うずくまりながらうなずく。柳本々々・安福望『きょうごめん行けないんだ』
柳本々々さんが気になる。そう思ったきっかけは、Twitterで知り参加させてもらった「つくらない句会」(自句ではなく、他者のつくった自分の ” 推し句 ” でおこなう句会)だった。選ばなかったけれど気になった句があって、そのどれもが、柳本さんの句だったのだ。いうなれば、こういう句をつくってみたい……! という気持ちになったのが、柳本さんの句だった。
お名前をよく見かけていた。まず、なんと読むのだろう、と思った。心を平らにして、いっきに読みとおしてみる。やなぎもともともとさん。すこし違った。ただしくは、「やぎもともともと」さんである。川柳、短歌、詩などを書かれているかただ(ブログ「あとがき全集」)では入選句や短歌などが読める)。
そんなことを思いつつ、自分の本棚の眺めていたら、柳本さんの名前があったので驚いた。イラストレーター安福望さんとの共著『きょうごめん行けないんだ』(食パンとペン)である。発行された二〇一七年に、買ったはずだ(現在は入手しづらいようである)。手にとると、欲しいと思った気持ちを、ありありと思いだす。ほぼ直感だった。Twitterで本書のことを見かけたときは、おふたりをほとんど知らなかったが、タイトルがいいなと思ったし、むしょうに読みたくなった。
さいしょのほうを読み、それから読みかけのままだった。サブタイトルに『安福望 × 柳本々々 会話辞典』とあるとおり、本書はおふたりの会話から成りたっている。「挨拶」から「忘れる」まで、五十音順に章題があるのだが、すべてTwitterのDMでやりとりされたものらしい。そのほとんどが短く、ゆるやかにつづいていく。繰りかえされる、話題もある。基本、うずくまっていたり、ねむっていたりするところとか。
あらためて読んでみて、俳句に興味をもったタイミングで、また本書と出会えてよかったな、と思う。小津夜景さんについての記述があるのだが、三年まえだったら何もわからなかった(わたしは俳句をはじめてから、小津さんファンになった)。三年まえでも、成人式にでていない、ということがおふたりと共通していて印象的だったが、たぶんいまだからこそ、うなずけることがおおかったのだ。
以下、自分がうなずいたぶぶんを、すこしだけ引用してみる。
安福 海猫沢めろんさんがブログは祈りみたいっていってました。つづけてると祈りみたいって。
柳本 ああなるほど。お祈りのいちばんのポイントって、ときどき、こんなん意味あるのかなって問いかけることだとおもうんですよ。それは、続けることに似てるとおもう。
P.45「お祈り」
ブログをつづけていたときは、きっとこの心持ちだったと思う。
柳本 俳句って不思議ですよね。なんだろうってときどき考えるんだけど。こんなこと言ったら怒られるかもしれないけれど、俳句ってゾンビになれるひとだけだとおもうんですよ。ぼんやり風景をみられるひとだけ。ゾンビになれないと俳句はできないとおもうな
P.130「ゾンビ」
うなずくというより、笑えたところ。
柳本 ぼく、そのとき、あっそうか、表現って事務との戦いなんだなってはじめてわかったんです。たたかうのは、じぶんとかだれかではなくて、事務とたたかうんですよ。事務処理と。
安福 事務との戦い! それすごくわかります。
柳本 事務に負けたら表現できないんですよ。
P.141「戦い」
もっともうなづいたぶぶん。事務とは、例えば〈これはどこにだしたとか〉、投稿した作品の管理などを指す。
本書を読んでから、すぐ『バームクーヘンでわたしは眠った もともとの川柳日記』(春陽堂書店)も読んだが、とてもおもしろかった。そして、柳本さんの影響で(すきなのだそうだ)、積ん読していたブローティガンを読みはじめたわたしだった。