十二月五日(土)、六日(日) 寒林や公園の父皆眼鏡
十二月五日(土)
所用で実家へ。門扉の横に植えられている山茶花が満開だった。もうずっとここに山茶花はあったはずなのに、ここにこんな花あったけ?という気持ちになる。はじめて見たような鮮やかさ。
あーちゃんは母といっしょにツリーを飾っていた。わたしが子どもの頃からある何も特別ではないツリーは、気がつけばあーちゃんよりもすっかり小さい。オーナメントは、もとからあるものに加え、母がどんどん追加していくので混沌としている。いや、実家じたいが、置いてあるものも色彩もすべてが混沌としているのだ。わたしはその風景に、さいきん妙な安心感を覚えはじめている。
電源の入っていない炬燵に入り、家から持ってきた句集や歳時記をもくもくと読む。今日はオンラインで結社のイベントがあったのだが、まだ体調がおもわしくなく欠席することにした。今月は定例句会も欠席しているので、もくもくと自主練をイメージする。
十二月六日(日)
洗濯をしていたら、昨日は着ていない幼稚園のシャツや、下着などを二枚ずつ洗っていたことに気づく。昨日の洗濯で洗って干したはずなのに……?洗ったものを干さずに置きっぱなしにしていたのか、そもそも洗っていなかったのかも、よくわからない。われながら、そんなこと気づかないなんてある?と思うけど、今日はトップスを前後ろ逆で一日中着ていたし、とにかくぼんやりしているので自信はない。
「にちようびにいく」と、あーちゃんが言いはっていたN公園へ。ここはおうまちゃんとは比べものにはならない広さ。大きな木もところどころにあって、目にも楽しい場所だ。遊具もわりと充実しているのだが、娘のお目当てはすべり台である。すこし早めに着いたからか、そんなに混んでいない。おとうさんが子どもを連れてきているのがほとんどで、しかもみんな眼鏡をしている。
らせん状の黄色いすべり台(あーちゃんは『ソフトクリーム』と呼ぶ)を、何回も滑る。夫といっしょに滑りたがるから、それを見ているだけのわたしはちょっと暇だった。夫を見ながら、「親だ、親だなぁ」と思う。そして頭のなかでは、まだ完成していない俳句のことを、こねくりまわしていた。おなじ遊具で遊んでいるほかの子どもたちは、しだいに興味をべつの遊具にうつしていくが、あーちゃんはずっとすべり台をすべっている。こういうとき、いつも彼女の粘りづよさに感心する。
夕飯は豚汁。あると思っていた油揚げが、冷蔵庫になかった。やはりぼんやりしている。
寝かしつけたあとは、昨日届いた岸本佐知子の新刊『死ぬまでに行きたい海』(スイッチ・パブリッシング)を、数章だけ読む。やはり面白い。雑誌「MONKY」の連載で読んでいた部分だったけれども、初読の衝撃もよみがえりつつ、ほんとうにすばらしい文章だと思いながら読んだ。