2020-10-22 |
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俳句
熊楠といえばキノコ。2014年頃の夫
夏まけの夫いくらか熊楠似 かおり
「世界」11月号(岩波書店)掲載「岩波俳句」にて、池田澄子選・佳作をいただきました。ありがとうございました!
「岩波俳句」へは、大ファンである選者の池田澄子さんに、自分の句を読んでもらいたい……!という一心で、投句を始めました。池田さんの〈じゃんけんで負けて蛍に生まれたの〉は、俳句に興味をもった六年ほどまえに出会い、ずっとだいすきな一句です。思いがけず、初掲載がかない感無量でした。
季語は「夏まけ」で夏。漢字で書くと負け。「夏痩」の傍題になり、暑さにバテて痩せてしまう状態を表している。
夫は顔が濃い。出身地はわたしとおなじで岐阜だが、とにかく濃い。顔の濃い有名人などをみると、夫のことを思いだす。出産後、一ヶ月ほど実家で過ごしていたとき、あまりの辛さとさびしさから、山田孝之の画像を必死に検索していたという、よくわからない思い出がある。
学者である南方熊楠も、おそらくそうやって、夫と結びついていたのだと思う。
夫は暑さに弱い。今年もしんどそうだった。粘菌学者であり、野山を駆けめぐっていた熊楠はきっと夏まけなどしないだろう、という勝手なイメージから、掲句ができた。できあがったあと、熊楠の顔写真を検索してみたら、思っていたより夫とは似ていなかった。
この記事を書きながら、熊楠のことをいまいちど調べてみたら、多汗症のため夏は一糸まとわぬ姿で過ごしていたという記述があった(出典はウィキペディア)。夏があまり得意ではなさそうという点で、自分のイメージだった、似て非なるもの、というわけではなかったかもしれない。
夫が登場するといえば、池田澄子さんの句で好きなものがある。自分もそんな気持ちで、夫にたいしているような、と思わされる。
定位置に夫と茶筒と家守かな
句集『空の庭』
いつもそこに在ることの安心感。
屠蘇散や夫は他人なので好き
句集『いつしか人に生まれて』
自分以外は他人である。だからこそ、ありがたくも感じられる。
木下闇ときどき亡夫がこちら見る
句集『此処』
最新句集である『此処』(朔出版)には、亡くなられた夫君の句が収められる。言葉なく、じっと見つめかえす姿を思い、胸がぎゅうとなる。夫とはひとまわり近く年が離れているのだから、自分にもいつか、そんな夏が来る。
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2020-10-15 |
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日記
ある日。
図書館に予約していた本を取りに行く。駐車場が混みあっていたので、すぐ屋上駐車場へ向かう。駐車能力に自信がないので、目的地からいくら遠くなろうと、停めやすい場所のほうがいい。空いていた屋上駐車場から見えた雲が、本気をだしていた。
ある日。
暑いあいだは履く気にならなかった、古着のカーゴパンツを履く。きつい、まではいかないが、腰まわりがぴったりしている。このパンツは、自分にとってもうずっとぶかぶかで、ひとえに楽だから履いてきた一着だった。肥えた。体質的にあまり太ることがなかったので、すこし驚いて、夫に報告。ひと月まえから飲んでいるサプリ「エビオス」(胃腸にいいらしく飲みはじめたが、栄養剤の面もある)のせいではないか、という結論になる。サプリにそんな効果もあるとは。
ある日。
ハローワークで職業相談。職員さんが「そういえば、こちらはどうかと思って……」と、まえもって用意してくれていたのが、先々月に不採用になった求人だった。職員さんと笑いあう。質問してみたところ、落選した求人に再応募するのは、半年は期間をあけたほうがいいとのこと。
ある日。
娘の薬を貰いに小児科へ。その病院へは、六、七歳頃まで住んでいた地域のちかくを通りかかる。帰り道、なんとなくその辺りにあったスギ薬局でミニッツメイドのジュースを買い、駐車場で飲んでいたら、「ここはむかし、パチンコ屋だった」ということが、急によみがえる。とにかくひとりでふらふらしている子どもだったので、いちどだけ入ったとき、その騒がしさに驚いた。小学校低学年くらいまでの記憶に、強烈なノスタルジックをかんじるのは何故だろう。
ある日。
文芸作品を初見で朗読し、感想などを述べる「ブンゲイ実況」という音声配信がツイキャスであり、BFCオープンマイクに投稿した俳句十句『獅子座』 を取りあげてくれることを知る。
どきどきしながら聞いたが、とても楽しかった! 作者としては、いちおうの意図などがあるのだけど、それが答えというわけではないと思っている。なんとなくできてしまった句も多い。そんなわたしの背景よりも、ずいぶん面白く読んでもらえた。
また、無意識だったぶぶんに指摘をもらえたことも、ありがたい。例えば、夏と冬といった「異なるものを一句にはらんでいる」印象があること(「ムーミン」、「背泳ぎや」の句)。全体的に「大人目線じゃない感じがある」ということ。これも意識しているわけではなくて、幼稚であることがひとつ、自分の特色かもしれないという発見があった。
「ブンゲイ実況」のハギワラシンジさん、ゲストの星野いのりさん、宮月中さん、どうもありがとうございました!
