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2020-04-12 | Blog, 日記

思いだす日記 | 四月二日(木)

子どもが「赤ちゃん」と呼ぶぬいぐるみ
このぬいぐるみたちはぜんぶ「あかちゃん」らしい。

 朝、出勤まえの夫から「ポストに届いてたよ」と、オレンジ色の封筒を手わたされる。NYに住むワイナー祐子さんのフェミニストzine『Short & Sassy』だ! ぶじ届いたことに、まずほっとする。注文をしたとき、NYはたしか、自宅待機になる一歩手まえだった。赤のハートがぽんぽん飛んでいる、表紙がかわいい。うつうつとした気持ちが晴れてくる。zineに挟まっていた、祐子さんからのメッセージに泣きそうになった。

 今日もわたしはバブという設定。「とうちゃんはねこ。ねこはかいしゃいっとる」と言う。

 あーちゃんの「かばさんのどうぶつえんいきたい!」コールに耐えかね、今週はじめて外へでる。ちなみに「かばさんのどうぶつえん」とは、近所にあるホームセンターのことで、かばの絵が描かれた、リサイクルコーナーがあるためこう呼んでいる(注 : だいすきなペットコーナーがある場所ということで、ホームセンターはぜんぶ動物園)。

 冷蔵庫もからっぽなので、ついでにスーパーに行こうと思う。これだけのことが、決死の覚悟、みたいに思える。あーちゃんと外出すると、なかなか短時間では、おだやかに帰られないことが(だいたい喧嘩)、頭をもたげていた。先週も行きつけの、いつも誰もいない公園にいったが、二時間ちかくもいると途中で、通りがかりのご老人たちに数回話しかけられ、それだけで(こ、これはいいのだろうか)と内心おろおろした。

 とはいえ、あーちゃんにはわからないだろう……というのが、強固な思いこみのようになり、わかってもらおうとすることを、わたしは怠けてはいないだろうかという気持ちにもなる。コロナっていうばいきんが、そとにはおるんやけど、目にはみえなくてね……と、自分なりに説明をこころみる。いつもなら、駐車場は走っちゃだめと、こんこんと言い聞かせても即走りだすあーちゃんだが、今日はそんなことはなく、わかってくれていると感じた。

 ホームセンターで、プリキュアの着せかえ、アンパンマンのひらがなドリルを買う。気がついたらあーちゃんは、ひらがな五十音をほぼ読めるようになっていた。先日、絵本に印刷された文字を鉛筆でなぞっていて、こういうドリルあるといいのかな、と思っていたのだ。このふたつが、ワンオペ育児の希望になることを期待。わたしはこのごろ欲しいと思いつづけていた、観葉植物を見る。こぶりなラベンダーと、ガジュマルの鉢を買った。スーパーでは野菜と、プリキュアチョコなど甘いものを。

 ひと動作おわるごとに消毒しながら帰宅。あーちゃんはさっそく着せかえに夢中。まだ自分では、台紙から取りはずせないので、パーツのこまかさに悲鳴をあげながら、わたしもいっしょにやる。部屋のなかに置いたガジュマルを見るだけで(ラベンダーはベランダへ)、うれしい気持ちになってくる。名まえはガジュ麻呂。

夕飯 クリームシチュー(二日め)

2020-04-11 | Blog, 日記

思いだす日記 | 四月一日(水)

家で花見をするため買ってきた桜の枝に、新芽が生えてきた
家で花見をするため買ってきた桜の枝に、新芽が生えてきた

  あたらしい月になったがあまり、あたらしくなった気はしない。今日は昨日のつづき、という感じがひたすらに、このところ、ずっとある。

 三月の半ば辺りからずっと、書けていない日記を書きたいと、思いつづけているせいだろうか。世のなかの状況は、どんどんわるくなっていくばかりなのに、わたしは二週間もまえの夕飯を記録したいという、のんきな気持ちを捨てられないでいる。

