朝、あーちゃんが「あのさー」と言ったら、タブレットのAlexaが返事をした(Siriにはいつも『えい、しり』と呼び、『◯◯を英語で言うと?』とよく聞いている)。
ストレッチとラジオ体操、すっかり習慣になる。身体が動くようになってきた。ラジオ体操の後半にある、全身を足元から頭上へ、ぐるぐる回す運動がつらそうな夫に、わたしそんなことないけどなあ、と余裕ぶったら(またもマウント)、「できてないし。周回遅れやし」と指摘された。自分では気づいていなかった。
ごはんに緑が足りないなあと思うけれど、冷蔵庫には、使いわすれて萎びたきゅうりしかない。
いまいちばん読みたいと思っていた(そのときの気分でかなり変動するのだが……)、江國香織『去年の雪』(KADOKAWA)が届く。本書は登場人物が百人以上いて、とよく紹介されているのを読み、気になっていたのだ。冒頭をすこしだけ読んでみて、おお、そういうことか、と思う。わかしょ文庫さんの『ランバダ』二冊セットも届く。vol.1の書き出しに衝撃を受ける。
ほとんどの時間を庭で過ごす。今日はベランダに、保坂さん『小説の自由』を持ち出した。つねにあーちゃんが話しかけてくる。
「日中は子どもがいるから、読書に集中できない」というのを定説のように思っていたが、さいきんはもう、集中ってなんだっけ……くらいの気持ちになってきた。そのときに必要と思っている本を、五分くらいでもすきまがあれば、読んでいる。二、三行しか読めないときもある。それでいい。読めないことにフォーカスすると、そこから動けないような、気持ちになるから。
わたしが読みたいのは、そんなぐちゃぐちゃの状況のなか、本を読んだりなにかつくろうと、必死にやってきた / やっているひとの記録だ(読みかけの『天才たちの日課 女性編』がこれにあたるだろうか)。自分じしんが、それをこれまで日記に書いてきたのかもしれないけど。
夜、ひとりで起きていた。「東京マッハ」のライブ配信をYoutubeで観る。ゲストは海猫沢めろんさん。自分で選句しておく余裕はなかったが、話をただ聞くだけでも、面白かった。
夕食 鶏そぼろ丼、うめきゅう
三十度の予報どおりの暑い日。風が吹いていない。
夫がずっと庭で作業している。気づいたら、ベランダにあたらしい棚ができていた。ずっと窓も開けっぱなしなので、わたしたちは内と外を行ったりきたり。生垣の剪定を夫がしていて、あーちゃんは葉っぱをぶちぶちとちぎることに、興じている。常緑樹であること。そこから情報が更新されない庭木の葉は、いっけん、杉の葉のようにも見える。
わたしはベランダにだした椅子で、本を読んでみる。読みかけのイーユン・リーと、なんとなく本棚から手にとった『高校生のための小説案内』(筑摩書房)。後者は古書店で、編者である梅田卓夫先生の名前をなつかしく思って買ったもの。梅田先生は母校の教授だった。水が入ったコップの絵を描き、それをもとに文章を創作するという授業があった。文章にたいしては「ふうん」という感じだったが、コップの絵を激賞された記憶がある。わたしは絵を描くこともすきだったと思いだす。やさしい先生だったなあ。数年まえのこと、ともに本書の編集に関わっている、清水良典先生(も、母校の教授)の創作関連の本を読んでいて、そのあとがきで梅田先生が亡くなったことを知り、とても悲しかった。本書はいろんな作品の抄録が載っているのだが、頁をめくると、さいきん読みたいと思っていたシモーヌ・ヴェイユ『工場日記』があって、お、と思う。ほかには野上弥生子、S・レム、T・マン、吉田知子。イーユン・リーの文章は、置かれている環境などはちがうのに、それを知っていたと言いたくなるような、悲しみを湛えている。
「月刊おもいだしたらいうわ」のことをTwitterで知り、さっそく最新号のPDFを印刷して読む。そのなかに、友だちと「小説を書こう」と言い合う、という記述があって、いいなあと思う。わたしは書くことで、友だちといっしょになにかできればいいな、というところで止まったままなにもしていなかった。そのまえに、まずはひとりでやろうと思ったばかりだった。やってみたら「なにか」は、見えてくるかもしれない。
夕食の直前に、ベランダでビールと堅あげポテト(黒こしょう味)。堅あげポテトは好物なのだが、食べていると頭の周辺で、ばりばりという音しかしなくなるので、現実逃避しているような気持ちになってくる。
夕食 カレー(二日め)
良い天気。あーちゃんを着替えさせたあと、「くさい、くさい」とずっと言っている。鼻に手をあて、カーテンにくるまったまま、でてこない(そんなことしたら、よけい臭くないか)。換気してもだめで首をかしげていたのだが、通販で買って、開封してすぐ着せたロンTの匂いだった!