ある日。
「ヒロアカ」のアニメを、映画も含めすべて観て、コミックスも最新刊である二十八巻まで読み終えた。おそらく、少年漫画にここまで嵌るのは、はじめてのことだ。
もともと、ネタバレを気にするタイプではなく、すすんで見にいってしまうくらいなのだが、「ヒロアカ」にかんしては自分なりに慎重だった。本誌はさておき(きっとずっとしんどいのでしょう?)、読めるところまで読んだのだからと油断していたら、うっかりショッキングな考察系のネタバレを見つけてしまう。もし、それが本当だったら、先生の意地悪! と叫びたくなってしまうような。いや、すでにこれまでも、いろんな描写で先生の意地悪! と叫んできた気がするが。
よくよくかんがえてみると、わたしがぼうっと読んでいたから気づかなかっただけで、もしかしてみんな知っていることなのかな?という気がしてくる。信憑性をおびてくる。抱えきれなくなり、夫に「知ってる?」と聞いてみようとするも、一切ネタバレを受けつけないタイプである彼に、わたしは何も話すことができないのだった。
ある日。
幼稚園の参観日から帰ってきた夫に(保護者一名しか参加できないのだ)、どうだったか聞いてみる。恥かしがっていただろうか……というこちらの予測と反し、授業中のあーちゃんは、めちゃくちゃ発言していたらしい。「家におるときと、一緒やよ」と夫は言う。ただただ、驚く。
ある日。
九月が終わる日。季語には、ただ一日のことだけを言うものが多々あり(祝日や忌日など)、旧暦九月の晦日をあらわす「九月尽」もそのひとつだ。秋が尽きる日の、前日とはいったい、どのようなものだろう。その感情などをかんがえていると、九月尽という季語のことがどんどん気になってくる。旧暦なので、本来の意味では今日のことではない。それなのに、心のなかでは「九月尽」と、なんどもとなえていた。
このところ、俳句が全然できていない。
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2020-10-13 |
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書評
タイトル文字の銀色の箔押しがかわいいのだ
柳本々々さんが気になる。そう思ったきっかけは、Twitterで知り参加させてもらった「つくらない句会」(自句ではなく、他者のつくった自分の ” 推し句 ” でおこなう句会)だった。選ばなかったけれど気になった句があって、そのどれもが、柳本さんの句だったのだ。いうなれば、こういう句をつくってみたい……! という気持ちになったのが、柳本さんの句だった。
お名前をよく見かけていた。まず、なんと読むのだろう、と思った。心を平らにして、いっきに読みとおしてみる。やなぎもともともとさん。すこし違った。ただしくは、「やぎもともともと」さんである。川柳、短歌、詩などを書かれているかただ(ブログ「あとがき全集」 )では入選句や短歌などが読める)。
そんなことを思いつつ、自分の本棚の眺めていたら、柳本さんの名前があったので驚いた。イラストレーター安福望さんとの共著『きょうごめん行けないんだ』(食パンとペン)である。発行された二〇一七年に、買ったはずだ(現在は入手しづらいようである)。手にとると、欲しいと思った気持ちを、ありありと思いだす。ほぼ直感だった。Twitterで本書のことを見かけたときは、おふたりをほとんど知らなかったが、タイトルがいいなと思ったし、むしょうに読みたくなった。
さいしょのほうを読み、それから読みかけのままだった。サブタイトルに『安福望 × 柳本々々 会話辞典』とあるとおり、本書はおふたりの会話から成りたっている。「挨拶」から「忘れる」まで、五十音順に章題があるのだが、すべてTwitterのDMでやりとりされたものらしい。そのほとんどが短く、ゆるやかにつづいていく。繰りかえされる、話題もある。基本、うずくまっていたり、ねむっていたりするところとか。
あらためて読んでみて、俳句に興味をもったタイミングで、また本書と出会えてよかったな、と思う。小津夜景さんについての記述があるのだが、三年まえだったら何もわからなかった(わたしは俳句をはじめてから、小津さんファンになった)。三年まえでも、成人式にでていない、ということがおふたりと共通していて印象的だったが、たぶんいまだからこそ、うなずけることがおおかったのだ。
