toggle
Blog
2020-04-22 | Blog, 日記

思いだす日記 | 四月十三日(月)

子どもの塗った、ぬりえ。

 ずっと雨の音がしている。台所で家事をしていてふと振りかえると、あーちゃんはぬりえをはじめていた。このところはずっと、朝食に使う卵を混ぜること、トーストのバターを自分で塗ることもすきだ。

 午前中、振込などの用事を済ませるため、ひとりでコンビニへ行く。車を運転するのがほんとうに久しぶりで、足元がすこしふわふわする。ATMにいたら、老人男性がにじり寄ってきたので逃げる。コンビニのレジカウンターのまえ、店員さんと自分の境に、ビニールの幕がだらりと垂れさがっていた。しずかに衝撃を受ける。車のなかっていいかもしれないと思いながら、いっしゅんで帰宅。部屋の延長上というか。わたしはひとりになりたいときの、逃げ場所をさがしていた。

 用事を済ませた達成感で勢いがつき、ずっと気になっていたことを電話で尋ねる。娘が月に一回通院して、貰っている薬のこと。急を要する症状ではないため、非常事態宣言がだされたいま、病院へ行くことじたい避けたほうがいいのか。でも、三年ほど治療しているものなので、勝手に中断していいのかも、わからない。かかりつけからは「親ひとり来るだけでいい」という返事で、かなりほっとした。やはり、子どもといっしょに外出して、さっと帰ることは困難だから。

 昼食は温かいたぬきそば。甘辛く煮た油揚げだけ、あーちゃんにあげたら気にいっていた。

 これまで、ずっと食事中もNetflixなどで、動画を観せていた。離乳食が大変だったころに癖になってしまい(動画に気がいっているうちに、口にいれる……)、もうずっと言われるままに観せていて、なにが観たいか毎回ちがう番組をさっと言うことに感心すらしていたのだけど(ペッパーピッグ、カズープ、ミッフィーなどなど)、やっと、やっと止めようということになる。動画に夢中になって、ごはんがぽろりとか、箸じたい止まってるとか、さすがにあかんやろとなった。説明すると、そこまでごねることなく受けいれてくれる。こちらが気づくのが、いつもいつも遅すぎる……。

 阿久津隆『読書の日記 本づくり / スープとパン / 重力の虹』(NUMABOOKS)が届く。ああ、かわいい。本棚にはしまいたくなくて、すぐ本だらけになる自分の机のうえに、まずは置く。

 雨がふりしきるなか、車内に避難して、ラジオ収録。家ではあーちゃんが夫と、子ども番組を観はじめているころだ。二十分ちかく話す。声をだすと自分が整っていくような気がする。ざあざあという雨音も、いっしょに録音されていた。

 夕方すぎ、昼ごろ来る予定だった火災報知器の点検と、父母の来訪がかさなり、わたわたとする。これでしばらく会えなくなるのに、あまり落ちついて話せなかった。

 夕食は、冷蔵庫にあった豚肉とキャベツでチヂミ(お好み焼きソースを切らしていた)とビール、中華風スープ(二日め)。チヂミは生地だけつくり、夫に焼いてもらうことにしたのだが、生地の見た目が関西風お好み焼きすぎて、一枚めはぶ厚く焼いてしまう事案が発生。タレなしであーちゃんにも。たくさん食べた。

2020-04-21 | Blog, 日記

思いだす日記 | 四月十一日、十二日

四月十一日(土)

葉桜だけになった、桜の枝。

 五時半起床。がさがさの声でラジオの収録をする。このまま朝の習慣にできるだろうか。取りあげたのはジャネット・ウィンターソン『灯台守の話』(岸本佐知子訳、白水Uブックス)。なにげなくめくった頁に、こうやって声を録音していることと、かさなる描写があって、そこをそのまま音読する。

 「これ、なんでしょうか!」

 朝食のホットケーキを食べていると、かじるたびに変わっていくかたちのクイズをあーちゃんがだしてくる。「やまっていって」、山、「せいかーい!」という、やさしいクイズ。ほかにあった答えは、さんかく、やじるし、きょうりゅう、すべりだい。

