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2020-06-25

日記 | 六月二十三、二十四日

六月二十三日(火)

 快晴。やっと日焼け止めを塗る。やっと、という気がするのは、夏らしくなってから、日焼け止めを塗らなきゃと毎日のように思っては、塗らずに過ごしているため。

「湿度40パーセントらしいよ」と夫が言う。

 こんな日は外で何かを、仕事とかしたら気持ちいいんじゃない。カフェのテラス席とかで、という話をしていたら、わたしたちはスタバに行ったことがぜんぜんない、という話になる。最後に行ったのは、大学を卒業するくらいだっただろうか。十五年は行ってないことになる。当時は喫煙者であり、わたしはおもにドトールに生息していた。夫の理由は、メニューと注文の仕方がよくわからないから、だった。いつもこの話をするたびに、なにか屈折めいたものを感じる。いっしょにスタバへ行こうと、夫に提案してみる。

窓から見える風景。

 外へでる話をしておきながら、園への送迎以外にどこへも行かなかった。献立を考えるのも億劫で、昼食にカップの担々麺を食べながら、焼うどんをつくろうと決める。自分の部屋で、窓から見える木々を見ながら、本を読んでいた。穂村弘と堀本裕樹の『短歌と俳句の五十番勝負』(新潮社)を読了。たまに書店でもらった「波」で、この連載を読んだことがあった。俳句を読んだりつくったりするまえは、ぼんやり読んでいたものが、わかる、と思いながら(すこしは)読むことができる。エッセイも面白いのだけど、自句自解を読むのが楽しい。(池田澄子の自句自解が読みたくて、本を探しているけれどなかなか見つからない)


六月二十四日(水)

 予約していた本(鈴木しづ子の句集など)を取りに、市の図書館へ行く用事のついでに、併設されたスタバへ夫と行く。直前まで、わたしたちは行こうかどうか迷っていて、スタバの奥にあるローソンで、カフェラテを買いそうになっていた。十五年ぶりのスタバは、空いていて(そりゃそうか。一時間以上は滞在できないと、注意書きがあった)、身構えていたほどに、よそよそしい場所ではなかった。赤いランプはそこになく、思っていたよりトールサイズは大きかった。夫は「俺はもう、一生『スタバラテ』のトールサイズを頼む」と言っていた。チョコバナナマフィンが美味しかった。

 鈴木しづ子『夏みかん酸つぱしいまさら純潔など』(河出書房新社)をぱらりと捲る。題になっている句を、「早稲田文学女性号」で読んで気になっていた。プロフィールに「53年、岐阜県各務原から失踪、その後の消息は不明である」とあり、え、となる。そうなのか。ふいに、岐阜、という文字を見つけると反応してしまう。

 エレン・フライス『エレンの日記』(林央子訳、アダチプレス)と、『去年の雪』を読んでいた。気がついたらお迎えの時間だった。混みあっていたし、暑い。つい列をつめようとして、ひとと離れていないといけないことを思いだす。「サンサン体操」を聞きながら帰る。

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