思いだす日記 | 四月十日(金)
今朝も「きょう、ようちえんある?」とあーちゃんは問う。
「◯◯ちゃんは、あーちゃんにあいたがっとるかなあ?」
いちばんの仲よしである、一個うえのクラスの◯◯ちゃんの連作先も、どこに住んでいるのかも、わたしたちは知らなかった。
朝食よりまえに、昨日描いていた絵のつづきを描きはじめる。水性ペンを使っていたのだが、力づよく描きすぎてペン先がつぶれる。ちいさな穴も開いて、不機嫌になる。裏から紙を貼って穴をふさぐと、クーピーに変えて描いていた。
独自の非常事態宣言でる。外ではなにか放送している声がするが、家のなかからはよく聞こえない。
このところ、岸本佐知子「年金生活」のことばかり、思いだしている。年老いた夫婦のもとにある日、年金が給付されることになって……という、ディストピア掌篇。
びっくりした。何をいまさら。いやそれ以上に、政府というものがまだあったことに驚いた。国のいちばん偉い人が誰なのかもよくわからなかったし、気にもしていなかった。
岸本佐知子「年金生活」(『kaze no tanbun 特別ではない一日』柏書房 所収)
晴れている。「月日会」に日記をぶじ投稿したあと、あーちゃんとふたりで庭にでた。はんぶん物置のようになったベランダと、ほんのちょっとの庭。シャボン玉したい、と言われるまで、外にでたいなら庭にでればいいことを、忘れていた。
「たいようにあたると、シャボン玉ひかるんやよ、みる?」
風がつよすぎてごうごういっているなか、あーちゃんがシャボン玉をするのを、ただ見ていた。さむいさむいと、ふたりして狭いベランダにすぐ戻って、そこからまた、シャボン玉を飛ばす。
なんとか星人の歌と、恐竜が追いかけてくる歌。オンライン幼稚園でよく流れている歌のサビだけを気がつくと、口ずさんでいる。そのたび、「そこしかしらんの?」とあーちゃんに言われる。
夫から、Instagramに投稿されていた、入園式の写真を見せてもらう(わたしたちは欠席)。またすこし切ないような気持ちになる。屋外で、社会的距離ぶん離れて並んだ、ふたつの椅子。
「こういうときこそ本を読もう」という言葉に感じた、もやもやについて考えていた。Twitterでその理由を言いあててくれたように思えた呟きを見てすぐ、その反対のような意見を目にすれば、それにも納得できる。どうもわたしは、自分の読みたいときに読みたいだけで、ひとから言われて読むものではないし……と感じているようだった。強制するつもりで、だれも言ってなんかないのに、そんなことを思うわたしは、つかれているのだろうか。そこから思考はふかまらない。
夜は寝落ち。
夕食 肉じゃが、食べ忘れていた三日めの味噌汁(意外と大丈夫)。