思いだす日記 | 四月十四日(火)
五時すこし過ぎに目が覚める。布団のなかでTwitterの通知をみて、うれしい返信にふふとなって、noteで更新されていたワイナー祐子さん、きくちゆみこさんの日記をよむ。これがこのところの習慣で、わたしにとっての安全確認。だいじょうぶだ、と思える時間。
しかも、月日会の会報(メンバーみなさんの日記、膨大!)も届いていて、ああ、こんなにたくさんの日々の記録が。日記ずきとしてはわくわくどきどきするばかりで、つぎも一週間ぶん日記を投稿するぞ、と力がふつふつみなぎってきて、五時半ごろ起床。日記を書こうと思うこと(それを投稿しようと思えることじたい)がほとんど、生きていこうということと、同義になっている気がする。
小児科へ行くまえに、常備菜をつくって昼食の準備もして……としていると、気がつけば出発の時間まぢかだった。まだパジャマだし、お腹も痛くなってきた。
きのう収録したラジオを聞いてくれた祐子さんが、NYも雨だったと言っていて、ふしぎな気持ちになる。かかりつけへ向かう車中では、さいきん更新を心待ちにしている、イラストレーター平松モモコさんのラジオ(早起きをするための配信で、起きてすぐ録音!)と、ちょうど今朝配信された祐子さんのラジオを聞く。
「世界がどんどん小さくなっている」と感じること、自主隔離中の心境について等、頷くぶぶんがおおい。ほんとうに、自分のすきじゃないことなんて、もうできないと思う。わたしは本ばかり買っていて、もうそれだけで今後は生きていけるような気がする。祐子さんが朗読されていた、須賀敦子の手紙がとてもいいなあ、と思う。おしゃべりしているように書かれた文章。
帰り道、お腹がどんどん痛くなってくる。立ち寄った薬局にトイレがなくて、ぜつぼうしながらもどうにか帰宅。腹痛が落ちついたので、駐車場で自分のラジオを収録する。岸本佐知子「ラプンツェル未遂事件」(『気になる部分』白水Uブックス 所収)について紹介。強風が吹きあれ、車が揺れていた。
舌の付け根に口内炎、治ってはまたできる。そこを起点に怠さが、身体ぜんたいに拡がっているような感覚(熱はない)。
眠くて眠くてぜったい寝落ち、と思っていたけれど、またわたしだけ起きていた。Twitterで「fuzkue」さんが、読書のためのプレイリストを公開されていると知り(その後アルバムも)、Spotifyに登録する。まだ、すこししか読めていない、大阿久佳乃『のどがかわいた』(岬書店)をめくる。茨木のり子の「汲む」という詩の引用で、「頼りない生牡蠣のような感受性」という言葉が目に入る、ぐっとくる。わたしもきっと、生牡蠣のようなもの。そして「月日会」の会報を読みながら、自分の日記も書きすすめる。
夕食 チキンソテー、レタス、マカロニサラダ、ほうれん草のおひたし、豆腐、わかめ、えのき、玉ねぎの味噌汁