 きくちゆみこさんの音声配信「あるきながらしゃべる」を自室で聞く。名まえのとおり散歩しながら録音されていて、時折ごうごうと吹く風の音、咲いている桜の花、すれちがった走る子ども−自分は座っているだけなのに、うつろっていく景色を感じる。星野道夫さんの言葉「姿を見せることだよ」、アボリジニの「ドリームタイム」のことも、とても気になった。

 家のなかでは、葉だけになった桜の枝を、ずっと飾っている。常備菜のピーマンきんぴらとにんじんのグラッセをつくる(おもに娘用)。

 今日も庭でシャボン玉。風がつめたい。夫はベランダの掃除をしている。

 「たぶんシャボン玉は、かあちゃんのこと、すきなんやとおもう」

 そうあーちゃんが言うので、なんで?と聞くと「やっぱ、そうおもったで」と言う返事。

 ベランダに置いていた、ベビーカーを処分するという話に夫となり、もうずいぶん使っていないし、使いこんでいるので譲ったりもできないし(譲れる相手も周りにいない)、そうするしかないけれど、毎日のようにベビーカーを使っていたころを思いだし、胸がぎゅうとなる。そうやって抱っこ紐ともわかれた。あーちゃんの手が、シャボン玉液でべたべたになっていた。

 昼食はナポリタン。ケチャップで炒めたウインナーだけあーちゃんに取りわけるが、「舌があつくなる」と言って食べず。わたしはウインナーの油分に、すこし胃腸をやられた。

 自分の父母のぶんも、マスクをつくることを思いたつ。娘、自分の洗いがえにも取りかかる。ゴムを通す段階で、とたんに面倒に思えてくるので、そのまえの状態まで、とりあえず縫う。

 夜になるにつれて、心ぼそさがやってくる。日記本をつくったことがとおくに感じられる。あたらしくつくる本も、もともと書きたかったことを、そのまま書けるとは思えなかった。お金はなくなっていく。絵の依頼とか、ほんとうにできるのか。

 わたしはなにをしてるのだろう。虚空に向かって呟いてみる。

夕食 味噌煮込みうどん

四月十二日(日)

 TwitterのTLに流れてきた、アーティストと政治家の動画が目に入る。

 うわあ。なんだあれ。ぐつぐつと怒りを感じ、ぐつぐつぐつと世間(わたしのTL内)の怒りがわいてくるのを感じる。それを見るのもつらいので、ひとまずTwitterの画面を閉じる(それから何回か、うす目で見た)。

 怒っておいてなんだけど、わたしは星野源の件の動画を、いちども音声ありで再生したことがなかった。TwitterやInstagramで、ふいに流れる無音の動画をただ、眺めていただけだった。だからどんな歌詞で、メロディなのか知らない(いちじの情熱は失ったが、いちおうファンである)。

 スマホはいつも無音だ。文字だけなら大丈夫なのに、なぜか動画は見させられているように思えて、集中できない。ライブ配信はその極みで、その時間に画面のまえにいないといけないと思うと、逃げたくなってむずむずしてくる……。さいきんとくに、その傾向がつよい(出演するのは平気です)。

 なにも考えたくなくなって、マスクを縫いはじめる。手をうごかしていると無心になれる。なにかをごまかし、思考停止しているのだとしても。

 自分の洗いがえのつもりで縫っていた一枚を、母にあげたほうがいいような気がしてくる。実家にはしばらくいっていない。週にいちど、玄関先で母から食材などを受け取るのが(たまに父)、習慣になっていた。もうそれを、やめたほうがお互いにとっていいのでは、という思いが浮かんですぐ(そのぶん親たちがスーパーに長くいることになる)、スマホからメールする。

 食材じたいは自分たちでどうにかできるのに、どこかそれが親たちとつながっている行為で(わたしのためになっていると親がわは思っているであろうし)、親孝行のひとつだくらいに思っていた。あと一回届けてもらい、「それでやめておこう」という結論になって、安心すると同時に心ぼそい気持ちになる。自分が母と父に会えなくなることが、たださみしかった。

 となりの部屋であーちゃんと夫があそんでいる。わたしは台所でマスクを縫いながら、気がつくとそのとき聞いていた歌を、大声で歌っていた。気持ちがよかった。聞いていたのは、未映子「人は歌をうたいます」(あらためて歌詞のよさにも気づく)。すこしだけ、自分のための音楽が、戻ってきたような気がした。

