十一月二十九日(日)、三十日(月) 待ちどほしアストロジーや十二月
十一月二十九日(日)
まだ残る怠さ、腹痛のため、家でのんびりすることにする。
また絵の練習。デジタル派の夫も、iPadを使いトレースで絵を描きはじめるが、当然のように「あーちゃんもやる!」となった。初デジタルでのペン入れだ。線を引くのがうまい。色塗りも嬉々としてやっていて、わたしは絵を描くといっても、コピー用紙にシャーペンでひたすら模写しているだけなので、だんだん羨ましくなってくる。むずかしいのではという思いこみから、敬遠していたが何だか楽しそう。試しに、ペンを借りると、思ったより繊細なタッチで線が引けた。楽しい。夫からまた借りる約束をする。
お腹が痛いくせに、ミニストップのソフトクリームを食べようとするふたりが羨ましくなり、自分も食べたら案の定、悪化した。それからずっと床に転がっていた。
十一月三十日(月)
ヒロアカ本誌を読む。ちょっと泣く。だれかに感動を伝えたくて仕方なくて、ヒロアカ用に作ったTwitterの別アカに、まとまりのない言葉をつぶやく。夫ともおおいに感想を喋り、ほんとうにヒロアカは面白いなぁ!と思う。
午前中、家で夫とミーティング。仕事、あーちゃんのイベントなど共有しておきたい事項を話しあう。とはいえ、わたしの話すことは、今週は投句〆切がここだから、この日は夕飯をさぼりたいとか、今週末はしいたけ占い2021年上半期の、先行配信があるから楽しみやね!とか、その程度のこと。※タイトル註「アストロジー」は星占いのことです
月曜正午に確認できる、青嵐俳談の結果はボツ。iPhoneのメモで管理している、投句一覧の今日のところにバツ印をつける。やっぱりゆるいよねぇと自句の反省。残念だな〜という気持ちは多少あるけれど、一覧にはまだ四週ぶんの結果待ちの句があって、そのことに励まされる。入選するのは簡単なことではない。それでも、行動することも勉強になっていたらいいな、と祈るみたいな気持ちで投稿している。
関悦史さんと佐藤文香さんの俳句誌「翻車魚」vol.4が届く。宛名が達筆!
夕飯はタコライスとブロッコリー蒸し焼き。食後、あーちゃんに「きめつのやいばようちえんごっこをしよう」と誘われるが、わたしは鬼役だった。かなり詳しくあらすじを話してくれて驚いたが、一歳年上で仲良しの○○ちゃんが教えてくれたとのこと。
さいきんは寝落ちをあまりしない。でも眠くて眠くて、じゃあ寝たらいいのにという感じなのだが、起きていたくて起きている。今日こそは本を読もうと思い、塾の先生である鳥羽和久さんの『おやときどきこども』(ナナロク社)を手にとる。前著の『親子の手帖』(鳥影社)がとても良くて、新刊がでたら必ず読みたいと思っていたのに、読みはじめるのが遅くなった。なぜかというと、自分にとって厳しいことが書いてありそうだと思っていたからだった。その厳しさが必要だと思い、買っているのだけど。
じっさい読んでいると、シリアスな描写もあるのだけれど、ふがいない親として耳が痛い、というよりは、自分はまだ子どもに近い目線で、怒られている気持ちを思いだしつつ読んでいるな、と気づく。素行がわるいなど、子どものころはほんとうによく怒られていた。
すっかり(表向きは)大人であるいまも、俳句をはじめ勉強したいことは山積みだが、そこに向かってまっすぐ進めているわけではない。だらだらとTwitterを見たり、漫画ばかり読んでいる。俳句に限っていえば、いまは評価されることよりも、自分で自分の句をすきだと思いたい。そのほうが楽しいと思っているからだが、不勉強なままでは「すきかどうか」も判断できないかもしれない。だから、自分には勉強が必要なのだ……と、本の筋とはあまり関係のないところで、滾ってくる気持ちがあった。
半分くらい読んだところで、眠さの限界がきて就寝。