を卒業するまでの一年ほど、彼から無視されつづけたからだ。
ショックだったいっぽう、しかたないか、という気持ちもあった。ドライブは居心地がわるく、わたしはずっとうわの空だった。
帰り道、車内で好きだと伝えたとき、巻の眉間にはぎゅっとしわが寄っていた。一回めと二回めのデートの間に、わたしは彼に嫌われてもおかしくない、あることを、しでかしていた。だから、デートに誘われたことじたいが意外で、これ以上嫌われないようにすることばかり、助手席で考えていた。
どうして無視するのか。嫌われたことは、すでにあきらかであるし、自分が傷つくことを恐れたわたしは、さいごまでそれを、巻に聞くことができなかった。だってどうにもならない。でも、聞いていたのなら、こうやって十何年も経ったいま、彼を思いだすことはなかったかもしれない。
わたしはブックオフに行くと、まず百円文庫本の棚へ向かうようになった。「日本人作家 あ行」のまえで仁王立ちになり、いちど大きく、息を吐く。そして順にひとつずつ、タイトルを目で追いかけていく。ながいながい時間が流れる。目はかすれ、頭は酸欠になったかのように、びりびりと痺れている。好きなひとに無視されようと、わたしが消えるわけでもなかった。目のまえには、まだこんなにも、読んだことのない本がたくさんある。
そのなかで、彼の本棚にあったものを、見つけることもあった。なんだそれ、と自分につっこみながら買った、遠藤周作『わたしが・棄てた・女』、三島由紀夫『女神』、村上春樹の著作いろいろ、たしかさいしょに読んだのは『蛍・納屋を焼く・その他の短編』……。それぐらいしか憶えていないけれど、むさぼるように読んでいた。カバーを剥がすことも真似していたが、面倒になってすぐやめた。村上春樹のことはとくに好きにはならなかった。それらの本はすでに処分したものがおおいが、まだ本棚に並んでいるものもある。
そうやって、わたしは彼のことを知ろうとした。けっきょく何ひとつ分からないままだった。
(了)
本作は出版社である夏葉社さんの、インディペンデントレーベルである岬書店から発行された『ブックオフ大学ぶらぶら学部』が、めちゃくちゃ面白かったいっぽうで、いろんな思い出や感情が溢れだし、なにか書かずにはいられない気持ちになったものを、掌篇小説というかたちで勝手に書いたものです。
地方に生まれ育った身としては、まさに〈自分はブックオフと共に成長してきた。そして、成長し続けている〉(同い年である、武田砂鉄さんのエッセイ『ブックオフのおかげ』より引用)という、実感がある。わたしはブックオフが大好きだった。もっとも通っていたのは十代半ばから、二十代半ばくらいにかけてだっただろうか。その頃も、いまも、本好きであると言いながら、ブックオフが好きだと言うことには、どこか後ろめたさがつきまとっていた。どうして、いつもあんなに探しているものが、欲しいものが、そこにはあったのか(実際には、本書にも出てくるように、はずれの日だってある。それでも手ぶらで帰りたくなかった)。
ちなみに本書は、最終ページの執筆者プロフィールも面白い。先述の砂鉄さんの場合は〈ブックオフ大学値札チェック学部値下げ待機学科〉、発行人の島田潤一郎さんの場合は〈ブックオフ大学ぶらぶら学部岩波文庫学科〉とある。もし、あの頃の自分に入学が叶うのだったら、ブックオフ大学ぶらぶら学部近代文学ぜんぶ読みたい科センチメンタル専攻、かなあと夢想する。
もう当時のような情熱も、体力もないけれど、ブックオフには行く。これが現時点での、わたしの成長としたい。
島田さん、面白い本をつくってくださり、どうもありがとうございました。
六月二十三日(火)
快晴。やっと日焼け止めを塗る。やっと、という気がするのは、夏らしくなってから、日焼け止めを塗らなきゃと毎日のように思っては、塗らずに過ごしているため。
「湿度40パーセントらしいよ」と夫が言う。