 父母のぶん二枚(計四枚わたすことにした)、あーちゃんが一歳ごろに着ていた、ストライプ柄のオーガニックコットンのワンピースをばらしてつくった、夫のぶん一枚が完成する。縫い目を追いすぎて、目が痛い。

夕食 麻婆豆腐、レタス、マカロニサラダ、しめじとわかめの中華風卵スープ

子どもがお絵かきをしているところ。

2020-04-19 | Blog, 日記

思いだす日記 | 四月十日(金)

シャボン玉で遊ぶ子ども。

 今朝も「きょう、ようちえんある?」とあーちゃんは問う。

 「◯◯ちゃんは、あーちゃんにあいたがっとるかなあ?」

 いちばんの仲よしである、一個うえのクラスの◯◯ちゃんの連作先も、どこに住んでいるのかも、わたしたちは知らなかった。

 朝食よりまえに、昨日描いていた絵のつづきを描きはじめる。水性ペンを使っていたのだが、力づよく描きすぎてペン先がつぶれる。ちいさな穴も開いて、不機嫌になる。裏から紙を貼って穴をふさぐと、クーピーに変えて描いていた。

 独自の非常事態宣言でる。外ではなにか放送している声がするが、家のなかからはよく聞こえない。

 このところ、岸本佐知子「年金生活」のことばかり、思いだしている。年老いた夫婦のもとにある日、年金が給付されることになって……という、ディストピア掌篇。

びっくりした。何をいまさら。いやそれ以上に、政府というものがまだあったことに驚いた。国のいちばん偉い人が誰なのかもよくわからなかったし、気にもしていなかった。

岸本佐知子「年金生活」(『kaze no tanbun 特別ではない一日』柏書房 所収)

 

 晴れている。「月日会」に日記をぶじ投稿したあと、あーちゃんとふたりで庭にでた。はんぶん物置のようになったベランダと、ほんのちょっとの庭。シャボン玉したい、と言われるまで、外にでたいなら庭にでればいいことを、忘れていた。

 「たいようにあたると、シャボン玉ひかるんやよ、みる?」

 風がつよすぎてごうごういっているなか、あーちゃんがシャボン玉をするのを、ただ見ていた。さむいさむいと、ふたりして狭いベランダにすぐ戻って、そこからまた、シャボン玉を飛ばす。

 なんとか星人の歌と、恐竜が追いかけてくる歌。オンライン幼稚園でよく流れている歌のサビだけを気がつくと、口ずさんでいる。そのたび、「そこしかしらんの?」とあーちゃんに言われる。

 夫から、Instagramに投稿されていた、入園式の写真を見せてもらう(わたしたちは欠席)。またすこし切ないような気持ちになる。屋外で、社会的距離ぶん離れて並んだ、ふたつの椅子。

 「こういうときこそ本を読もう」という言葉に感じた、もやもやについて考えていた。Twitterでその理由を言いあててくれたように思えた呟きを見てすぐ、その反対のような意見を目にすれば、それにも納得できる。どうもわたしは、自分の読みたいときに読みたいだけで、ひとから言われて読むものではないし……と感じているようだった。強制するつもりで、だれも言ってなんかないのに、そんなことを思うわたしは、つかれているのだろうか。そこから思考はふかまらない。

 夜は寝落ち。

夕食 肉じゃが、食べ忘れていた三日めの味噌汁(意外と大丈夫)。

2020-04-18 | Blog, 日記

思いだす日記 | 四月九日(木)

子どもの描いた絵。タイトル「ぶどうの実と、おともだちおる絵」
「ぶどうの実と、おともだちおる絵」

 起床してすぐ、六時ごろ台所でラジオの収録。本にあったすきな文章をメモしたノート(前半で止まったまま)をめくったら、金井美恵子「愛の生活」の主人公が、一週間ぶんの夕食を思いだそうとする場面が書かれていて(シンクロニシティ!)、そこを読んでみようと思いたつ。夕食を手がかりに、日記を書こうとしているわたしとは、ぜんぜんちがうけれど。