以下、自分がうなずいたぶぶんを、すこしだけ引用してみる。
安福 海猫沢めろんさんがブログは祈りみたいっていってました。つづけてると祈りみたいって。
柳本 ああなるほど。お祈りのいちばんのポイントって、ときどき、こんなん意味あるのかなって問いかけることだとおもうんですよ。それは、続けることに似てるとおもう。
P.45「お祈り」
ブログをつづけていたときは、きっとこの心持ちだったと思う。
柳本 俳句って不思議ですよね。なんだろうってときどき考えるんだけど。こんなこと言ったら怒られるかもしれないけれど、俳句ってゾンビになれるひとだけだとおもうんですよ。ぼんやり風景をみられるひとだけ。ゾンビになれないと俳句はできないとおもうな
P.130「ゾンビ」
うなずくというより、笑えたところ。
柳本 ぼく、そのとき、あっそうか、表現って事務との戦いなんだなってはじめてわかったんです。たたかうのは、じぶんとかだれかではなくて、事務とたたかうんですよ。事務処理と。
安福 事務との戦い! それすごくわかります。
柳本 事務に負けたら表現できないんですよ。
P.141「戦い」
もっともうなづいたぶぶん。事務とは、例えば〈これはどこにだしたとか〉、投稿した作品の管理などを指す。
本書を読んでから、すぐ『バームクーヘンでわたしは眠った もともとの川柳日記』(春陽堂書店)も読んだが、とてもおもしろかった。そして、柳本さんの影響で(すきなのだそうだ)、積ん読していたブローティガンを読みはじめたわたしだった。
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2020-10-08 |
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俳句
公園で見つけた、たぶん野生の秋のばら
書けばみな私小説めく残暑かな かおり
10/2付愛媛新聞「青嵐俳談」森川大和選・入選をいただきました。ありがとうございます! 今回はなんと、俳句の仲間と一緒に並ぶことができて(岐阜勢、すごい!)、とてもうれしかったです。
掲載ページはこちら
ついさいきん、韓国の作家グカ・ハンの短篇小説集『砂漠が街に入りこんだ日』(原正人訳、リトルモア)を読んだ。どことなく乾いていて、悲しくて、漂っている感じが好きだった。
本書は韓国語ではなく、パリへの移住後に学んだというフランス語で書かれた作品だ。フランス語だから書きえた小説であること、母国語では自分に近すぎるから書けない、という趣旨のことがあとがきに書かれていたのが(手元に原本がないので記憶で書いています)、印象的だった。
そうだ、わたしも小説を書くと、自分に近すぎてしまうのだ、と思った。私小説を、書こうとしているわけではないのに。
俳句という表現形式は、自分からはなれることに適しているのではないか。俳句を学びはじめそう思ったけれど、掲句はまだ自分に近い。
季語は「残暑」で秋。過去ブログ でも宣言したとおりの、エモ句である。近代文学的な、じっとり感をイメージした。そして、時代によって変容しながら、いつだって私小説は滑稽なものでもあると思う。
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2020-10-05 |
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書評
七年。待ちわびていた。翻訳家・岸本佐知子さんの新刊エッセイ『ひみつのしつもん』(筑摩書房)を。ここ三年くらいは育児にかけずりまわっていて、あまり自分の記憶がないので、体感的には四年ほどだったけれど。
待っているあいだは前作『なんらかの事情』、前々作『ねにもつタイプ』を繰り返し読んでいた。そのうち「◯◯の話が読みたい」と頁を捲っても、見当たらないことがたびたびあった。あまりにも繰り返し読んだので、頭のなかが勝手に、岸本さん的エピソードを醸造しはじめたのだろうか。(『きのこの話』が読みたいときなど、それは白水社刊『気になる部分』だという場合もある)