こんな日は外で何かを、仕事とかしたら気持ちいいんじゃない。カフェのテラス席とかで、という話をしていたら、わたしたちはスタバに行ったことがぜんぜんない、という話になる。最後に行ったのは、大学を卒業するくらいだっただろうか。十五年は行ってないことになる。当時は喫煙者であり、わたしはおもにドトールに生息していた。夫の理由は、メニューと注文の仕方がよくわからないから、だった。いつもこの話をするたびに、なにか屈折めいたものを感じる。いっしょにスタバへ行こうと、夫に提案してみる。
外へでる話をしておきながら、園への送迎以外にどこへも行かなかった。献立を考えるのも億劫で、昼食にカップの担々麺を食べながら、焼うどんをつくろうと決める。自分の部屋で、窓から見える木々を見ながら、本を読んでいた。穂村弘と堀本裕樹の『短歌と俳句の五十番勝負』(新潮社)を読了。たまに書店でもらった「波」で、この連載を読んだことがあった。俳句を読んだりつくったりするまえは、ぼんやり読んでいたものが、わかる、と思いながら(すこしは)読むことができる。エッセイも面白いのだけど、自句自解を読むのが楽しい。(池田澄子の自句自解が読みたくて、本を探しているけれどなかなか見つからない)
六月二十四日(水)
予約していた本(鈴木しづ子の句集など)を取りに、市の図書館へ行く用事のついでに、併設されたスタバへ夫と行く。直前まで、わたしたちは行こうかどうか迷っていて、スタバの奥にあるローソンで、カフェラテを買いそうになっていた。十五年ぶりのスタバは、空いていて(そりゃそうか。一時間以上は滞在できないと、注意書きがあった)、身構えていたほどに、よそよそしい場所ではなかった。赤いランプはそこになく、思っていたよりトールサイズは大きかった。夫は「俺はもう、一生『スタバラテ』のトールサイズを頼む」と言っていた。チョコバナナマフィンが美味しかった。
鈴木しづ子『夏みかん酸つぱしいまさら純潔など』(河出書房新社)をぱらりと捲る。題になっている句を、「早稲田文学女性号」で読んで気になっていた。プロフィールに「53年、岐阜県各務原から失踪、その後の消息は不明である」とあり、え、となる。そうなのか。ふいに、岐阜、という文字を見つけると反応してしまう。
エレン・フライス『エレンの日記』(林央子訳、アダチプレス)と、『去年の雪』を読んでいた。気がついたらお迎えの時間だった。混みあっていたし、暑い。つい列をつめようとして、ひとと離れていないといけないことを思いだす。「サンサン体操」を聞きながら帰る。
朝、幼稚園へあーちゃんを車で送っていく。ゆっくりと駐車場を出る瞬間、ガラスの扉が閉められた玄関内にいるあーちゃんと、手を振りあう。毎朝いつも。この瞬間がとてもすきだ。交通事情によっては振れないこともあって、そういう日は「ふってなかったでしょ」と、あとから言われる。傍らの先生がいっしょに手を振って促してくれるのだが、今日はあーちゃんがひとりでちいさく手を振っていた気がする。そのとき、玄関の扉からすこし離れたところにある親子がいた。行きたくないのか、離れたくないのか、おかあさんにぎゅうとしがみついている子。困ったような、でもおちついた表情でしゃがんでいたおかあさんの、長いスカートの裾が、さらさらと地面に広がっていた。運転しながら、ふたりの姿がずっとわすれられなかった。
そういうときもあるよね。いまはたまたま、あーちゃんは幼稚園へいきたい周期にはいっているだけで、またいつ「いきたくない」ってなるかわからないし。ということ以外にも思っていたのは、自分が子どものころ、そんな気持ちになったことが、それを親にたいし表現したことが、あったのだろうか?ということだ。あまり記憶がなかった。わたしは九ヶ月から保育園に預けられていたが、卒園までずっといた園のことがすきだったし、そのことをネガティブに思ったことがほとんどない。それでも、さびしいという気持ちの表現のしかたが、わからなかったのではないか、というようなことも思う。あんなにも、すなおな表現を見て、わたしは泣きたいような気持ちになっていた。
