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2020-04-30

思いだす日記 | 四月二十一日(火)

散歩中の風景

 窓全開でシャボン玉する。風がつめたい。さむい、さむいと言いながら、わたしは部屋のなかから、あーちゃんの様子を見ていた。

 常備菜のピーマンきんぴら、じゃがいもソテー、ツナそぼろをつくる。

 散歩に行こうと外にでて、さむくてダウンを取りにすぐ戻る。どっちに行きたい?とあーちゃんに聞いてみたり、なんとなく、いつも通る道と、ちがう道を歩いてみる。けっきょくはいつもの道につながっていた。苔のことを「コゲ」と言う。つないだ手を振りほどこうと、ちいさな手が掌のなかでもやもやと動きだすことに、いらだってしまう。マンションの玄関ぶぶんで、ひとりなわとびをしていた、中高生くらいの女の子に「こんにちは」と言われ、すこしうれしい気持ちになった。

 幼稚園から、動画の配信をはじめたというメールが届く。 各地でそういう対応があることをSNSでちらほら見かけ、でもあまりデジタルにつよいという印象がなかったので、期待はせず、また通える日を待とう……と思っていた。そのメールを見たしゅんかん涙ぐんでいたが、先生の顔を見られただけで、なんだかうれしく泣けてくる。担任の先生以外の、先生たちの名まえをはじめて知る。むしろ担任じゃない先生に会うことのほうが多いのに(日中過ごす園と、預かり保育の場所がちがうため)、これまで知る機会がなかったのだった。

 動画にたいしはずかしがって、あーちゃんはわたしの腕に、ずっとしがみついていた。身体が熱い気がして、検温するが平熱。うっすらと汗ばんでい。

 ふたたび、窓全開でシャボン玉。もうほとんど、部屋のなかでシャボン玉している状態だった。飛んでいるシャボン玉に息を吹きかけ、すきな方向に動かすあそびがはじまる。シャボン玉、意外といろんなあそびかたがある。

 永井均『〈子ども〉のための哲学』(講談社現代新書)を読む。この本は、十年ほどまえに、川上未映子さんがお薦めしていたことがきっかけで買ったのだが、やっと手にとった。本を読んで哲学を勉強するのだ、と思って読みはじめたらすぐ、本を読むことが哲学を勉強することではない、というような文章に出会う。はやく読めばよかったとも思うけれど、十年かかってそのことを、わたしはやっと知ることができてよかった。

 夕方ごろの、あーちゃんのテンションがいつも高い。高すぎる。わたしと夫は夜に向けて、どんどん沈んでいくばかりなので、その対応に骨がおれる。あーちゃんはとっくに昼寝しないし(一歳半からしなくなった)、つかれすぎてそうなってしまうのだろうか。わからない。

夕食 ハヤシライス(二日め)にオムレツ(夫作)のせる、小松菜おひたし

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