夫の所用についていくかたちで、ホームセンターへ。屋台のメニューがいよいよ恋しかった。三人で車に乗って外へでたのは、ほんとうに久しぶりのこと。車窓から、無職になるまえは毎日のように通っていた道路沿いの風景を、まぶしく眺める。思いのほか駐車場がいっぱいで、え、いいのか、という気持ちになる。ペットコーナーに行きたい娘を止められず、いいのかな、いいのかな、と思いながら入店。土日祝は休みだという、ペットコーナー付近は、だれもいなかった。なるべく足早にまわる。目のまえを、二十代前半くらいの男性が、うさぎの餌を小脇に抱えて足早に通りすぎていく。うさぎ、飼ってるんだね、と思う。
園芸コーナーにはひとがたくさんいて、ええ~、と思う。自分も来ているのだが。ミニトマトを栽培するキットが気になっていたが、やはり育てる自信がなく、買うのをやめる。あーちゃんが欲しがっている、朝顔の栽培キットは見つからず(苗はいろんな種類があった)。特売だったガーベラの花束を手にしたが、混んでいるレジを見て、売り場に戻す。
車のなかで、夫が買ってきてくれた、たい焼きとたこ焼きをたべる。しみじみ美味しい。化学調味料かな~?という味も感じるのだが、ここのたこ焼きはとろっとろで、ほんとうに美味しいのだった。夫も探していたものはなかったようで、あーちゃんにと、アンパンマンのひらがなをモチーフにしたパズルだけ買ってきていた。
家のなかにあるものでカレーをつくる。じゃがいもはなかった。にんじんは擦って炒める。
小説を書きたい(その中身はただ、書きたい場面がある、ということなのだけど)という気持ちと同時に、書きかたの勉強がしたいという気持ちが高まっていて、ひとりで創作のワークショップをしている体で、やってみようと思いノートにいろいろと書きだしてみた。保坂さんの本を読む、ワークショップ形式の本(持っているので思いうかぶのは、レアード・ハント『英文創作教室』くらいだけれど)の課題をやる等。
夕食 カレー(豚肉、玉ねぎ、にんじん)、夫作のゆで卵のせ
昨日は二十時半に寝てしまったので、さすがになにもしてないと感じる朝。自然に五時半には目が覚めるが、なにかするわけでもなく、iPhone片手に布団のなかでまんじりとする。
日記に書きわすれていたが、一昨日あーちゃんが「ひとりでねる」と言って、わたしも夫もいないなかはじめて眠った。理由が聞いても掴めなくて、なにの影響だろう?とそわそわしていたが(無意識に動画をいろいろ見せてしまってるので)、昨夜はわたしとだけ寝る、と言ったのだ。それで、いっしょに眠ってしまった。
なにもしてなさにうっすらと焦って、子どもの対応にも、余裕がなくなる。今日は夫が出社をする日で、久しぶりにあーちゃんとふたりきりで過ごす日だった。いなくなった途端に、喧嘩しはじめるわたしたち。そういうとき、子どもの要求はつよくなるのが常なのだが、面倒くさいという気持ちに飲みこまれそう。
庭であそぶ。「シャボン玉ひかる、ひかるものがだいすき!」という、あーちゃんの言葉をiPhoneにすぐメモしながら、どこか心ここにあらず。
もやしのナムルをつくる。一本いっぽん、芽と根を取っていくのがつかれるが、こうする以外の方法を知らない。
思ったより早く、夫が帰ってきてほっとする。ハムとナムルをのせた塩ラーメンで昼食後、子どもとふたりで散歩。ふたりきりで散歩をすることに、つかれを感じてきた。いつもあーちゃんはたのしそうだが、わたしには同じことの繰り返しに、思えてきてしまった。たんぽぽの綿毛を二本見つけ、それを吹くあーちゃんを写真に撮ったら、光がきれいに写っていて夫にLINE。それだけで、すこし気持ちが晴れてくる。急に暑くなった。帰ったあとは、半袖のTシャツを着る。
夫はベランダを過ごしやすく、改良することに燃えている。わたしはそこで本を読んで、あかるいうちからビールを飲もうと思う。今日はこまぎれの時間に、イーユン・リー「優しさ」を読みきる。
実家から貰いうけた、冷凍の豚肉480グラムをどうしたものかと、ずっと思案していたが、焼肉をすることに。冷蔵庫に入っていた野菜も、ぜんぶ焼く。フライパンで焼いただけだが、思いのほかたのしく、美味しく食べた。