 夕飯になにを食べたか、いまは手帳に記入しているのだけど、いちど思いだそうとしてみたら、一週間ぶん思いだせたことがある。食事担当なのもあり(朝食だけ夫の担当)、なぜその献立にしたのだったか、という周縁までがそのとき一緒によみがえったので、夕飯さえわかればその日の日記が書ける、と思っているところがあるのだ。

 幼稚園に通うあーちゃん(娘・三歳)が春休みにはいってから、日記が書けていない。読書もわずかにしかできていない。「こういうときこそ日記を書こう」「読書しよう」というSNSでの呼びかけにたいし、なんだか素直に受けいれられず、思いきり読んだり書いたりできるひとが、ただ、うらやましいなんていう感情がわいてくる。

 「徒然舎」や「pand」など、地元のすきな店がつぎつぎ今月の休業を発表した。新学期から通園できると思うことじたい、楽観的だと思えてきた。園の決定がどうなるにしろ、もう自主休園という選択しかないように思うのだが、日中はふたりきり、夜は寝落ち、まとまった自分の時間のない日々が、いつおわるかわからないとなると……目のまえがすこし暗くなる。ちいさなお子さんのいる家庭はいま、どこもぎりぎりでやっているだろう。

 昨日はさんざんな一日だった。娘とうまくかみあわず、皿を洗うのすら「だめ!」と言われ、はやばやと夕飯をつくることをあきらめた(だから夕飯はレトルトカレーだった)。癒されたくて思わず、今週からはじめた「どうぶつの森 ポケットキャンプ」内で、レアな果物や魚を勝手に売られて、いらいらしたりした。

 それなのに今日は一転、朝からご機嫌だ。とつぜん「かあちゃんは、バブね」(赤ちゃんの意)と言いわたされ、一日中あーちゃんのことを「ママ」と呼ばされていた。そう呼びあうほか、たまに「ハンマ~って、うるさい声で言って!」(注 : あーちゃんは、乳児のころの自分が、こう叫んでいる動画を見たことがある)と言われる。それでも「バブちゃんは皿洗ってて~」と言って、ひとり遊びをしてくれる時間もおおく、おおむね平和な一日。娘からのリクエストで、昨日つくる予定だったクリームシチューをつくる。仕事から帰ってきた夫が、二代目バブちゃんに就任していた。

子どもの描いた絵(ノンタン)
家にこもる日々、娘の作品も爆誕している。「ノンタンおひめさまとおうじさま、おうじさまのあたまボサボサ」

 

 夫と「非日常」「非日常やね」と言いあう。夜、自室にいると、風がびゅうびゅう吹く音が聞こえてきた。

夕飯 クリームシチュー、ほうれん草のおひたし

2020-03-27 | Blog, 日記

思いだす日記 | 三月十六日(月)〜十八日(水)

娘の描いた絵
真ん中にあるのはふたりのぬいぐるみ(娘談)

三月十六日(月)

 幼稚園へ送っていく途中、昨日あそんだ公園のまえを通る。後部座席からあーちゃんが、「さいごのさいごにさ、ころんでまったね」と言った。それはそのまま、転んでしまったとき「あ~、最後の最後に……」と、夫が言っていた言葉。急に走って転んだあーちゃんだが、どうも「とうちゃんをおいこそうとして、はしってまった」ということらしかった。近ごろ何にでも、一番になることがすきな、ところがある。とうちゃんはさ、あーちゃんをおいこしたつもりはなかったと思うよ。ただあるいとっただけ。こんどはふたりでさ、手つないであるいたら、転ばんのやない?と伝える。

 台所でひとりになって、あ、イベント(即売 & サイン会)の告知をしなければ、と思う。まず、開催でいいのか。そのことはなんどか思ったけれど、大丈夫だ、という判断をわたしと夫は昨夜した。「TRONCHI」りえさんに慌てて連絡。SNSで告知。どなたか来てくれるのだろうか。だれもこなかったら、どうしよう?とは思わないけれど、どうなのだろうか(それはそれで、おもしろいやろ、と夫は言っていた)。