昨日の夕食に、わたしは何を食べたのだったろう? 昨日の夕食に、わたしが食べたのは、牡蠣フライ、リンゴとレタスのサラダ、豆腐のみそ汁だった。

一昨日は、ポーク・チャップとジャガイモのサラダと葱と油揚げのみそ汁を食べた。昨日の昼食はクロワッサンに牛乳で、一昨日も、同じだった。昨日、やはり十時に起きた時、わたしは一週間前までの、夕食と昼食の献立を仔細に思い出そうとして、遂に成功して、それをちゃんとノートに書いておいた 。

金井美恵子「愛の生活」(『愛の生活 森のメリュジーヌ』講談社文芸文庫 所収)

 午前中、あーちゃんは自分でぬりえをダイニングテーブルに持ちだし、集中して塗っていたので、YouTubeはつけないでおく。家にこもりはじめてから、もともとうまかったぬりえが(線からはみださないように、絵じたいの位置をこまかく動かしながら塗る)、より上達していっている。

 途中から「しまじろう、みたい」と言うので、今日も台所でオンライン幼稚園。すでに、何回も同じ歌を聞いている気がして、みょうに特徴的なサビだけが、頭のなかでぐるぐる回る。

 朝と夜以外の、時間帯の把握がまだ曖昧であるあーちゃんが、「あさ、ひる、うすぐらいのつぎ、よる」と言っていて、感動する。ふだんは夕方と言っている気がするし、わかっているとは思うのだが、「うすぐらい」……! かつて同じように、ぐっときたもの「はる、なつ、あき、ゆき」を思いだす。

 ふとポストを覗きにいくと、Kさんからの葉書が届いていた。うれしい。わたし、文通してるんだ、とだれかれなしに自慢したい気分。夫に見せびらかす。

 のこり六日ぶんの日記が書けた。PCとiPhoneを行ったり来たりしていたが、ほとんどiPhone上で書いていたので、眼精疲労。日記はぜんぶで七千字ちかくあって、さすがに頭がぐらぐらと、熱くなっているのがわかる。夕食時、ほんのすこしだけ残っていた娘の味噌汁を、もういらないよねとぐっと飲みほしたら、「あーちゃん、飲みたかったのにー」と言って泣いた。

 わたしが書くことに夢中になっているあいだ、お絵かきをはじめていたあーちゃんは、登場人物がたくさんいる絵を完成させていた。夫とともに驚く。また一枚、海にうかぶ船の絵を娘は描きはじめる。そして、眠る時間になってもまだ描いていたくて大泣きする。

 布団のなかに入っても、まだ頭が熱く、iPhoneで日記に加筆していた。目が痛い、目が痛い、と思いながら就寝。

夕食 無印良品のレトルトカレー(わたしプラウンマサラ、夫キーマ)

あーちゃんはしらす丼、ミニトマト、じゃがいものソテー、味噌汁(二日め)

2020-04-17 | Blog, 日記

思いだす日記 | 四月八日(水)

子どもがボウルのなかで、卵をかき混ぜているところ
かき混ぜるブーム到来中(卵、米、ホットケーキの生地など)。

「きょう、ようちえんおやすみ?」

 このところ毎朝、起きてきたあーちゃんに聞かれる。うん、お休みやよ。「コロナのせい?」そう。コロナやで、みんなお休み、おうちにおるよ。「コロナはやく、なおればいいのにねえ」

 ほんとうなら今日は幼稚園の始業式だった。休むという判断をしたが、ほんのすこしでも友だちに会えたほうが、あーちゃんはうれしかったかもしれない、ということがちらりと頭をかすめるが、もちろんそれでいいとは言いきれなくて、それでも。

 今日より夫はテレワークに入る。YouTubeで見られる、ベネッセ発の「オンライン幼稚園」という番組があることを、昨夜ちょうどTwitterで知り「これは……!」となった(なにげにYouTubeを見せるのははじめて、しかしNetflixやディズニーチャンネルでとっくに動画に親しんでいる)。

 ダイニングテーブルであーちゃんはオンライン幼稚園、向かいにわたしはPCを置き、家事をしながら、今月一日からの日記を書きはじめる。「月日会」のメンバーに送られる会報(メルマガ)に、一週間ぶんの日記を投稿するのだ。まずはメモしてある、夕食から書いていく。

 「うたとおどりをはじめるよ」という声がタブレットからする。おどったらいいやんと言ったら、「あーちゃん、おどらへん」と言う。歌のMVのような動画が、連続して流れているようで「うたとおどりばっかりやん!」と文句を言っていた。先生である女性が現れると、ちょっとうれしいようだった(スタート時、先生が『朝ごはんはカレーでした!』と言っていて、わたしはびっくりする)。

