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2020-06-23

日記 | 六月二十二日(月)

 朝、幼稚園へあーちゃんを車で送っていく。ゆっくりと駐車場を出る瞬間、ガラスの扉が閉められた玄関内にいるあーちゃんと、手を振りあう。毎朝いつも。この瞬間がとてもすきだ。交通事情によっては振れないこともあって、そういう日は「ふってなかったでしょ」と、あとから言われる。傍らの先生がいっしょに手を振って促してくれるのだが、今日はあーちゃんがひとりでちいさく手を振っていた気がする。そのとき、玄関の扉からすこし離れたところにある親子がいた。行きたくないのか、離れたくないのか、おかあさんにぎゅうとしがみついている子。困ったような、でもおちついた表情でしゃがんでいたおかあさんの、長いスカートの裾が、さらさらと地面に広がっていた。運転しながら、ふたりの姿がずっとわすれられなかった。

 そういうときもあるよね。いまはたまたま、あーちゃんは幼稚園へいきたい周期にはいっているだけで、またいつ「いきたくない」ってなるかわからないし。ということ以外にも思っていたのは、自分が子どものころ、そんな気持ちになったことが、それを親にたいし表現したことが、あったのだろうか?ということだ。あまり記憶がなかった。わたしは九ヶ月から保育園に預けられていたが、卒園までずっといた園のことがすきだったし、そのことをネガティブに思ったことがほとんどない。それでも、さびしいという気持ちの表現のしかたが、わからなかったのではないか、というようなことも思う。あんなにも、すなおな表現を見て、わたしは泣きたいような気持ちになっていた。

 自分が子どものころにしてほしかったことを自分の子どもにする、ということはちょっと単純すぎる、と思っている。それはきっと、鳥羽和久『親子の手帖』(鳥影社)の影響があるのだけど(読んでほんとうによかった本。新刊も買わなきゃ)、そういうとき見ているのは子どもじゃなくて、自分だからだ。例えば、一昨日スーパーへ行ったとき、コスメをモチーフにしたプリキュアの食玩を思わず買った。子はもちろん喜ぶだろうし(まだ見せてないのだ)、さいきんコスメを欲しがっていたという前提があるけれど、そのとき見ているなかには、魔法少女のおもちゃが欲しくても買ってもらえなかった、幼いころの自分がいる。

 あたりまえだけど、子は自分とはべつの人間だ。なかなか難しくても、子じしんを見ないとな、と思う。先週末、朝のんびりと洗濯を干そうとしていたら、「はやくようちえんにいきたい」と泣きだしたので、慌てて送っていった。その前日は、雨が降っていたから早めに迎えにいったのだが、車に乗りこむなり「はやい!」と言われていた。滞在時間が長いほうが、そのぶんおもちゃで遊べるから、と理由だった(今朝は『はやくいくと、せんせいにすみっコのえ、かいてもらえる』と言っていた)。それだけでも、べつの人間だ、と思う。二ヶ月間の休園があって、初めての給食など、幼稚園にたいする期待がぐんと上がった、というのもあーちゃんを見ていると感じることだ。

水耕栽培している多肉植物

 帰ってきてから、PCで昨日の日記を書く。先週から、書きたい気持ちになっていたのを掴みそこねていたのだが、今朝楽しみにしている日記が更新されていたのを読んで(起きてすぐ布団のなかでスマホを見るの、目が痛くなるからやめようとなんども思ってはやめられない)、自分も書こうと思った。久しぶりにブログが更新できてうれしい。偶然、夫もこのHPを更新していた(『どこある』のお取り扱い店舗のページができました!)。

 年に数回、アンパンマンの歌を聞いて泣きそうになることがある。あーちゃんが「くるまのなかで、アンパンマンのうたがききたい!」と言っていたのをお迎えまえに思いだし、夫に聞けるようにしてもらって、それを流しながら迎えにいったのだ。「アンパンマンのマーチ」はシンプルにやばく、「アンパンマン体操」はほんといいこと言ってる……。メロディ的には「いきてるパンをつくろう」がすき(死を連呼する歌詞もすごいが)。昔から推しはロールパンナちゃん、クールでミステリアスで中性的なキャラにわたしは弱くて……とかんがえているあいだ、後部座席ではあーちゃんが歌っている。歌詞がちがっているけれど、かわいいので訂正しない。

梅雨曇鏡のなかの吾子歌う  かおり

 以前、運転中に思い浮かんだ句なのだが、この鏡は後ろにいる子の様子をうかがうために、運転席の前あたりに設置した小さな鏡のことだ。車を使って寝かしつけをしていた時代には、重要な役割のあった鏡だった。

 唐揚げが食べたかった。揚げものをするのが面倒すぎて、夕飯は懲りずに(というのも、食べてからやっぱ揚げたほうが美味しい……となることがほとんどで)揚げない唐揚げを、オーブントースターでつくる。レシピで規定された時間ではあまりに生焼け感があって、何回も追加で加熱したせいだろう。かりかりした衣はよかったのだが、ジューシーさが損なわれていた。

 

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