 スーパーで買ったはずのパスタソースが見当たらない。QPのバジルソース。いちおう電話をしたら「ある」とのことで、お迎えついでに取りにいく。同じように、ぺらぺらしたパッケージのふりかけを、まえも籠のなかに置いて帰った。

 年長さんのお別れ会があるため、あーちゃん、初めてお弁当なし。楽だ。ビュッフェで「ケチャップのついたスパゲッティと、てまきずし」を食べたとのこと。

 在園生(満三歳児クラスからの進級なのだ)は、入園式に出席できないという知らせをもらった。ある程度の覚悟はしていたし、そんなにショックではない。途中入園だったし、卒園式までは式じたい、未体験なのだなぁと思う。

夕飯 たこ飯(あーちゃん、いっぱい食べる)、マカロニサラダ、ほうれん草のおひたし、じゃがいも、しめじ、わかめ、玉ねぎの味噌汁

三月十七日(火)

 実家から届く、カキフライ(好物)のことを考えて、うきうきしていた日。ご飯の準備は、レタスをちぎるだけ。

 ホームセンターの特売コーナーで買った、ハオルチアの水耕栽培をはじめる。

「TRONCHI」さんに持っていく本を検品して、箱に詰める。必要なものをリストアップ。それだけで、けっこう自分、がんばったなと思う。

 あっというまにお迎えの時間。

 夕方を過ぎても、カキフライがなかなか届かずジリジリする。大量に揚げているため、時間がかかるのだ。ぶじ届いて、ありがたくいただいた。

夕飯 母のつくったカキフライ(あーちゃんには豚カツ)、レタス、マカロニサラダ、味噌汁

三月十八日(水)

 ブログでイベントのお知らせを書こうとして、寝おちしていた。朝、布団のなかで、イベントについて書いてもらった「TRONCHI」さんのnoteを読んでうれしくなる(わたしがかしゆかに似ているという、記述あり)。五時台に起きだして、ほとんど手のついていない、ブログのつづきに取りかかる。それでも、更新できたのは正午ごろで、思いのほか時間がかかるものだな……と思う。

 がんばったね、とストックしていた好物の酸辣湯麺を昼食に食べるも、そこからどんどん体調がわるくなっていく。辛いもの、とくに酸っぱ辛いものがすきなのだが、胃腸がよわいため、たいがいお腹をこわす……。

 明日は卒園式で幼稚園が休みなため、やりたいことはぜんぶ今日やっておこうと意気ごむも、ラジオを一本録って息ぎれ。昨日、おたよりをいただいたのがうれしく、さっそくご紹介。自分の日記も朗読して、イベントの告知もしてみる。ラジオは自分の声をつかって、何かしてみたいという気持ちからしているが、喋ることが得意なわけではないため(おたよりを読むのはすきだ)、内容を盛りこんでしまう気がする。

 やっとイラストレーターさんに連絡できた。具体的な依頼はまだこれからだけど、了承をいただけてうれしい。

 お迎えに行くと、卒園式の準備がととのったホールが目にはいる。十人にも満たない数の椅子を見て、胸がじんとする。よく顔を見かける男の子に、「だれちゃんのおかあさん?」と聞かれたので、あーちゃんのおかあさんだよ、と答えると「え、いつもとちがうことない?きとる服、ちがうことない?」と言われた。たしかに、いつもとちがうアウターだったけど。

 夜に向かうにつれ、体調が壊滅的にわるくなる。夕飯にカレーをつくる計画を変更できず、さらに胃腸に負担をかけたのが敗因である。動けなくなって、寝て治ることを祈りつつ、娘とともに就寝。

夕飯 カレーライス(新じゃがを皮つきのまま入れたら、夫に好評だった)

2020-03-25 | Blog, 日記

寝おち日記 | 三月十四日(土)、十五日(日)

三月十四日(土)

幸福に関するイメージ画像
娘が撮ったのであろう、iPhoneのカメラロールに残されていた謎の写真が、わたしのイメージする幸福の色合いである(Twitterで仲良くしているひとも、以前こういった画像をあげていらした。育児中あるあるかもしれません)