自分が子どものころにしてほしかったことを自分の子どもにする、ということはちょっと単純すぎる、と思っている。それはきっと、鳥羽和久『親子の手帖』(鳥影社)の影響があるのだけど(読んでほんとうによかった本。新刊も買わなきゃ)、そういうとき見ているのは子どもじゃなくて、自分だからだ。例えば、一昨日スーパーへ行ったとき、コスメをモチーフにしたプリキュアの食玩を思わず買った。子はもちろん喜ぶだろうし(まだ見せてないのだ)、さいきんコスメを欲しがっていたという前提があるけれど、そのとき見ているなかには、魔法少女のおもちゃが欲しくても買ってもらえなかった、幼いころの自分がいる。
あたりまえだけど、子は自分とはべつの人間だ。なかなか難しくても、子じしんを見ないとな、と思う。先週末、朝のんびりと洗濯を干そうとしていたら、「はやくようちえんにいきたい」と泣きだしたので、慌てて送っていった。その前日は、雨が降っていたから早めに迎えにいったのだが、車に乗りこむなり「はやい!」と言われていた。滞在時間が長いほうが、そのぶんおもちゃで遊べるから、と理由だった(今朝は『はやくいくと、せんせいにすみっコのえ、かいてもらえる』と言っていた)。それだけでも、べつの人間だ、と思う。二ヶ月間の休園があって、初めての給食など、幼稚園にたいする期待がぐんと上がった、というのもあーちゃんを見ていると感じることだ。
帰ってきてから、PCで昨日の日記を書く。先週から、書きたい気持ちになっていたのを掴みそこねていたのだが、今朝楽しみにしている日記が更新されていたのを読んで(起きてすぐ布団のなかでスマホを見るの、目が痛くなるからやめようとなんども思ってはやめられない)、自分も書こうと思った。久しぶりにブログが更新できてうれしい。偶然、夫もこのHPを更新していた(『どこある』のお取り扱い店舗のページ ができました!)。
年に数回、アンパンマンの歌を聞いて泣きそうになることがある。あーちゃんが「くるまのなかで、アンパンマンのうたがききたい!」と言っていたのをお迎えまえに思いだし、夫に聞けるようにしてもらって、それを流しながら迎えにいったのだ。「アンパンマンのマーチ」はシンプルにやばく、「アンパンマン体操」はほんといいこと言ってる……。メロディ的には「いきてるパンをつくろう」がすき(死を連呼する歌詞もすごいが)。昔から推しはロールパンナちゃん、クールでミステリアスで中性的なキャラにわたしは弱くて……とかんがえているあいだ、後部座席ではあーちゃんが歌っている。歌詞がちがっているけれど、かわいいので訂正しない。
梅雨曇鏡のなかの吾子歌う かおり
以前、運転中に思い浮かんだ句なのだが、この鏡は後ろにいる子の様子をうかがうために、運転席の前あたりに設置した小さな鏡のことだ。車を使って寝かしつけをしていた時代には、重要な役割のあった鏡だった。
唐揚げが食べたかった。揚げものをするのが面倒すぎて、夕飯は懲りずに(というのも、食べてからやっぱ揚げたほうが美味しい……となることがほとんどで)揚げない唐揚げを、オーブントースターでつくる。レシピで規定された時間ではあまりに生焼け感があって、何回も追加で加熱したせいだろう。かりかりした衣はよかったのだが、ジューシーさが損なわれていた。
夜。あまり眠たくなくて起きていた。あーちゃんの意識が夫にばかり向かっていたので、わたしはそこまで疲れていなかった。伸びすぎていた爪をやっと切って、せっかくなのでという気持ちで、久しぶりにマニキュアを塗る(THREEのGIRL IN AMBERという色)。塗りながら、視線はちらちらとPCの画面にあった。見ていたのは「恒信風」のサイト。池田澄子さんのことを調べていたら、たまたま出てきて「あの!」と思う。デビューするかしないかの川上弘美さんや、長嶋有さんが参加していたという俳句同人。九十五年頃からの、同人自選句のページを、順に読んでいるのだった。載っていた、池田澄子さんのインタビューはすでに読んだが、けっこうなボリュームがあって面白かった。穂村弘さんのインタビューもあった。「都鳥」とかわからない、と言いきっている箇所に笑い、思わず次の日、夫にも教えた。
爪が乾いてきたので、読もうと思っていた本を開く。江國香織『去年の雪』(角川書店)。去年は「こぞ」と読む。さわりだけ読んで積んでいたが、捨てようとしていた新聞記事にあった、本書の著者インタビューを目にして以来、読まなければという気持ちが再熱していた。
