思い出す日記 | 四月二十五日、二十六日
四月二十五日(土)
あーちゃん、着る服を自分でコーディネートする。マスタード色のセーターに、茶色いコーデュロイ地のパンツ(すみっコのとんかつの色らしい)。
散歩中、側溝にはさまっていた、ザリガニの死骸のまえで、あーちゃんが動かなくなる。ザリガニって、こんなに赤かったっけ?というくらい赤い。「なんでしんでまったんやろうね」と言う娘に、ここに挟まっとるのが不自然やと思う、これはだれかが、置いたと思うんやよね……という推理を伝える。
それから、なにか分からない、鳥の雛だろうか……?死骸があったのを見たがるのが嫌で、思わずいやや、とおおきい声がでる。ハエが飛んできたので、虫ぎらいなあーちゃんはそこから逃げだし、心底ほっとする。今日もアオサギはいない。
小説家・相川英輔さんの短篇『ハミングバード』(惑星と口笛ブックス)の朗読をnoteにアップした。すこしまえから、いつも音声配信をしているstand.fmの調子がわるく、問合せをしたら近日アップデートするとのこと(現在は直っている)。すでにアップされていたかたの朗読を聞いたら、自分のはまるで機械、ロボットのようだなあと思えてきて、急遽、車のなかで録りなおしたのだった。読めば読むだけ、うまくなっていく気がするが、ひとりになれる時間には限りがある。本作をイメージしたコラージュもつくっていたら、「いろんなことしとるねえ」と夫から感心される。
久々にこの味が食べたかった、というものを夕食に食べた。
夕食 タコライス(味つけは独自の解釈)。あーちゃんも辛くするまえのそぼろを食べるが、気にいった模様。
四月二十六日(日)
なんだか、いてもたってもいられない。我慢ならないという気持ちがわいてきて、手書きの日記も兼ねている、バレットジャーナル用のノートに書きだしてみる。すこしすっきり。だれにも見せない文章は、これから思考していくことの、素みたいなものだと思う。
コラージュ原稿が完成したので、祐子さんに送信。デザインはいつも夫である。
「かみなりふったら、おうちのなかでくらそうね」午後から雷の予報で、散歩に行く気にあまりなれず(でも雷にはならなかった)。
庭でシャボン玉。いつもあそんでいるのは、その昔わたしがアルバイトをしていた「アラスカ文具」で買った、ちいさなアヒル型のものなのだが、今日はあーちゃんの顔ぐらい大きなシャボン玉がつくれる。
本が読みたいという気持ちがつのる。
身体が怠く、食べたいものがなにも思いうかばなくて、夕食はツナとレタスのチャーハン。先週もそんな感じだったので、日曜の夜はもうこんな感じでいいか、と思う。べちゃっとしていたので、一般家庭の火力の限界や、と言い訳。
夜、ばきばきに目が醒めていた。十年ちかく積んでしまっていた、保坂和志『小説の自由』(新潮社)をやっと! 読みはじめる。