 久しぶりに寝おちする。一週間ぶりくらい、でも久しぶりという感じがする。それまでは寝おちこそ、わたしの常態。子どもが生まれてからのデフォルトだった。

 今月から定職がなくなり、自由登園になった娘を恐るおそる送りだし、家事を中心にした生活になったとたん、わたしは寝おちしなくなった。だって、つかれてないし~と、毎日いっしょに寝おちしていた夫に、意気揚々というわたしは、ちょっと嫌な感じだったな、といまは思う。マウントってこんな感じをいうんだろうな。

 たしか昨夜は寝かしつけ中、そこまでつかれてはないけれど、もうこのまま寝てしまったら、幸福なんだろうな、と思った。いま娘は入眠まで、そんなに時間がかからない。だから、寝おちしないでおくことも、以前よりは簡単になったとは思う。だが今日も、夫はすぐにいびきをかきはじめる……。

 そう思っているうちに、寝おちしていた。

 寝おちしてしまったと思って目ざめる朝、そこにはいつも後悔の念があった。そりゃそうだ。自分のことなんてなにもできずに、一日がおわってしまうのだから。そして、それが常態だから、そんなことじたい思わずにいたけれど、久しぶりに思った今朝は、そういった感情がなかった。わたしは幸福なうちに、眠った。

 つぎにつくる本の表紙を、自分のすきなイラストレーターさんにお願いしたい(F賞入選作を収められる!となったとき、そのひとに描いてもらいたいと確信した)と思っている。雰囲気はこんな感じで、紙の質感はこれがよくて……という話を、参考資料を並べ夫にする。本の表紙とか、デザインに関することを考えるのがすきですきで、一日中こういうこと考えていたい、という話とか。夫にとって、ずっと考えていられることを、このとき聞いたけど、何だったっけ。ヘッドフォンだっけ。まだイラストレーターさんには連絡できていない(緊張!)。

 ホームセンターに立ち寄るついでに、隣接されたスーパーに行こうと思っていたら、スーパーが工事中で瓦礫の山。ここの花屋さんが、わたしの穴場だったのに。代わりにホームセンター入り口にある、花コーナーが心なしか充実している。バラが何本も束になって四百円とか。

夕飯 かつおのたたき

三月十五日(日)

公園での父娘。

 また寝おちした。五時すこしまえに目が覚める。しばらく布団でだらだら。台所で皿を片づけはじめた六時ごろには娘も起きてきて、は、はやいよ~と思う。

 朝食のあと三人で公園へ。いつもは誰もいないおうまちゃんだが、今日は地域の清掃活動があったようで、ひとがたくさん。あーちゃんが乗りたいブランコも、近所の子どもたちに占領されている雰囲気なので、はやばや退散する。つぎに行った公園は駐車場が満車で停められず、いつもより空いていた、三軒めの公園におちつく。晴れていたが、風がつめたく寒かった。アウターを羽織ってこなかったことを後悔。

 夫に用事があったため、あまりのんびりできなかったのだけど、帰るまえに「すべり台十回すべる!」と宣言したあーちゃんは、自分で数えながらすごい速度で、すべり台をすべっていた。そして駐車場へ向かう途中、急にひとりで走りだし、アスファルトの上で転んで大泣きした。手のひらをすりむき、すこし血がでた。

 夕飯は夫のつくるたこ焼き。娘のぶんは箸でこまかくして、うちわで冷ます。おおげさに振りまわしていたら、娘にすこしうけた。調子にのってぶんぶん振りまわす。

 送りたいと思いつづけていた、ながいながいメールを送る。ながくなることがわかっていたから、身構えてしまっていた。ほっとして就寝。

2020-03-24 | Blog

【即売&サイン会】ありがとうございました!

トロンチさんでのサイン会の様子

 ぽかぽか陽気にめぐまれた三月二十一日(土)、岐阜市長良にある「TRONCHI」さんにて、拙著『どこにもいかない、ここにある」の即売と販売会を開催しました!

