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2020-10-15

九月の日記「九月尽をとなえる」

9月のある日の空

ある日。

 図書館に予約していた本を取りに行く。駐車場が混みあっていたので、すぐ屋上駐車場へ向かう。駐車能力に自信がないので、目的地からいくら遠くなろうと、停めやすい場所のほうがいい。空いていた屋上駐車場から見えた雲が、本気をだしていた。

ある日。 

 暑いあいだは履く気にならなかった、古着のカーゴパンツを履く。きつい、まではいかないが、腰まわりがぴったりしている。このパンツは、自分にとってもうずっとぶかぶかで、ひとえに楽だから履いてきた一着だった。肥えた。体質的にあまり太ることがなかったので、すこし驚いて、夫に報告。ひと月まえから飲んでいるサプリ「エビオス」(胃腸にいいらしく飲みはじめたが、栄養剤の面もある)のせいではないか、という結論になる。サプリにそんな効果もあるとは。

ある日。

 ハローワークで職業相談。職員さんが「そういえば、こちらはどうかと思って……」と、まえもって用意してくれていたのが、先々月に不採用になった求人だった。職員さんと笑いあう。質問してみたところ、落選した求人に再応募するのは、半年は期間をあけたほうがいいとのこと。

ある日。

 娘の薬を貰いに小児科へ。その病院へは、六、七歳頃まで住んでいた地域のちかくを通りかかる。帰り道、なんとなくその辺りにあったスギ薬局でミニッツメイドのジュースを買い、駐車場で飲んでいたら、「ここはむかし、パチンコ屋だった」ということが、急によみがえる。とにかくひとりでふらふらしている子どもだったので、いちどだけ入ったとき、その騒がしさに驚いた。小学校低学年くらいまでの記憶に、強烈なノスタルジックをかんじるのは何故だろう。

ある日。

 文芸作品を初見で朗読し、感想などを述べる「ブンゲイ実況」という音声配信がツイキャスであり、BFCオープンマイクに投稿した俳句十句『獅子座』を取りあげてくれることを知る。

 どきどきしながら聞いたが、とても楽しかった! 作者としては、いちおうの意図などがあるのだけど、それが答えというわけではないと思っている。なんとなくできてしまった句も多い。そんなわたしの背景よりも、ずいぶん面白く読んでもらえた。

 また、無意識だったぶぶんに指摘をもらえたことも、ありがたい。例えば、夏と冬といった「異なるものを一句にはらんでいる」印象があること(「ムーミン」、「背泳ぎや」の句)。全体的に「大人目線じゃない感じがある」ということ。これも意識しているわけではなくて、幼稚であることがひとつ、自分の特色かもしれないという発見があった。

  「ブンゲイ実況」のハギワラシンジさん、ゲストの星野いのりさん、宮月中さん、どうもありがとうございました!

ある日。

「ヒロアカ」のアニメを、映画も含めすべて観て、コミックスも最新刊である二十八巻まで読み終えた。おそらく、少年漫画にここまで嵌るのは、はじめてのことだ。

 もともと、ネタバレを気にするタイプではなく、すすんで見にいってしまうくらいなのだが、「ヒロアカ」にかんしては自分なりに慎重だった。本誌はさておき(きっとずっとしんどいのでしょう?)、読めるところまで読んだのだからと油断していたら、うっかりショッキングな考察系のネタバレを見つけてしまう。もし、それが本当だったら、先生の意地悪! と叫びたくなってしまうような。いや、すでにこれまでも、いろんな描写で先生の意地悪! と叫んできた気がするが。

 よくよくかんがえてみると、わたしがぼうっと読んでいたから気づかなかっただけで、もしかしてみんな知っていることなのかな?という気がしてくる。信憑性をおびてくる。抱えきれなくなり、夫に「知ってる?」と聞いてみようとするも、一切ネタバレを受けつけないタイプである彼に、わたしは何も話すことができないのだった。

ある日。

 幼稚園の参観日から帰ってきた夫に(保護者一名しか参加できないのだ)、どうだったか聞いてみる。恥かしがっていただろうか……というこちらの予測と反し、授業中のあーちゃんは、めちゃくちゃ発言していたらしい。「家におるときと、一緒やよ」と夫は言う。ただただ、驚く。

ある日。

 九月が終わる日。季語には、ただ一日のことだけを言うものが多々あり(祝日や忌日など)、旧暦九月の晦日をあらわす「九月尽」もそのひとつだ。秋が尽きる日の、前日とはいったい、どのようなものだろう。その感情などをかんがえていると、九月尽という季語のことがどんどん気になってくる。旧暦なので、本来の意味では今日のことではない。それなのに、心のなかでは「九月尽」と、なんどもとなえていた。

 このところ、俳句が全然できていない。 

 

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