『どこにもいかない、ここにある』の「あとがき」を公開します。
前回のブログでもお伝えしましたが、発行から1年が経過した『どこある』の「あとがき」を公開いたします。
かなり修正や加筆をおこなったものの、もとはブログに掲載していた文章なので(初出のブログは現在閉鎖し、こちらに過去の日記を移行予定です)、本書のなかで唯一の書き下ろしといえる部分が「あとがき」でした。読んでくださる方へ、お手紙のような気持ちで書いたことを憶えています。
そして、なんだか長くなってしまったタイトルについて、これまであまり聞かれることがなかったのですが……理由なども書いています。すこしでも、本書に興味をもっていただける、機会になればうれしいです。
あとがき
本書は二〇一八年六月から始めた、地方で夫と幼い娘と暮らす何者でもない(としか言いようのない)著者による、たわいもない日々をつづったブログのちょうど一年ぶんを、加筆修正してまとめたものです。
一年というのは長いのか短いのか。三歳になった娘との生活も、あっという間に過ぎていきます。いとしくも不明瞭な言葉たち、ずっとつづくように思えた不条理な習慣のほとんどは、すでに消えてしまいました。誰もいない公園にも久しく行けておらず、だから娘に関することはぜんぶ、書いておいてよかったと思えることばかりです。
そんな成長のいっぽうで、わたしも変わっていったことがあります。スピ的なものから関心がはなれていく(もう月の満ち欠けは気になりません)等、好きな人やものごとに依ろうとする気持ちが、だんだんなくなっていったのです。産後ずっと不安にさいなまれ、何かにすがりたかった自分にとって、このことはとても大きな変化でした。
日記はすべてが過去のこと。読み返していると、恥ずかしくなってきたり、そんな自分と対話したくなったりして、なかなか先へと進みません。本書のタイトルは、まだブログを始めて間もない頃の日記にあった、〈日記に書かなかった日は、どこにいってしまうのかな、と思うときもある〉という文章に対して、いまの自分から出てきた言葉です。
嬉しかったことも疲れたことも、どれも平たく見つめたかった。日記というかたちで、それを重ねていくことで〈ただ、生活がある〉ということが、やっとわかった気がします。そこには、うっすら諦念もあるかもしれませんが、わたしは生活をいとしいと思えるようになってきました。大丈夫と大丈夫じゃないのあわいで揺れながら、目の前にはいつだって、これまでの日々からなる「いま」があります。
ブログを「読んでいるよ」と声をかけてくださった方、声をかけずとも読んでくださる方も、ほんとうにありがとうございました。みなさんとのやりとりに、何度も支えられてきました。この日記をとおして出会えた方がいることも、とても嬉しく思っています。
装丁は夫の堀口ともひとが担当し、カバー挿画は娘が描いた絵を使わせてもらいました。わたしの生活の主要メンバーであるふたりに、心から感謝します。
そして、本書を手にとってくださった方へ、ほんとうにありがとうございました。ブログの更新はさいきん滞りがちですが、生活がつづくかぎり、日記もまた、つづいていくはずです。どこかできっと、お目にかかれますように。
二〇一九年十二月 ばんかおり