こもりつづけた、四月がおわる。
夕食 焼肉(豚肉、キャベツ、ピーマン、玉ねぎ)、もやしのナムル
いつもなら、今日からゴールデンウィーク、という感じのする日にち。
午前中にイラストレーター・平松モモコさんのオンライン似顔絵。
わたしにとってはじめてのオンライン◯◯だ。こもりはじめるまえから、会いたいと思うばかりで会えていないひとたちには、オンラインでもすぐに会うことができない。ただ、自分から誘うことが苦手で、だれからも誘われないだけ、というのもあるけれど、またかならず会いにいくから、と思っているのもある(これを読んでくれているかた、もちろん誘ってくれていいんですよ)。あとは興味の幅がせまいから、参加したい、と思うものがすくないのも、あるかもしれない。
Instagramのビデオ通話を使う予定だったので、PCのほうがお話しやすいかしらんと思い、ブラウザからログインしようとして、パスワードわからなくなってて変更……と直前までばたばた準備していたものの、アプリからしか通話できなかったみたいで、けっきょくiPhoneを使うことになる。
似顔絵を描いてもらうのは三回めになる。まえ描いてもらったのは昨年の八月のことだ。「ばんさんのことは、もう見なくても描けます~」というモモコさん。さいしょ、告知を見たときすこし迷ったのだけど、今回は予祝バージョンがあるということで、それをお願いしたいと思ったのだ。予祝。字のとおり、あらかじめ祝うこと。おそらく引きよせに似たなにか……だと思うのだが、よくわからない(この日記を書いているいまも、ググったりしていない)。でも、おもしろそうだと思った。
わたしがあらかじめ祝ってもらったのは、短篇小説集が完成したこと。いま製作が止まっていて、それを焦るでもなくなっている新作zineの、装画をお願いしようとしているのが、まさにモモコさんでもある。
モモコさんはインタビューがとてもうまいと思う。判型、テーマや中身、タイトルについても話した。タイトルを言ったのははじめてだった。そのとき抱っこしていたあーちゃんを別室に移動させ、ひと呼吸おいてから、声にだした。顔がかっと赤くなる。それだけのことなのに、勇気がいった。
マーマーマガジンのどの号だったか、すぐには思い出せない。レースのブラウスにサロペットを着たモモコさんが載っていて、わたしはひとめぼれしたみたいな気持ちになった。輝いてみえた。推しってきっと、こういうことなのだろう。それでもいつも緊張しすぎることはなくて、ほんとうに楽しい時間。今日もたくさんお喋りできてうれしかった。おすすめされてずっと買えていない、セルヴォークのグロス欲しいな。慣れないし調整もうまくできなくて、わたしの声はとてもおおきかったはずだ。家族ごめん。
実家でよく母がつくっていたキッシュ(と呼んでいたが、実質スペイン風オムレツ)を久しぶりにつくる。レシピの時間より長めに炒めたはずが、じゃがいもも玉ねぎも固くてあーちゃんに不評。
夕食 ハムと玉ねぎ、じゃがいものキッシュ、トマトサラダ
所用で外出していた夫が帰宅し、コーヒーを淹れてもらって台所で飲みたいわたしと、いますぐシャボン玉したいあーちゃんとで、喧嘩になりかける。
そこで夫が、ベランダにアウトドア用の椅子をだしてくれ、先にシャボン玉をしていたわたしたちの元に、コーヒーを持って来てくれる。椅子、はやく出せばよかった……というか、自分は家具やアウトドア用品について管轄外という感じなので、気づくのが遅かった。いつも部屋とベランダの境い目に座っていたから、わたしに向かって飛ばされたシャボン玉が、部屋にたくさん入っていたのだ。それを見て、いつもあはは、と言っていただけだった。
夫もしばらく、いっしょにベランダでコーヒーを飲んでいた。あれ、仕事は?ということが脳裏にちらついていたけれど、聞かないでおく。夫、ありがとう。