本作を手にしてまず、ぱっと開いた頁の挿画がこちらだった(クラフト・エヴィング商會さんの挿画はつねに最高だ)。思わず「ひっ」と声がでた。いやが応にも、内容に期待がふくらむ。
岸本さん、パワーアップしてないだろうか。ふつふつとうれしくなってくる。いっきに読むのがもったいなくて、一章ごとに本を閉じ、呼吸をととのえてから、次章にのぞむ。しかし今回も、途中から頁を捲る指が止まらなくなり、いっきに読んでしまった。
わたしは岸本さんに親しみを感じすぎているせいか、本作を読んでいた日には、はいていた靴下がまわる(五本指靴下だが、小指のぶぶんに親指が入っていた)、目のまえで子どもの〈味噌汁のお椀がテーブルの上ですーっと動く現象〉が起こる等の、本作とのシンクロニシティがあった。
次作が刊行されるまで、また何年だって待てる、と思う。それまでは、また本作(と前作、前々作)を何度でも、繰り返し読む。ゆっくりと、頭のなかで醸造がはじまるのを、感じながら。
上記は、今からちょうど一年まえくらい、岸本佐知子さんのエッセイ集『ひみつのしつもん』が発売された際、出版社によるTwitterでのキャンペーンに応募した文章を、加筆修正したものだ(文章内の年数等は執筆時のまま)。本書にかんして” なんらかのおもい “をつぶやくと、なにかオリジナルのグッズが貰えるという、キャンペーンだった。
Twitterでは、七個ほどのツリーになっていたつぶやきも、こうやってまとめてみると、存外みじかい。書評とも、感想文とも言えないものだけれど、ふとまとめておきたくなった。キャンペーンにはぶじ、当選することができた。だいすきである岸本さんのサインと、クラフト・エヴィング商會さん直筆(!)のイラストがついた栞をいただいたのだった。
ながねんの夢がすこし叶ったような、そんな気持ちになったことを憶えている。
な、名前が書いてある……! とえらく感動しました
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2020-10-01 |
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雑記
ぼくは当時、1日約30本(1箱半)吸ってました。 禁煙アプリによると、禁煙してから今までに吸わずに済んだ本数は、 12万8千619本!(2020年10月1日現在) じゅうにまんぼん!恐ろしい…
2020年10月1日からタバコが値上げということで。 禁煙のメリットデメリット、動機や努力(あんましてない)などを書いてみます。
禁煙のメリット
売っているコンビニを探さなくていい。 吸える場所やお店を探さなくていい。 手持ちの在庫を気にしなくていい。 寝つきが良くなった。 白い雑貨を買えるようになった。 きっと健康になった。
禁煙のデメリット
名古屋の大須で買った。はず。引き出しにしまってある。
禁煙の動機は「お金」
当時、1箱300円。 1ヶ月15,000円(50箱)、1年で18万円。 毎年マッキントッシュが買い替えられると気づいてしまった。
それまでに吸った金額は約270万円。 死ぬまでに吸うであろう金額は約800万円。 今やめれば800万円返済したことと同じか???(違う)
ただ、最初はやめるつもりは無く、減らそうと思ったのです。 簡単に減らせられると思ったのです。 タバコ吸うと落ち着くし〜。かわいいライターとか欲しいし〜。 1日3本くらいになればいいな〜。と。 そんなことを考えつつ節煙生活を始めました。
節煙生活で気づくニコチン依存
1日の平均を出すために、吸った時間をタバコの箱にメモることに。 5本の日もあれば、仕事が忙しい時は20本の時も。 少しずつ減らしていくぞ!と思いながら3ヶ月やってみた結果、 1日平均16本。 起きてる間は1時間に1本吸っている計算。 しかも節煙期間中は、「さっき吸ったから1時間は空けないとなー」「いやいや2時間がんばってみるか」などと、時計ばっかり気にしてました。
こんなんただのニコチン中毒やん!減らすことが出来ないならやめてしまえ!
