思いだす日記 | 四月二十三日、二十四日
四月二十三日(木)
寝落ちした。今日は新月(どうりで昨日はぱんぱんな感じがしていた)。
保坂和志さんのInstagram(Twitterも同様)の投稿に、休校がつづく生活のなか、子どもといられる時間がふえて楽しいと友人が言っていたことが、書かれていた。保坂さんはそれを聞いて脱力したとあり、そのあとにつづく記述にも感銘を受け、ノートに書きとめておく。まず、そう思えていいなあ、と思った。でも、自分には無理という気持ちより(今月頭はそういった気持ちでいっぱいだった)、自分もそう思えるかもしれないという、気持ちの余白を感じる。力をぬけばいいのだ。
庭でシャボン玉。あーちゃんの吹いたのと、わたしのがくっつき、おおきくひとつになったことに驚嘆する。
ひとりでスーパーへ行く。肉、魚、野菜など先の献立を見こして(この見こす、ということが苦手なのだが、仕方ない)かごに入れ満足していたら、会計時に財布がないことに気づく。焦る。店員さんに、レジでの取り置きをお願いし、慌てて帰宅して戻る。スーパーにもビニールの幕、店員さんの手にはビニール手袋。セボンスターチョコレートを買って、車のなかでそそくさと開ける。
「ajiro」のオンラインストアで購入した、文芸誌「ことばと」(書肆侃侃房)が届く。保坂さん、千葉雅也さん、小林エリカさんの作品を読むのが楽しみ。
夕飯 麻婆豆腐(だった気がする。副菜はわすれてしまった)
四月二十四日(金)
今日も胃腸の調子がわるい。夫もつかれているようだ。
やわらかい黄色の、もこもことした集合体が恋しくて、Twitterでモッコウバラがみたいと呟いたら、すぐに画像をみせてくれた優しいかたがたが。じんわり。ありがとうございました。
夕方には、ものすごい雷。SNSによると、ちかくに落ちたらしい。
「だいぶまえ、きょうりゅうににボールをとられる、ゆめみた」とあーちゃん。寝るときにみる夢の話をするのは、はじめてのことかもしれないと、メモする。
Kさんから手紙が届いた。うれしくてすぐ開封して読む。
寝かしつけをしていたら、「かあちゃんがこどもになったら、すべりだいいっしょにすべろうね」と言われた。あーちゃんが眠ったあとも、布団のなかでじっとしたまま、泣いていた。できるなら、子どもになりたい。子どもになって、あーちゃんとあそべたらよかった。大人になんて、なりたくなかったのは、わたしだったかもしれない。
起きあがる気力がわかないまま、東浩紀「コロナ・イデオロギーのなかのゲンロン」(『ゲンロンβ48』)を読んだ。アシモフ『はだかの太陽』が読みたくなる。
夕食 焼きそば、ミニトマト