散歩もすっかり日課になった。今日のあーちゃんは、ぜんぶの道を走っていた。「て、つないでるから、いいよね!」と言いながら。元気だねえ。いつもより早く散歩がおわる。アオサギのいた畑がなんか違うと思ったら、生えていたレンゲなどの草が、いっせいに刈られていた。なにか作物が植えられるのだろうか。あーちゃんも「くさ、ないねえ」と気づいていた。もうここに、アオサギは来ないかもしれない。
日曜あたりから、長芋を焼いて、しょうゆをジュッとかけて食べたいと思いつづけていて、実現する(夫に買ってきてもらった)。なんとなく、添加物すくなめのめんつゆに変更したけれど、やはりしょうゆがよかったかな、と思う。
夕食をたべていたあーちゃんが、西陽が差しこむ部屋を指さし、「あっちはゆうがたひかりタイム」と言っていた。
夕食 鯖の塩焼き、長芋ステーキ、ポテトサラダすこし、ピーマンきんぴら、味噌汁(二日め)
六時四十分起床。ストレッチ、ラジオ体操が、すっかり習慣になる。だいぶ身体も伸びるようになった。
あーちゃん「トイストーリー」を観ながらお絵かき。わたしは縫いかけのマスクのつづきをすこしだけ縫う。ネットで買ったマスク用のゴムが、昨日届いたので。
常備菜の小松菜おひたしをつくる。あーちゃんがいつも残す軸だけ、大人用のナムルにした。昼食の塩ラーメンにのせたら美味しかった。
風がつよい。シャボン玉をしていたら、急に「だめよ!」とあーちゃんが叫んだ。どうしたのかと思ったら、風に怒っていたらしい。夕方にちかづくと、すぐその場で座りたくなる。
池田彩乃『観光記』、『〈子ども〉のための哲学』のわからなさに挫けポチった、永井均『子どものための哲学対話』(講談社文庫)が届く。本が届くと、やはり良い日だなあ、と思える。帯に未映子さんおすすめ、と書かれていて、ひょっとして十年まえのわたしは勘違いして、前者を手にいれたんやろうか……。
『のどがかわいた』読了。イーユン・リーの「優しさ」という作品を紹介する文章があったのだが、すぐ読みたくなる。わたしはイーユン・リーをけっこう持っているはず……と本棚を探すと、四冊も未読のままだったことに気づいた。探していた作品は、『黄金の少年、エメラルドの少女』(篠森ゆりこ訳、河出文庫)の冒頭作として、収録されていた。わたしはきっと、イーユン・リーがすきになるに違いないと思い、四冊も買っていたのだ。そして、それは当たっていた。そうやって買っておいたままになっている本は、ほかにもたくさんある。ウルフはその代表的な例。
夜、寝落ちしなかった夫とともに、やっと『スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け』をPCで観た。映画じたい観るのが、ほんとうに久しぶり。んん〜。いいのだけど、わたしはたぶん、ラブを期待しすぎていた。運命、とか宿命みたいなもの、なんだかんだ言ってすきなんだ。
夕食 鶏の照り焼き、レタス、ポテトサラダ、小松菜おひたし、油揚げ、えのき、わかめの味噌汁
四月二十五日(土)
あーちゃん、着る服を自分でコーディネートする。マスタード色のセーターに、茶色いコーデュロイ地のパンツ(すみっコのとんかつの色らしい)。
散歩中、側溝にはさまっていた、ザリガニの死骸のまえで、あーちゃんが動かなくなる。ザリガニって、こんなに赤かったっけ?というくらい赤い。「なんでしんでまったんやろうね」と言う娘に、ここに挟まっとるのが不自然やと思う、これはだれかが、置いたと思うんやよね……という推理を伝える。
それから、なにか分からない、鳥の雛だろうか……?死骸があったのを見たがるのが嫌で、思わずいやや、とおおきい声がでる。ハエが飛んできたので、虫ぎらいなあーちゃんはそこから逃げだし、心底ほっとする。今日もアオサギはいない。
小説家・相川英輔さんの短篇『ハミングバード』(惑星と口笛ブックス)の朗読をnoteにアップした。すこしまえから、いつも音声配信をしているstand.fmの調子がわるく、問合せをしたら近日アップデートするとのこと(現在は直っている)。すでにアップされていたかたの朗読を聞いたら、自分のはまるで機械、ロボットのようだなあと思えてきて、急遽、車のなかで録りなおしたのだった。読めば読むだけ、うまくなっていく気がするが、ひとりになれる時間には限りがある。本作をイメージしたコラージュもつくっていたら、「いろんなことしとるねえ」と夫から感心される。