トロンチさん前にて撮影

 

ばんかおりサイン会の看板

 当日はわたくし、ばんかおりと「堀口文庫」ではデザイン担当である夫、堀口ともひとのふたりで、お店に立たせていただきました。

 こういったイベントは、もちろんはじめてのわたしたち。「いつか、スタッフTとか、着てみたいよね〜」なんて言ってましたが、叶っちゃいました。(ぐ)がたまたま試作品をつくっていたのが間に合ったのです。

準備をするばんかおり

トロンチさんの素敵な商品

トロンチさんの素敵な商品

 

 TRONCHIさんのすてきな雰囲気のなか、イベントはスタート! 到着するなり商品に目移りするわたしは、前からねらっていた息子さんがミシンでつくるマスクを購入。あとから(ぐ)も購入してました。

nekkofarmさんとばんかおり

義理の姉とばんかおり

いつも娘を可愛がってくださる親族のみなさん

お客さまのお子さま

 なんと、お会いするのが十年以上ぶりだった知人のEさんは、Instagramの告知を見て来てくださったそう。拙著の内容に「ピンときた!」と言ってくださり、たいへんありがたかったです。

 そして、いつも娘を可愛がってくださる親族のみなさん、わたしの以前の勤務先「長月」で出会ったお客さまが、お子さまといっしょに来ていただけました!

 お久しぶりの方ともゆったりお話ができ、直接本をお渡しすることができて、とてもうれしく思いました。お越しいただいたみなさん、本当にありがとうございました!

トロンチさんとばんかおり

 最後はTRONCHIオーナーりえさんへお渡しを。この日も時間をわすれて、りえさんとのおしゃべりを楽しんだわたしです(学校関係のおたより、書いてあること解読できない……! すぐ捨てちゃうよね……などなど。ファンシーコレクションも見せていただきました)。

 イベントの様子はTRONCHIさんのブログでも書いていただいています! わたしの大好きな「セブンティーンアイス」にふれてくださり、うれしいです。りえさん、今回はこのような機会をいただき本当にありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

「どこにもいかない、ここにある」と石の黒猫

『どこある』はひきつづき、TRONCHIさんにてお取り扱いをいただきます。お店にお立ち寄りの際はぜひ、お手にとってみてくださいね。

 コロナウイルスはまだまだ予断を許さない状況、わたしはお家で読書したい願望が高まるばかりです(新作を書きたいという気持ちももちろん)。ゆったりとした気持ちで、本書もめくっていただけるとありがたいです。遠方にお住まいのかたは、オンラインストアもどうぞご利用くださいませ。

2020-03-20 | Blog, 日記

日記 | 三月十三日(金)

黄色いチューリップ

 あーちゃん、登園拒否。たまにあることなのだが、うまく対応できるときと、できないときがあって、今日は後者だった。

 いつも行きたくない理由を、まずは聞く。前は、仲のいい「☆ちゃんが○くんにたたかれた」からだった。その光景を見たくないという気持ち、わかるなぁと思った。そのときは働いていたので、幼稚園へいってくれないと困るものの、無理やり連れていくということは、わたしにはどうもできない。結果けんかの現場である、預かり保育の場所を、その日だけ利用しないという条件で、登園した(仕事は早退させてもらった)。

 今日の理由は「はずかしいで」。わたしもいっしゅん「え」、となる。どうして……?とつづけても、要領をえない感じだったが、「○○せんせいにあうの、はずかしい」と、あーちゃんは言う。はずかしいでは、お休みさせられないよ……と、しょうじき思う。

 それからは、どうすればいいのかわからないまま、はずかしくてもいいやん、かあちゃんもさ、いつもはずかしいよ。先生とか、あーちゃんのおともだちのおかあさんにあってもさ、なに話したらいいか、わからへんもん……などと、くだくだ話してしまって、なにも手応えはなく、勝手に疲弊してしまう。

 自室に引っこんでいたら、あーちゃんがやってきて「はやくようちえんいかんと、おともだち、かえってまう!」と言う。「え」、と思う。それで家から出ることができた。到着したとき、駐車場で「ようちえん、そとで虫がぶんぶんしとる。いきたくない!」と渋りだしたけれど(園は自然にあふれた環境にある)、うん、そうやねぇ……と無の表情になることしかできず、娘は「あーちゃんに、虫なんもせえへん。ぶんぶんしとるだけ」とひとりで納得して、登園していった。ちょっと違うんやないかな、と思いながらも、なにも言えなかった。