 家に夫がいるだけで、娘は落ちついているようでもあって、オンライン幼稚園の効果は、いまいちよくわからなかった。夫は「思ったより、仕事できた」と言っていたので、まあいいか。

 あーちゃんに「れんしゅうすれば、できるようになるよ」と神妙な面もちで言われ、ふたたび前転に挑戦。できた。でも、勢いがつきすぎて、回るとき速くなるのを自分ではコントロールできず、恐怖から「ぎゃああ」と言いながらしかできない。「いっしょにやろ~」と言われ同時に回ったら、思いきり足がぶつかり合って、娘は泣いた。

 一日ぶんだけ日記が書けた。しめきりは明後日の昼なので、ほとんど明日に、のこり六日ぶんを書くことになる。どうなるのだろう。それでも、久しぶりに日記が書けてうれしかった。一日に感じたもやもやが、七日後のいまの自分と溶けあっていく。

 鴨居羊子『女は下着でつくられる』(国書刊行会)が届く。

 引きつづき、『野中モモの『ZINE』 小さなわたしのメディアを作る』(晶文社)を読む。わたしは気軽に作られたジンを読むことが好きなのに、自分でつくる場合は何だか「製本」のかたちにこだわってしまうのは、なぜだろう。そしてそれは、時間がかかってしまうものだ、と思ってしまうのも。それは自分には、本というかたちにだいぶ「あこがれ」があるのが、理由なような気がしている。

夕食 鶏肉、ほうれん草のマカロニグラタン、豆腐、わかめ、長ねぎの味噌汁

2020-04-16 | Blog, 日記

思いだす日記 | 四月七日(火)

レストランごっこのできる、子どものおもちゃ。
理想のメニューやん

 昨夜は眠すぎて、すぐに眠ることができない循環にはまって寝不足。もしかしたら、今日の午後からテレワークになるかもしれないが、会社に行ってみないとわからないと夫は言う。

 あーちゃんは、昨日母が届けてくれた、もとは従姉妹の持ちものである、音や声のでるレジと、プラスチックでできたハンバーグやオムライス、エビフライ、それから寿司に味噌汁などで、「レストランごっこ」ができるおもちゃで、あそんでいた。プラスチックのお盆のうえに、ラーメン、コーンスープ、味噌汁みたいな定食をつくっては、「おまたせしましたー!」と届けてくれる。わたしはひとつひとつ口元に持っていき、食べる真似をする。どれもちゃんと手にとったかを、あーちゃんは見ている。それが、なんどもなんどもつづくのだけど、まだ自分は受け身な感じなので、まだ楽なほうのあそびだと思う。

 昼食後あまりに眠くて、布団のうえでいちど気絶。どうにか起きあがったわたしに、あーちゃんは「いっしょにあそぼー」、「ノンタンごっこ」をしようと言う。自分はたぬきさん、かあちゃんはノンタン。「ノンタンは◯◯っていって!」「◯◯……」というのを、なんどもなんども繰りかえす。ねえ、ちょっと待ってよ……と急に息がくるしくなってきて、思わずTwitterで「ひとりになりたい。。」と呟く。ちょっと待って、ちょっと待って、と言いながら、台所にあるストーブのまえでうずくまっていたら、ドアががちゃりと開く音がして、夫が帰ってきた。びっくりする。夫は夫で、「だってテレワークって言ったやん」という感じだったが、あまり期待しないでおこうと思っていたのだ。夫が帰ってきただけですこし、風通しがよくなったような気がする。

 夫がいることで、あーちゃんの「いっしょにあそぼー」も、やや落ちつく。夕方、ぽかりと空いたような時間があったので、台所で『野中モモの『ZINE』 小さなわたしのメディアを作る』をめくる。一章の冒頭にあった〈ジン活動は自分の人生を主体的に生きるための練習であり、同時にかけがえのない本番〉という言葉に、まず胸があつくなる。野中さんの子ども時代からの話(児童文学、学校の新聞係、わたしもすきだった『いちご新聞』!)がとてもいい。自分はずっと地方住まいで、同人誌やコミケなどのことを知るのも遅かったが、それを追体験しているように思え、やはり胸があつくなってくる。