ということで2008年12月31日の除夜の鐘が鳴る中、最後のタバコを消し、 2009年1月1日、禁煙を始めました。
禁煙の努力その①|ベタに禁煙セラピーを読んでみる
最初は禁煙のベストセラー本を読んでみる。 なるほど。しかしこの本だけではやめられません。
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禁煙の努力その②|フリスクを食べる人になってみる
禁煙1週間目あたり。口さみしさを紛らわすためにフリスクを常備する。 「すーっとする感じ」のものが苦手なんです。が、これも禁煙のため。フリスク民に。 (目薬もリップも歯磨き粉もすーっとしないものを使ってます)
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舐めながら深呼吸するとメントールタバコを吸っている気分なれました。 しかし!1日2箱とか食べてしまう。 1箱200円。1ヶ月で12,000円。タバコと変わらんやんけ! ということで1箱100円のミンティアに変更。ミンティア民に。 サンキューミンティア。
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禁煙の努力その③|ハーブタバコを吸ってみる
禁煙3週間目あたり。ニコチンの入っていないハーブタバコとやらを知る。 パッケージに蝶のイラスト。レタスとか入ってた気がする。 めずらしいタバコを取り扱っている本屋さんで発見、購入。 味は…まずい!臭い!煙がすごい!野焼き!? ミンティアを舐めながら吸って、かろうじてメントール風味に。 それでも1日5本吸うのが限界でした。 10ヶ月あたりまでぽつぽつ吸ってましたが、全部で20箱くらいで終了。
ぼくの場合は、ハーブタバコのおかげで無理なく禁煙できた気がします。
禁煙中の引越しはよいかも
7ヶ月あたりで引越しをしました。 自分の持ち物すべてがタバコ臭い!ヤニで黄色い!ことに気づかされます。 服も本もパソコンも衣装ケースも全部タバコ臭かったです。 服は全部洗濯し、衣装ケースなどは風呂場で洗い、本は処分して電子書籍で購入しなおしました。
1本吸ったら30本
禁煙1〜2年のころは「あ〜このタイミングでタバコ吸ってたなー」とか思うことがありました。 ただ、思い出すのは野焼きの煙と味。そして、減らすことができなかった自分は、普通のタバコ1本吸ったら1日30本吸う生活に戻ってしまうだろうなと。
なので、もうタバコを吸うことはないと思います。
フリスクとミンティアは、たまに買います。
このたび娘(あーちゃん、四歳になりました。めちゃくちゃ元気です!)がなんと、ある商品のモデルをさせていただきました。
それはなにかといいますと……「パパママカット応援団 」さんから、九月二十三日に発売になったばかりの「変身カットマスク」の新しい柄二種、プリンセスバージョンです!
顔に当てているのはピンクの〈お花プリンセス〉
子どもに手で持ってもらって使います。シートにプリントされた、ガイドラインに沿ってちょきちょき
「パパママ応援団」さんは、お家で子どもの前髪を切ることをきっかけに、親子の絆をより深めてほしいという思いから生まれた団体。オリジナルアイテムである「変身カットマスク」は、安全かつ楽しく、しかも簡単に前髪カットができちゃう優れものなんです。
黄色の〈キラキラプリンセス〉。(わたしもすこしだけ、登場しました!)