 そんなの、べつに理由がないときだって、あるよなぁと思う。自分だって、保育園いきたくないとき、あったもの。やはり、なんとなくいきたくない気分だったから、だったように思う。そのとき、送迎担当だった父親が、いちご牛乳を買ってくれた憶えがある。保育園の目の前で、停めた車のなかで、それを飲んでいたこと。その甘み。たったそれだけのことで、気持ちが切りかえられたことを思いだす。

 そして、それは大人になったいまも、あまり変わっていないのではないか。わたしはいつも決まって、同じ時間に同じことをすることが、急に苦しくなることがある。上司に体調不良で遅刻しますとか適当なことを言って、「ドトール」に寄ってカフェラテを飲んでからしか、会社に行けない時代があった。スイートポテトもよくいっしょに食べてたな。

 ほんのすこし、ずれるだけで大丈夫になるんだ。ほんのすこしだけで。

 だから、あーちゃんの登園拒否により、ふだんからのずれが生じることで、わたしもすこし楽をしていたのかもしれない。いまだに、登園の準備をするだけで、ふうふうと息ぎれしているのは、わたしだった。

 むしょうになにか煮こみたいと思う。白菜を買いにいったスーパーで、黄色いチューリップも買って帰る。花はいいな。

 帰宅しても、なにもする気がおきない。ただ台所にずっと居る。

 なぜ付箋を貼っておかなかったんやろうと思いながら、ふと読みたくなった言葉を求めて、ウィンターソン『灯台守の話』をふたたびめくる。いくつか、これだったと思う文章を見つけて付箋を貼って、ほっとしたような、やっと息ができたような心地になった。

 夕飯はポトフー(ソーセージ、白菜、玉ねぎ、じゃがいも、にんじん)。

 夜には楽しみにしていた、藤野可織『ピエタとトランジ〈完全版〉』(講談社)が届く。十三日の金曜日にぴったりではないか。こちらは以前、『おはなしして子ちゃん』という作品集に、短編のひとつとして収録されていて、そのときからずっと好きだった。当時、Twitterで翻訳家の岸本佐知子さんが(ピエタとトランジは)「百合版シャーロックです!」と呟かれていて、たしかに! と唸ったような記憶がわすれられない。

2020-03-18 | Blog, お知らせ

3/21【即売&サイン会】| TRONCHIにて開催!

トロンチさん前のばんかおりとあーちゃん

 岐阜市長良にある、オリジナルウェアやグッズ、セレクトアイテムのお店「TRONCHI」さんにて、拙著『どこにもいかない、ここにある』のお取り扱いが決定しました!

 それを記念し、3/21(土)著者ばんかおりによる【即売&サイン会】を開催します。

サインをするばんかおり

【即売&サイン会】概要

日時 : 3月21日(土) | 10 : 00 〜 14 : 00

場所 : TRONCHI | 岐阜市長良158(P3台)

ばんかおりの日記本『どこにもいかない、ここにある』を販売。その場で著者がサインを記入し、直接お渡しいたします。

※イベント当日に限り、本の料金(税込1,200円)のお支払いにはクレジットカードがご利用いただけません。何卒ご了承ください

※オンラインストアなどで、すでにご購入いただいた本にもサインいたします。どうぞお持ちこみくださいませ

※21日以降も、TRONCHIさんでは本のご購入が可能です


 TRONCHIオーナーりえさんのブログ(note)でも、イベントのことを取りあげてくださっています。わたしたちの出会いや、本を読了してのご感想も……! めちゃくちゃうれしいです。

 お子さんふたりを育てながら、当時は子ども服屋さんを営んでいたりえさんと柳ヶ瀬で出会ったのは、もう六年も前になるんですね。

モデルをしていたばんかおり
トロンチ初代モデルを名乗らせてもらってます!

