二〇二〇年 十二月二十二日(火)
夫といっしょにカラオケへ行く。今年はお互いにやりたいことをやろうと、「堀口文庫」というレーベルをふたりで始めた年だったので、いちおう忘年会という名目である。行って大丈夫かな?という気持ちもあったけれど、平日の午前中、家族だし、ひとりカラオケとほぼ変わらないのでは?と思い、行った。いまや夫は、貴重な遊び相手となっている。
受付にはわたしたち以外、客はおらず、廊下には女性の声が響いていた。アニソンばかり歌う自分の声も、こうやって聞こえているだろうことが、いつも一瞬照れくさい気持ちになるが、部屋に入るとすぐ忘れる。ふたりなのに、めちゃくちゃ広い部屋だった。
いつぶりのカラオケだろうか。いつの季節か思いだせないけれど、わたしは名古屋で親友としているのが、もう二年ちかくは前。夫は会社員だったとき、飲み会の二次会で行ったことがあるらしい。でも、体感としては、めちゃくちゃ久しぶりだった。ヒロアカ関連が多いが、それぞれ歌い歌をまずはがつがつ歌う。わたしはかかんにも、うろ覚えの「紅蓮華」を歌う(ぐれんげ、と読むと知ったのは、つい最近のこと)。お互い、ぜんぜん歌えない。声を出そうとすると、喉がぎゅうと絞られているようで、高い音がぜんぜん出ないのだ。「LOST IN PARADISE」も難しくて、ぜんぜん歌えなかった。
歌えないなぁと思いながら、これまでよく歌ってきた歌(YUKIちゃんや、十八番の『風のノー・リプライ』)を入れてみると、これは難なく歌える。夫も同様だった。声の質が合っているのだと思うが、こういった自分にとって帰る場所のような歌を歌ってから、新しめの歌を歌ったほうがいいんじゃない?というのが、今日のわれわれの結論だった。そういえば、好きな歌と得意な歌は違うって、和山やま『カラオケ行こ!』でも言っていた。
二時間滞在したが、帰宅後はずっと台所の床でへたりこんでいたくらい、疲れていた。カラオケって、けっこう体力を消耗する。いや、自分の体力がどんどん低下しているのだ。それでも、まだ歌い足りないような気持ちがあった。新年会しようと夫を誘う。来年は体力をつける。娘のお迎えの時間が来るまで、ずっとぼんやりしていた。