撮影前、プロの美容師さんに整えてもらっているところ
まだ美容院へいったことのない娘。わたしはいちど、前髪をめちゃくちゃ短く切ってしまって(しかもがたがた)、猛烈に罪悪感をかんじて以来……ずっとカット担当は夫でした(夫は器用)。とにかく、むずかしい! という先入観があったんですが、こちらなら挑戦してみたくなります。
もちろん、モデルをさせていただくのは初めてのこと。お声をかけてもらったときは、ちょっと心配してました。成長につれ緩和してきましたが、娘は人見知りなほうなので、撮影を止めてしまうかも?と。でも、カメラマンが公私ともにお世話になっている、スギヤマオサムさんと聞いてひと安心。七五三の写真も撮ってもらっていて、娘はオサムさんが大好きなんです。
そしてなにより、プリキュアやディズニープリンセスが大好きで、いつも「おひめさまになりたい!」と言っている娘、「変身カットマスク」とかわいい衣装で念願のプリンセスに! さいしょは緊張していたものの、撮影中はずっとご機嫌でした。のりのりでオサムさんの指示どおり動くあーちゃんに、す、すごい……と思っていたわたしです。
「変身カットマスク」はプリンセスバージョン以外にも、パンダや猫などかわいい柄が充実してますよ。ぜひWebサイト もチェックしてみてくださいね。
「パパママカット応援団」さんのプロデュースなどを手がける「COMULA 」さんに、今回お声をかけていただいたのですが(じつは句会をともにしているお仲間。撮影中のきびきびとした姿に、「さすが!」と思いました〜)、事務所の一角で営まれているショップ「work/shop 」でも、お取り扱いがあるようです。
撮影でお世話になったスギヤマオサムさん、ニューボーンフォトも撮られているんですが(ルタンウールー )、こちらもおすすめ。娘も撮ってもらいましたが、よい思い出です。
楽しくて貴重な体験ができました! みなさま、どうもありがとうございました。
楽しかったね〜!
2020-09-17 |
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俳句
※上記2点、主催者さまに作成していただいた画像をお借りしました
獅子座 ばんかおり
西日中幼子踊・踊・踊(ダンス・ダンス・ダンス)
ムーミンは夏に生まれし獅子座の子
冷奴おもんぱかるのなんてむり
おほきなる揚羽を貰ふどうしよう
背泳や片恋しひとみな魚座
汗ばめる夫即ちマリオかな
隻眼の青い金魚のゐる水槽
給食のサーモンかつにチャプチェかな
ぶだう捥ぐ加水分解してました
星とぶやねるねるねるねソーダ味
このたび、俳句作品『獅子座』で「BFC前夜オープンマイク 」に参加しました。わたしは「012」番に掲載していただいています。
BFCとは即ち、ブンゲイファイトクラブのこと。ご存知でないかたは、「ブンゲイファイトクラブってなに? 」をぜひご一読ください。わたしは主催者のおひとり、西崎憲さんのファンです。西崎さんのやられていることに、読者としてとにかくわくわくし、心を動かされてきました。さいきんでは電子書籍レーベル「惑星と口笛ブックス 」や、『kaze no tanbun 特別ではない一日』といったアンソロジー、そして、文芸誌「たべるのがおそい」の編集長をされていたことも、まだまだ記憶にあたらしいです。
昨年、開かれたBFCの告知を読んだとき、どきんとしました。小説を公募していた「たべるのがおそい」に、いつか作品送ってみたい、と思っていたこと。行動できないまま、終刊をむかえるころは、小説を書くことから心がはなれていたこと。これから始まることにわくわくしながら、自分に参加は無理だ、とすぐに思いました。それは、第二回開催の告知を見たときもほぼ変わらず、どきんとしたあと、わたしは応援する側、と思ったのです。
それが、「BFC前夜オープンマイクはどなたでも参加できる場です。400字程度の作品をお寄せください」という、告知の文章を読んだとき、ぜったい参加しようと思いました。掲載は先着順らしい、すぐに埋まっちゃうと焦ったわたしは、子どもを三秒で寝かしつけたあと(体感)、大丈夫かな、と緊張しながら、このブログで発表しようとしつつ全然手をつけていなかった(題名だけ決めていた)、俳句をまとめて送ったのでした。
十くらいないと、かたちにならんよね、あ、足りないからつくらなあかん、となりながらまとめた句は、つたなく(ぶだうの表記、ここはぶどうだったな……とか)、まだかんがえが足りていないものもあって、でも俳句のことばかりかんがえていた、この夏そのものみたいと思ってます(いまもまだかんがえている)。しかも、掲載していただいてすぐ、「好き」だと、ご感想つぶやいてくださったかたがいて、めちゃくちゃうれしかったです……!