久々にこの味が食べたかった、というものを夕食に食べた。
夕食 タコライス(味つけは独自の解釈)。あーちゃんも辛くするまえのそぼろを食べるが、気にいった模様。
四月二十六日(日)
なんだか、いてもたってもいられない。我慢ならないという気持ちがわいてきて、手書きの日記も兼ねている、バレットジャーナル用のノートに書きだしてみる。すこしすっきり。だれにも見せない文章は、これから思考していくことの、素みたいなものだと思う。
コラージュ原稿が完成したので、祐子さんに送信。デザインはいつも夫である。
「かみなりふったら、おうちのなかでくらそうね」午後から雷の予報で、散歩に行く気にあまりなれず(でも雷にはならなかった)。
庭でシャボン玉。いつもあそんでいるのは、その昔わたしがアルバイトをしていた「アラスカ文具」で買った、ちいさなアヒル型のものなのだが、今日はあーちゃんの顔ぐらい大きなシャボン玉がつくれる。
本が読みたいという気持ちがつのる。
身体が怠く、食べたいものがなにも思いうかばなくて、夕食はツナとレタスのチャーハン。先週もそんな感じだったので、日曜の夜はもうこんな感じでいいか、と思う。べちゃっとしていたので、一般家庭の火力の限界や、と言い訳。
夜、ばきばきに目が醒めていた。十年ちかく積んでしまっていた、保坂和志『小説の自由』(新潮社)をやっと! 読みはじめる。
四月二十三日(木)
寝落ちした。今日は新月(どうりで昨日はぱんぱんな感じがしていた)。
保坂和志さんのInstagram(Twitterも同様)の投稿に、休校がつづく生活のなか、子どもといられる時間がふえて楽しいと友人が言っていたことが、書かれていた。保坂さんはそれを聞いて脱力したとあり、そのあとにつづく記述にも感銘を受け、ノートに書きとめておく。まず、そう思えていいなあ、と思った。でも、自分には無理という気持ちより(今月頭はそういった気持ちでいっぱいだった)、自分もそう思えるかもしれないという、気持ちの余白を感じる。力をぬけばいいのだ。
庭でシャボン玉。あーちゃんの吹いたのと、わたしのがくっつき、おおきくひとつになったことに驚嘆する。
ひとりでスーパーへ行く。肉、魚、野菜など先の献立を見こして(この見こす、ということが苦手なのだが、仕方ない)かごに入れ満足していたら、会計時に財布がないことに気づく。焦る。店員さんに、レジでの取り置きをお願いし、慌てて帰宅して戻る。スーパーにもビニールの幕、店員さんの手にはビニール手袋。セボンスターチョコレートを買って、車のなかでそそくさと開ける。
「ajiro」のオンラインストアで購入した、文芸誌「ことばと」(書肆侃侃房)が届く。保坂さん、千葉雅也さん、小林エリカさんの作品を読むのが楽しみ。
夕飯 麻婆豆腐(だった気がする。副菜はわすれてしまった)
四月二十四日(金)
今日も胃腸の調子がわるい。夫もつかれているようだ。
やわらかい黄色の、もこもことした集合体が恋しくて、Twitterでモッコウバラがみたいと呟いたら、すぐに画像をみせてくれた優しいかたがたが。じんわり。ありがとうございました。
夕方には、ものすごい雷。SNSによると、ちかくに落ちたらしい。
「だいぶまえ、きょうりゅうににボールをとられる、ゆめみた」とあーちゃん。寝るときにみる夢の話をするのは、はじめてのことかもしれないと、メモする。
Kさんから手紙が届いた。うれしくてすぐ開封して読む。
寝かしつけをしていたら、「かあちゃんがこどもになったら、すべりだいいっしょにすべろうね」と言われた。あーちゃんが眠ったあとも、布団のなかでじっとしたまま、泣いていた。できるなら、子どもになりたい。子どもになって、あーちゃんとあそべたらよかった。大人になんて、なりたくなかったのは、わたしだったかもしれない。
起きあがる気力がわかないまま、東浩紀「コロナ・イデオロギーのなかのゲンロン」(『ゲンロンβ48』)を読んだ。アシモフ『はだかの太陽』が読みたくなる。
夕食 焼きそば、ミニトマト