 お子さんが成長していくにつれ、大人服屋さんへ変身していったTRONCHIさん。その進化のなかで、産前からわたしはイベント時のお手伝いをしたり、洋服のモデルをさせていただいたりと、楽しい経験をたくさんさせていただきました。

トロンチさんとあーちゃん
じつは産後にモデルをさせていただいたことも! 撮影には当時一歳のあーちゃんを連れていきました

 岐阜市長良にある洋服屋「トロンチ」で、すこしだけ店番する。自分にとっては立派な社会復帰。おつきあいさせてもらって、もう四、五年になるのだろうか。こうやって、ゆっくりと外へ向かう機会をもらえることは、ありがたい。

二〇一八年十月二十七日(土)『どこにもいかない、ここにある』(堀口文庫)

 TRONCHIさんについては、『どこある』にもすこし登場しています。わたしにとって、ほっとリラックスできるお店。りえさんのお人柄もあると思うのですが、いつも素の自分で過ごしています。

 サンリオのキャラクターをはじめ、ファンシーなものが大好きという共通項のあるわたしたちですが、自分の好きなものにたいして、まっすぐで熱い……!というところが、似ているのかもしれないとふと思いました。

 そんな大切な場所で、拙著の取り扱い、そしてイベントをしていただけること、たいへん光栄です!

トロンチさんが描いた絵の生地

 個人的には、ふんわりしたシルエットのトップスが好きで、バルーンブラウスや割烹着ブラウスを色違いで愛用しています。

 りえさんが描かれる絵をつかった、オリジナルの生地もかわいいです。洋服のほか、バッグやハンカチにもなっていますよ。ハンカチはプレゼントにも喜ばれました。

 靴下の「hacu」さんや、あーちゃんも大好きな「山本佐太郎商店」さんのお菓子など、家族で楽しめるセレクトアイテムも充実しています。

 そして、夫君である石田意志雄先生のことも忘れてはいけません……!話題の石ガチャ(わが家には何十個とすでにあるのですが)、ぜひお楽しみください。

 世のなかはいま自粛ムード。いつまでも先のみえない雰囲気に、わたし自身もやもやを感じています。本イベントは、手洗いうがい、消毒等にはもちろんじゅうぶんに留意して、ゆるりとおこないたいと思っています。

 育児になやみ、よろこび、四季を感じ、本を読む…。『どこある』は日常を見つめることによって、すこしずつ自分を取りもどしていった、生活の記録です。もやもやした気持ちがちょっとでも軽くなるような、どなたかの生活に、そっと寄りそえるような一冊になれたら、とてもうれしいです。

 イベントにはデザイン担当の夫(ぐ)も参加予定です。それでは、当日お待ちしています〜!

(文 : ばんかおり)

 

2020-03-15 | Blog, 日記

日記 | 三月十二日(木)

娘(三歳)が折った、りぼんの形の折り紙
この目(ウインク?)、よく描いている

「さいしょエルサはー、じぶんになりたかった」

「エルサはじぶんで、おしろつくった」

「それから、めっちゃくちゃこわいオラフさー、でてきたよねー。二さいのあーちゃんはこわかった。いまもこわい」

 幼稚園へ送っていく車中、あーちゃんが後部座席から、ずっと語りかけてくる。アナ雪の前半。「2」はまだ観ていないのに、主題歌らしきものも、たびたび歌っている。おそらく幼稚園で覚えてきた。

 本を売りに「ブックオフ」へ行く。三冊で十五円。すみっコぐらしのヘアゴム(とんかつとエビフライのしっぽ)を百均で見つけ、買う。以前「トイザらス」で買って、柄ちがいがほしいと言われていたが、しばらく行けないなぁと思っていたのだ。ついでにプリキュアのヘアゴムと、すみっコの小さなパズル、自分の読書用に極細付箋(すごく便利)も。あーちゃんはずっとすみっコとプリキュアに夢中だ。これも幼稚園で覚えてきた。喜ぶと思わへん?と、夫T氏に報告したところ、「(機嫌わるいとき用に)小出しにしていこう」とアドバイスされる。