オープンマイク、現時点で八十七作品が掲載されています。読んでいると、じわじわと自分も文章が書きたくなってきて、面白いです。散文がすきな自分は、べつに消えたわけではなかった。じっくり楽しみながら、来月の本戦開催を待ちたいと思います。
BFC主催者のみなさま、こういった機会をいただき、本当にありがとうございました。
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夫が集めているヒロアカのフィギュア、気づいたらこんなにあった(撮影 : 夫 )。わたしの好きな飯田くんはいない。このシリーズではまだ発売になっていないらしい。
九月一日(火)
雲がもう夏の雲ではない。幼稚園に娘を送っていった帰り、全体的にうすく広がっていた雲から、すこしだけ晴れ間がのぞいてきたところを見て思う。九月に入ったとたんに、もう?ちょっと待ってよ、という気持ちになる。
昨日は今週末に参加する、句会の投句締切りだった。それで、うんうん唸りながらがんばったので、今日はもうがんばらない。
夫がはまっていた『僕のヒーローアカデミア』のアニメを、お盆あたりからNetflixで観はじめ、まんまとはまっている。だいたい一日二話づつ観ていたのだが、アニメではつづきが待ちきれないようになり、コミックスにも手をだした。わたしは自分の推しが平穏無事であることを知りたいだけなのだ。ファンアートが見てみたくて、推しの名前を検索したら、ついネタバレを見てしまう。ちなみに推しは、飯田くんと梅雨ちゃん。
九月二日(水)
漫画の読みすぎで目が痛い。ぎゅいんぎゅいんに痛い。
iPhoneを使って隙間時間(といっても集中しだして、気がつけば長時間)に、際限なく読めてしまうから、電子コミックやばい。『ヒロアカ』を読んでいると、アニメ版は丁寧につくられているなぁ、と思う。原作では描かれていないことが加えられても、自然で破綻がないどころか、より良く思えるとか。コミックスでは、作者によるおまけ頁があるのが良い。誕生日とかの、プロフィールを読むのがすきなのだ。推しは無事だったが、だいぶんシリアスな展開に。なんども床に頭を伏し、呼吸をととのえながら、読みすすめる。
九月三日(木)
目が痛い。『ヒロアカ』原作、さらなる不穏の予感と、もうこれ以上は自分の頭の容量いっぱいだな、という思いからひとまず中断。漫画で先に読んだぶぶんを、アニメでおさらいする。いいな、と思っていた飯田くんの台詞があったのだが、声優さんの熱演で、さらにぐっときた。声優さんはすごいなぁ。すきな場面とうのは、繰りかえし観ても(読んでも)良いものですね。
K文学レビューコンテストに、ふとまた応募したくなり、課題本の一冊であるチョン・ソヨン『となりのヨンヒさん』(吉川凪訳、集英社)を読んでいる。つきあっているひとが、デザートに見えている……という冒頭作から、いきなり面白かった。締切りに間に合うかどうかは、ちょっと自信ない。
九月四日(金)
朝、Twitterを見ていたら、ミスドのオサムエコバッグの再販日が、今日だったと気づく。夫と開店してすぐのイオンへ。すでに、二十人くらい?の行列ですぐあきらめる。夫の用事を済ましてから、ミスドを横目に、十時半くらいなのにスガキヤでラーメンを食べた。
フードコートから見える、外が不穏な感じがするなぁと思っていたら、帰る頃には豪雨。傘はない。これから強まるばかり、と夫がいうので車まで走る。滝のような雨に打たれると、なぜか笑いが止まらなくなる。中学生の頃、おなじように傘をもっていなくて、十五分ほどの距離を豪雨に打たれながら帰ったことを思いだす。それが言いようもなく、楽しかったことを。