「普通は言わないこと、思っていても、言わないことってありますよね。言葉が届かない領域もある。そうしたものも含めて、世界はできていると思うんです」
「新著の余禄『去年の雪』江國香織さん 」岐阜新聞 (2020.5.31)
ノートに書き写して、下線を引いたのはここ。こもっていた生活のなかで、思っていたのが、まさに、こういうことだった。しだいに日記が書けなくなって(日記のコミュニティも五月で退会した)、というかただしくは、日記はいつものノートに、ときにがしがし書いていたから、この、ネット上での日記を書く気になれなかった、ということなのだけど、それは、自分のなかで「思っていても、言わないこと」(言えないことも、もちろん含めて)というのがけっこうある、ということに気づいた途端、それが膨らみだして、ぱんぱんになってしまったからだった。そして、そういうとき、わたしはフィクションの出番だ、と思うのだが、単純だろうか。その力を、つよく必要とする。
二十三時半ごろ、半分くらいまで読んだところで、ととととと、と目を瞑ったままのあーちゃんが自室に入ってきた。抱っこをせがまれたので、そのまま眠ることにした。
短夜の読書誰は彼の日記 かおり
あーちゃんの書いた、父の日の手紙
昨日から風邪気味だったあーちゃんは、折り紙とお絵かきなど、ずっと何かをつくっている。なかでも、見ながら描いた「すみっコぐらし」の絵がかわいすぎて、なんども眺めてはにやにやする。折り紙は器用な夫が、つくりかたの冊子を見ながら、朝から何個もいっしょに折っている。ホットドッグ、ポテトフライ、さくらんぼ、金魚、襟のついたシャツ。すごすぎる。何も折れないわたしは、それを見ているだけだった。
今日は夏至で、新月で、日食で、しかもミッフィーの誕生日であるらしい(ツイッターで知った。ミッフィーって蟹座やったんや)……と思っていたら、父の日であったことに午後気づき、すこし慌てる。あーちゃんに夫宛の手紙を書いてもらうなどする。素直な気持ちで、材料ないとか、面倒くさいとかはかんがえず、たったいま食べたいものは何?と夫に聞くと、「そぼろ丼」という答。そこへさらに、好物のオクラを足すべく、スーパーへひとり出かける。好物の長芋も安かった。茹でたオクラとさいの目に切った長芋を、おかかとめんつゆで和える。カネコアヤノの「愛のままに」を台所で熱唱していたら、あーちゃんが近寄ってきて、「そのうた、あーちゃんもすきになってきた!」といって、また去る。天体の動きは派手、でもわたし自体は、しずかにただ凪いでいる。
半夏生占いで知れることなど かおり
けものら ばんかおり
どうぶつの森 ポケットキャンプで吟行
夏めくや架空の森で象と逢ふ
けものらと仲睦まじき麦の秋
揚羽蝶家具とかぜんぶあげませう
茄子植うる森棲む友の教えかな
短夜の釣果を熊に自慢せり
想像の夏砂浜たえず走ってる
夏の蝶森と浮世のあひだ飛び
草原や走れば消える夏の蝶
たそかれの紫の海さみだるる
あつまれどうぶつの森で吟行
島の夏いつも景色は淡き色
今月あたまに、とつじょ作りだした俳句。まず作りたかったのが、「どうぶつの森」にまつわる俳句だった。
こもる生活のなか、iPhoneですぐできるのもあって、なにか救いをもとめるように、「ポケ森」をはじめた。虫取り網を持ち、草原を走ったとき、虫はみんな逃げていったが、わたしのしたかったことは、これだった、と思った。
「どうぶつの森」には季節がある。わたしは娘とずーっと狭い庭にいて、生い茂る植え込みから、空を見ているばかりだったから、そのことがひとつ発見のように思えた。俳句の題材を求めて、名所などに出かけることを「吟行」という。思うように出かけられなくなったいま、「ポケ森」のなかをふらふらと歩きまわることも、吟行ではないかと思ったのだ(Twitterで検索したら、『ポケ森吟行』というタグがあったが、三年ほどまえの投稿がほとんどである)。
話題の「あつまれ どうぶつの森」には、夫が自分のSwitchで暮らしている。映像がきれいであこがれるのだが(色合いがなんだか淡い)、もともとゲームに親しんでいなかったため、ボタンの多さに躊躇している。ちなみにわたしの推しは、熊っぽい「ゆきみ」である。