 あーちゃん初めて、でんぐり返し(前転)に成功。足をまっすぐぴんと伸ばし、滞空時間ながめにころんと回る。「かあちゃんもやってみて」と言われるが、わたしはマット運動が大の苦手で、高校くらいからは前転もできない(体育の時間はマットの端で、ずっと私語)。布団に頭をつけ、ぐっと首に力をこめる。そして回ってみようとするが、恐怖で回ることができなかった。寝かしつけの時間まで、あーちゃんはずっと、ころんころんしていた。夜は寝落ち。

夕飯 豚肉のしょうが焼き、レタス、ほうれん草のおひたし、味噌汁(二日め)

2020-04-15 | Blog, 日記

思いだす日記 | 四月六日(月)

割ったら双子だった卵
「こどもとおや」とあーちゃんは言っていた

 

 五時台に目が覚めて、布団のなかでなんとなくInstagramのストーリーズを見ていたら、きくちゆみこさんがnoteで日記を書きはじめたと知り、光の速さで読みにいく。うれしい! ゆみこさんは日記が苦手と書いてあったけれど、このような不安定な状態にあるいま、ゆみこさんの言葉がリアルタイムで読めることが、ありがたい(苦手なこと、やらないと思ってたことをやる、わたしにとっては音声配信だな)。

 眠いのに気持ちが昂ぶって起床。夫の割った卵が双子だった。自然と、わたしも日記が書きたい、という気持ちがわいてくる。朝食は玉子サンド。

 日記本の専門店「月日」が、日記好きコミュニティの二期メンバーを募集していた。わたしは先月からほとんど無収入なので、申し込みを迷っていた。一期はすぐに定員が埋まってしまった。出勤まえの夫に、こういうコミュニティがあって……と話すと「入ったらいいやん」と言われ、すぐ申し込む。わくわくしてくる。

 昨日からなんとなく、マスクをつくっているあいだは、「いっしょにあそぼ」と言わなくなるあーちゃん。ふたりきりの時間を避けたくなってしまって、台所で娘サイズのマスクを縫う。余力があったので、夫のぶんも取りかかる。夫のは使いふるした手ぬぐいを使う。鎌倉へ旅行したとき買った、大仏の柄。あーちゃんはリビングと台所を行ったり来たり。ブロックあそび、プリキュアごっこ(だいたい、いまやっているプリキュアの、キュアグレースに変身)、着せかえに興じている。

 昼ごろ、幼稚園から休園を知らせるメールが届く。そりゃそうやよねえ、とほっとする。ただ、追加で送られてきたメールによると、始業式と入園式は行うとのこと。休園は今月いっぱい、とのこと。いちどは出席できないと言われた入園式に、出られるけれど保護者は一名だけ、となったとき、もう出なくていいかなと思っていた。いまの状況では、なおさら思う。となると、始業式だけ行くのもね、なんかもうお休みでいいのではと思えてくる。今月いっぱいかあ、今週中に夫がテレワークに(やっと!)入る予定なのだが、いったいどうなるのだろう。

 夕方、食材などを届けに母が来る。なんとなく、あーちゃんと夫に今日つくったマスクを着用させて出迎え、「がんばっとる」アピールしてしまう。母に「すごいやん、あんた器用やもんねえ」と言われる。幼稚園から、入園式の出欠を確認する電話があって、四月はお休みする旨も、いっしょに伝える。

 夜、眠たくてしかたないのに白湯をがぶ飲みしながら、ラジオ収録。音読したのは川上弘美「神様」(『神様』中公文庫 所収)。自分にとって馴染みのある本ばかり、紹介することになりそう。日記はまだ書けていない。

夕飯 ツナとしめじの炊き込みご飯、じゃがいもとえのき、わかめの味噌汁

2020-04-14 | Blog, 日記

思いだす日記 | 四月五日(日)

手縫いで作った、子ども用のマスク。
必要性にかられてマスク(幼児サイズって、元々あまりない?)。娘はよろこんで着けている

 

 布団のなかで目覚めたとき、いっしゅん今日が何曜日かわからなくなる。月曜だ、と思い、夫は会社にいくのだから、密室育児から解放される、よかったねえ……と思っていたら、日曜だった。