 芥川賞候補になっていて、表題作が日記をモチーフにしていると知り、気になっていた乗代雄介『最高の任務』(講談社)を読みはじめる。さいしょの作品は手紙がモチーフのよう。まだ数頁。

 夕飯はつくねの照り焼き(弁当に入れられそうなおかずづくりを意識しすぎた)、トマト切っただけ。ブロッコリー、味噌汁(残り)。なんとなく昨日から、断酒しよかと言っていたのに、お腹がすいてきてポテトチップス(のり塩)とビール。はじめて買った、湖池屋のポテチが美味かった。すぐお菓子を食べ、アントワネット状態。

 夕飯後、あーちゃんがT氏に、A4コピー紙で折る、リボンの折りかたを教えていた。「え、これ、難しくね?」をT氏連発。わたしもこのあいだ、教えてもらったのに、もう忘れてしまった。自分は小さな頃、折り紙やあやとり、その他いろんな手あそびが、ほとんどできなかったので(興味がなかったことを憶えている)、ただただ感心。

 寝落ちしなかった夫と台所で話す。このごろ気になっていたことを、いろいろ聞いてもらう。T氏は悩み相談の相手に向いていると思う。

2020-03-11 | Blog, 日記

日記 | 三月十一日(水)

よく行っていた公園にある桜の樹

 九年前なにをしていたか、朝食を食べながら夫と話す。もう閉店した地元のヴィレッジヴァンガードに、ふたりでいたこと。それぞれ別の場所で、わたしたちは揺れる商品を見て、首をかしげていた。それからは、いつ死んでもいいように生きよ、という姿勢だったが、気がつけばいまは、いつなにが起こっても、まず生きのびようと思っている。

 朝風呂(半身浴)する。自分にとってかなり贅沢で、いつも多幸感にあふれる行為なのだけれど、今日はそれが訪れない。湯をためたあとにすぐ入らずほかごとをしていて、湯がすこし冷めてしまったせいだろうか。さむい。身体があたたまるまで、湯舟でじっとしていたら、午前中がほとんど終わっていた。

 スーパーで買った袋の酸辣湯麺を昼食に食べ、書きたかったメールの返信を二件、やっと送る。ひとつは友だちへ、謝らないといけないこと。もうひとつはF社への、お礼のメール。

 いつなにが起こるかわからない。だから、いつか書くだろうと思っていた小説を書かなければと、書きはじめたのが九年前。その年のおわり、F社主催の賞に応募した掌篇が、受賞したという報せが届いたのだった(その手紙を受けとったときの、ふるえるような喜びは、いまでもありありと思いだすことができる)。

 受賞作の著作権は主催社側にある。もちろん納得していて、約九年間を過ごしてきた。だが、本をつくりはじめて生まれたのは、この作品を自分で手わたすことができたらいいのに、という気持ちだった。これまでにあった、「自分の思いえがいた完璧な作品をつくりたい / そんなのできない」という葛藤が、日記本をつくったことで、ぺりぺり剥がれた。わたしは自分で思っていた以上に、この作品をあいしているのかもしれない。

 頭のなかで「でも」「どうせ」を繰り返すのがいやになった。とんでもなく失礼なことを聞いているんじゃないか?というのは承知で、次作zineに受賞作を掲載することは可能か、メールでお尋ねしたのだ。そして、しかるべき手続きをおこなうことで、それが可能になるという返信を、応援の言葉とともにいただいた。お世話になった担当者さんへ、お礼の言葉をつづっていたら、涙がぶわあとあふれて、とまらなくなった。

 夕飯はさばの塩焼き、ブロッコリー蒸し焼き、なめこと豆腐とわかめの味噌汁。マカロニサラダ、おひたし(昨日の残り)。

 牟田都子『校正者の日記 二〇一九年』(栞社)を読了。もともとあった、校正者さんへの尊敬の念がより、つよくなる。寝る前に、非常持ち出し袋に入れている、飲料水の賞味期限がまだ切れていないことを確認。

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