俳句をはじめるきっかけとなった、句会ではこれらの句は封印した。もちろん未熟なのもあるし、傍で説明をしないといけない句、初心者なのに……というのもあった。入門書を読んで、「初心者は古語のほうがセンスのなさを隠せる」という文言を見つけ、あわてて古語に直すようなわたしなのだった。
俳句の世界は深淵だ。いつか、口語でいいな〜と思える句と、エモい句を作ることが目標です。
五月五日(火)
七時起床。部屋にはいってくる風が気持ちいい。夫とともに子ども服の衣替え(ひとりでは取りかかることのできないやつ)。
庭にいたら、目のまえにさっとアゲハチョウが現れて、ここは「どうぶつの森」?と思う。目のまえにいるのにその鮮やかさが嘘みたいで、夢からさめたような心地がする。
あーちゃんに「だんごむしちゃん」と、だんご虫を目のまえに差しだされる。思わず「ぎゃあ」と叫んでのけぞる。遠目ではいいのだけど、ちかくでたくさんの脚をみることには、耐えられず。ぶん、という羽音が首のちかくでもして、また奇声がでる。虫が苦手なのに、虫に好かれやすい。あーちゃんはずっとだんご虫を探して、見つけてはさわってあそんでいる。すこし楽。自分も子どものころは、だんご虫くらいはさわれたのにな。
三人で散歩に行く。久しぶり、という気がする。ふたりでの散歩に、すこし疲れを感じだしてから、外へでていなかった。もう来ないだろうと(勝手に)思っていたアオサギが、いつもの畑に居た。わたしたちがちかづくと、ゆっくり向こうへ飛んでいき、すぐ姿が見えなくなる。
本を集中して読めないけれど、それでいいとかんがえていたときに、WEBで読んだ「出られない私たちの『自分ひとりの部屋』|はらだ有彩×ひらりさ対談⑥」 。
はらだ ヴァージニア・ウルフの『自分ひとりの部屋』(※)のことを考えていたんですが、全員が家のなかにいなければならない状況で、そもそも家族が出かけている時間に家で何かを生み出していた人にとっては「自分ひとりの部屋」が消滅したり狭まったりしている状況ですよね。部屋がない。で、ちょっとウルフからは話がずれるかもですが、今は外に行けないから、部屋の外もない。自分ひとりの部屋は何かをつくるための必要最低限の装置であり仕組みであるから、外の世界に干渉されない部屋がないとものを作れない。そして、ぶじに部屋に留まることができても、装置をまわすエネルギー(良くも悪くも)の発生源である外の世界がなければやっぱり作れない。部屋が確保されていて、自由に出入りできることが必要です。
そうそう、ほんとうにそうだと思う。こもっているあいだつらかったのは、通園が始まりつかのまに手に入れた、「自分ひとりの部屋」(本書はいまだ読みかけ)がなくなってしまったからなんだ、と思う(いまはそれさえなしで、書いたり読んだりしているが)。
このところ、音声配信が止まってしまったのは、急に暑くなって、車のなかでの録音がきついことも理由だけれど、「ひとりの時間がほしい」と声をださないと、それが得られないことに、面倒くささを感じてしまっているからだった。逆に夫には、大丈夫?ひとりの時間はいらないの?と思うけど、おそらく夜に、その時間を取ることができているのだろう(推測)。音声配信は、もともと得意なことではないので、止まってしまうと再開するのに、えいっという気持ちがいるな、とも思う。
布団のなかで『俳句は入門できる』読了。
夕食 小松菜と卵のチャーハンに娘用のツナそぼろのせ、長芋ステーキ
五月六日(水)
「とらきつね」さんからの包みに同封されていた、最高のポストカード
雨がざあざあ降っている。朝から雷。どどどどど、という音を、布団のなかから聞いていた。慌てた様子で夫がベランダの窓を開け、なにかを片付けている音で、あーちゃんといっしょに起きあがる。
TwitterのTLに流れてきて読んだ、「ダヴィンチ・ニュース『日出処の天使』対談 川上未映子 × 穂村弘 」面白かった。運命の人にかんする記述を、思わずメモ。愛の不可能性!