 昨日から、かばさんとはまたべつの「どうぶつえんにいきたい」と言われていて、しぶしぶ三人で出かける。入り口に設置された消毒のスプレーで、あーちゃんの手を消毒をしようとプッシュしたら、勢いよく噴射され目に入ってしまったようで、大声で泣きだす。さいわい、入ったのはすこしだけだったようで、すぐに収まったのだけれど、とても焦った……。すうじドリル、すみっコぐらしのぬりえを買う。毎回寄る屋台で夫にたい焼きを買ってきてもらい、みんなで車中で食べる。わたしたちはどこか遠くへ出かけていて、ドライブインでこれを食べている、という想像をする。

 外へでるときは、子ども用の使い捨てマスクをあーちゃんに着けているが、サイズが大きく、ずり落ちて鼻がでてしまうことが、いつも気になっていた。もうストックもない。夫も布マスクの洗い替えを欲しがっていたので、通常営業を休み、マスクの製造を中心にはじめた知人の店にオーダーを……と思っていたが、あ、これは自分でつくったほうが早いかも、と思う。

 わたし、マスクつくるで! と、帰宅後すぐ、つくりかたを検索する。いちおうミシンはあるけれど、得意ではないから手縫いで。押し入れの引き出しに入れっぱなしの、ガーゼ素材の手ぬぐいに、あーちゃんの麦わら帽子に取りつけた後、あまっていたゴムを使う。マスクは、もし幼稚園に行かせられるようになったら、やはり必要だろうと思っていた。手をうごかしていると無心になれて、気持ちが落ちつく。ただ、一枚縫うので今日は限界。縫いものをふだんから、すいているわけではない。入園準備もほぼ買って済ませたし、自分では、大きすぎる制服のスモックの袖を、しかたなく詰めただけだった。

 「SUNNY BOY BOOKS」さんで買った、『野中モモの『ZINE』 小さなわたしのメディアを作る』(晶文社)と、言葉 : 児玉由紀子、絵 : 安藤智、デザイン : 角谷慶『あたらしい日の真ん中に』が届く。野中さんの本は、サニーさんで買おうと思っていた。zineを読むこと、つくることの楽しさを知ったのは、サニーさんに出会えたおかげだからだ(自分の日記zineにも、そのことが書かれている)。店主・高橋さんからの、手書きのメッセージにいつも和む。思えば、このさりげないメッセージに惹かれ、いっきにサニーさんがすきになったような気がする。

 夜、また寝落ちしなかったので、さっそくstand.fmでひそひそ収録。音読したい、と思いたったのは、Twitterで「ひとり音読部」というタグを見かけたからだった。これまで音声配信では朗読、という言葉を使っていたが、音読のほうが気軽なひびき。意味あい的にも、こちらのほうが、自分のしたいことに近いと気づいたのだ。

 十回ほど配信をしてみて、わたしには自発的に喋りたくなるような話題はあまりなく(いまの状況、そう思うだけでなんだか疲れる)、おたよりの返事がしたいのと、すきな本をただ、読んでいたいだけということがわかった。そんな気ままなラジオをはじめたい。音読したのは尾崎翠「第七官界彷徨」(『ちくま日本文学004 尾崎翠』筑摩書房 所収)。

夕飯 目玉焼きをのせた焼きそば

2020-04-13 | Blog, 日記

思いだす日記 | 四月三日、四日

ゲーム「どうぶつの森 ポケットキャンプ」の画面。
なんだかなあ、とやるせない気持ちで、夜の海に釣りをしにきたら、夫と会った(どうぶつの森 ポケットキャンプ)
四月三日(金)

 かるい夜泣きで二時ごろ目覚め、台所で白湯を飲みながらポケ森(あーちゃんの呼びかたは『どうぶつたちのもり』)を散歩。Twitterを見ることに疲れを感じてきて、なんども見ないでおこうとしては、けっきょく見ている。いま自分のしたいことを呟いてみる。「掃除というか整理整頓、断捨離、瞑想、音読、文通」…… 

 寝坊する。午前中、あーちゃんは昨日やりそこねた、ひらがなドリルをやっていた。文字をなぞるよりは、まずぬりえを塗るほうに夢中。午後からは着せかえ。そのあいだに家事もできたし、ずっとやりたかったPCでの作業もできた。プリキュアとドリル、ありがとう……(プリキュアにはほんとうにいつも、お世話になってる)。すうじのドリルも買おうと思う。

