思いだす日記 | 四月一日(水)
あたらしい月になったがあまり、あたらしくなった気はしない。今日は昨日のつづき、という感じがひたすらに、このところ、ずっとある。
三月の半ば辺りからずっと、書けていない日記を書きたいと、思いつづけているせいだろうか。世のなかの状況は、どんどんわるくなっていくばかりなのに、わたしは二週間もまえの夕飯を記録したいという、のんきな気持ちを捨てられないでいる。
夕飯になにを食べたか、いまは手帳に記入しているのだけど、いちど思いだそうとしてみたら、一週間ぶん思いだせたことがある。食事担当なのもあり(朝食だけ夫の担当)、なぜその献立にしたのだったか、という周縁までがそのとき一緒によみがえったので、夕飯さえわかればその日の日記が書ける、と思っているところがあるのだ。
幼稚園に通うあーちゃん(娘・三歳)が春休みにはいってから、日記が書けていない。読書もわずかにしかできていない。「こういうときこそ日記を書こう」「読書しよう」というSNSでの呼びかけにたいし、なんだか素直に受けいれられず、思いきり読んだり書いたりできるひとが、ただ、うらやましいなんていう感情がわいてくる。
「徒然舎」や「pand」など、地元のすきな店がつぎつぎ今月の休業を発表した。新学期から通園できると思うことじたい、楽観的だと思えてきた。園の決定がどうなるにしろ、もう自主休園という選択しかないように思うのだが、日中はふたりきり、夜は寝落ち、まとまった自分の時間のない日々が、いつおわるかわからないとなると……目のまえがすこし暗くなる。ちいさなお子さんのいる家庭はいま、どこもぎりぎりでやっているだろう。
昨日はさんざんな一日だった。娘とうまくかみあわず、皿を洗うのすら「だめ!」と言われ、はやばやと夕飯をつくることをあきらめた(だから夕飯はレトルトカレーだった)。癒されたくて思わず、今週からはじめた「どうぶつの森 ポケットキャンプ」内で、レアな果物や魚を勝手に売られて、いらいらしたりした。
それなのに今日は一転、朝からご機嫌だ。とつぜん「かあちゃんは、バブね」(赤ちゃんの意)と言いわたされ、一日中あーちゃんのことを「ママ」と呼ばされていた。そう呼びあうほか、たまに「ハンマ~って、うるさい声で言って!」(注 : あーちゃんは、乳児のころの自分が、こう叫んでいる動画を見たことがある)と言われる。それでも「バブちゃんは皿洗ってて~」と言って、ひとり遊びをしてくれる時間もおおく、おおむね平和な一日。娘からのリクエストで、昨日つくる予定だったクリームシチューをつくる。仕事から帰ってきた夫が、二代目バブちゃんに就任していた。
夫と「非日常」「非日常やね」と言いあう。夜、自室にいると、風がびゅうびゅう吹く音が聞こえてきた。
夕飯 クリームシチュー、ほうれん草のおひたし