〈穂 : まさしく概念ですよ。運命の人とは本来、具体的な誰かではなく、僕たちを生かすための幻想だと思います〉
未映子さんが、あの場面みたいな文章を書きたいんや、と言っているくだりも胸熱。
夕方、姉と姪とLINEでビデオ通話。話せたのが節分に、実家で会って以来だった。40分ほど話して汗ばむ。平松モモコさんがラジオで、「お喋りは運動」と話されていたが、その通りだと思う。
「とらきつね」から届いたばかりの植本一子『個人的な三月 コロナジャーナル』を、みなが寝静まってからいっき読みする。そのあと、一緒に届いた鳥羽和久『親子の手帖』(鳥影社)も読みはじめ、これはいまの自分に必要な本だ! と確信。さすがに眠たくて、最後までは読めなかった。
夕食 チキンソテー、ピーマンと長芋焼いたの添え、ミニトマト
2014年、高山に向かう道すがら、車窓から撮った写真。カメラロールには、高山ラーメンもあった。食べたい!
昨夜は頭がさえざえとして、なかなか眠れなかった。眠る直前まで、YouTubeを観ていたからだろうか。
東京マッハのことをTwitterでつぶやいたら、なんとオンライン句会に誘っていただいた。こういう機会がなければ俳句をつくることなんて、ないかもしれないから、わたし大丈夫だろうか(だってめちゃくちゃ初心者だから! 句会も人生はじめてだ)、という気持ちはもちろんあるけれど、参加することにした。
俳句に興味をもちだしたのは、六年まえのこと。当時、通っていた書評講座の講師であるトヨザキ社長(たしかマッハ皆勤賞ですよね)に、「いまいちばん面白いイベント!」とマッハのことを教えてもらってから間もなく、地元である岐阜県の高山(とはいえ居住地からは遠い。京都へ行くほうが、まだちかい)で、「飛騨マッハ」が開催されることになったのだった。四時間があっという間で、ほんとうに面白かった。そのとき自分がいちばんすきだと思った、ゲストである藤野可織さんの句はいまでも、誦じて言える(はず)。
フィンランドの切手つるつる冷まじき
藤野可織「公開句会・東京マッハ vol.12 女王陛下の飛騨マッハ」
ほんとうにちょうど、わたしはフィンランド(デンマークだったかもしれない)の使用済み切手を買ったばかりで、わかる、と思ったのだった。
ずいぶんまえのできごとに思えるけれど、そのとき長嶋有さんにサインをもらった句集『春のお辞儀』をみると、二〇一四年とあった。それから池田澄子さんがすきだと思ったり、佐藤文香さんの句集を買ったりした。自分でも、たったふたつだけ俳句をつくったが、俳句になっているのかよくわからないままだった。ひとりでは興味を保ちつづけられず、面白さのポイントは、「句会」にあるような気はずっとしていた。
(ここからは余談。『飛騨マッハ』の日は台風が来るかどうか、という天候だった。それを心配していて、しかも繁忙期だったはずの夫に頼みこみ、彼の運転で会場へ行った。夫はもともと興味がないため、イベントにはひとりで参加した。社長からは打ち上げおいでよ、と言われていたのだが、仕事の〆切等がある夫を長く待たせることができなくて帰宅した。このとき理由をなぜかちゃんと説明できなくて、社長から『来なかったんだね』と後から言われたときも、口をもごもごさせることしかできなかった。ほんとなぜだろう。帰りの山道で、わたしたちはおおきな鹿に遭遇したことも、あわせて思いだす)
眠すぎるが、頭のなかはかっかとしている。「どうぶつの森」をやりたいと主張するあーちゃんに、なんどもiPhoneをうばわれる。
川上弘美の句集『機嫌のいい犬』(集英社)を久しぶりに読む。ああ、この句すきだったなあ、となつかしく思う。あわてて、長嶋有『俳句は入門できる』(朝日新書)電子版を買って読む。こちらはWebの連載が元になっているのだが、それをけっこう追いかけてたんだった。この句すき、というのを感じられる程度の自分が、じっさい句をつくってみたときの、理想とする句との距離の遠さ。かたちになるまでの、むずかしさを思う。俳句はむずかしい! ノートに書きつけてみるが、なんか、そのまますぎる。すこし不安になってくる気持ちも、寝不足のせいだろうから、夜はあーちゃんといっしょに、すぐ寝てしまう。
夕食 麻婆豆腐