 梅干しをいれた、玉子とじうどんを昼食に食べる。こういう味のものが食べたかった……としみじみ思う。そして、そういう気持ちになるたび、武田百合子のエッセイ「枇杷」のことを思いだす。

「こういう味のものが、丁度いま食べたかったんだ。それが何だかわからなくて、うろうろと落ちつかなかった。枇杷だったんだなあ」

 – 武田百合子「枇杷」(『ことばの食卓』ちくま文庫 所収)

 

 ずっとやりたかったのは、次作のzineに収録する自分の過去作品を、ひとつのデータにまとめるという作業だった。PCのなかでちりぢりになっていた、数作をあつめてみたら五千字しかない。思っていたよりすくなくて焦る(日記をまとめたzineは十万文字ある)。あたらしい原稿、もともとふたつ書く予定でいたけれど、ぜんぶでいったい何文字になるのだろう。日記zineのような頁数にしようと思ってないけれど、それでも……。そのことが、あたまのなかを占めはじめる。

 「百年」のオンラインストアで購入した、恒子 Kohxi (成重松樹)の写真集『THE SALAD WITHOUT DRESSING 1』が届く。成重さんはきくちゆみこさんの夫君。〈ドレッシングはかけないでおいたよ〉という言葉のひびき、なんだかいいな。

夕飯 鶏むね肉の照り焼き、ブロッコリーの蒸し焼き、ミニトマト、レタス、えのきとわかめ、豆腐の味噌汁

「ヒーリングっど プリキュア」の着せ替えで遊ぶ子ども。
「くびのほきょう」のこまかさ、やばかった

四月四日(土)

 朝食は、週末恒例の夫が焼くホットケーキ。おおざっぱなわたしでは、こんなにきれいにならない丸と色。習慣には安心がある。

 晴れていた。自室の窓を開けて、PCで昨日まとめたzineの原稿を立ちあげる。わずかに風が流れてくるのを感じて、心地よい。新作書けるんじゃないか、という気持ちになってくる。つづきをすこしだけ書く。

 午前中は家族三人でスーパーへ買い出し。

 岸本佐知子さんが出演されたラジオ番組の、聞き逃し配信を聞く。鴨居羊子の『女は下着でつくられる』(国書刊行会)を、「女子バディとともに道なき道を切り開く、冒険の書」と紹介されていて、いてもたってもいられずポチる。鴨居羊子の本は気になっていたが、未読だった。今月はほかにも本をポチっていて、はやくも予算がなくなりそう。それでもまだ、欲しい本がある。

 発売されてすぐ買ったのに、読めていなかった大阿久佳乃『のどがかわいた』(岬書店)を手にとる。いまの自分に沁みいる、やさしい文章。

 あーちゃんが朝から、「とうちゃん、とうちゃん」と後追いしていて、夫しんどそう。わたしがご飯をつくったりしているあいだ、あーちゃんがリビングの扉をぴしゃりと閉め、ふたりきりで過ごしていて、これがほんとうの密室育児……と思う。そうやってひとりになれた、すきまの時間もただiPhoneを見て過ごしてしまい、反省。

 夜、ふたりは眠ってしまったけれど、寝落ちせず起きていた。

 わたしは趣味で音声配信をしている。これもあーちゃんが春休みに入ってからは、収録できていなかった。音声配信にはどこか、音声配信用のテンションがあって、ひとりのときにしかできない、と思っていたからだ。今日のように夜ひとりになるチャンスはあるが、住空間がせまく、寝ていてるふたりを、わたしの声で起こしてしまうかもしれないという不安もあった。でも、それもふと、思いこみかもしれないと収録してみたら、だれも起きなかった。ひそひそ声だけれど。

 これまでRadiotalkを使っていたが、さいきんTwitterを見ていたら、stand.fmというアプリで音声配信しているかたがいて、そちらをためしてみたいと思っていた。でもそのまえに、Radiotalk内で話した内容にいただいていた感想に、お返事がしたかったのだ。だから最終回のつもりで話す。

夕飯 そぼろ丼、ピーマンきんぴら、味噌汁(二日め)

1 7 8 9 10 11 12 13