思いだす日記 | 四月三日、四日
四月三日(金)
かるい夜泣きで二時ごろ目覚め、台所で白湯を飲みながらポケ森(あーちゃんの呼びかたは『どうぶつたちのもり』)を散歩。Twitterを見ることに疲れを感じてきて、なんども見ないでおこうとしては、けっきょく見ている。いま自分のしたいことを呟いてみる。「掃除というか整理整頓、断捨離、瞑想、音読、文通」……
寝坊する。午前中、あーちゃんは昨日やりそこねた、ひらがなドリルをやっていた。文字をなぞるよりは、まずぬりえを塗るほうに夢中。午後からは着せかえ。そのあいだに家事もできたし、ずっとやりたかったPCでの作業もできた。プリキュアとドリル、ありがとう……(プリキュアにはほんとうにいつも、お世話になってる)。すうじのドリルも買おうと思う。
梅干しをいれた、玉子とじうどんを昼食に食べる。こういう味のものが食べたかった……としみじみ思う。そして、そういう気持ちになるたび、武田百合子のエッセイ「枇杷」のことを思いだす。
「こういう味のものが、丁度いま食べたかったんだ。それが何だかわからなくて、うろうろと落ちつかなかった。枇杷だったんだなあ」
– 武田百合子「枇杷」(『ことばの食卓』ちくま文庫 所収)
ずっとやりたかったのは、次作のzineに収録する自分の過去作品を、ひとつのデータにまとめるという作業だった。PCのなかでちりぢりになっていた、数作をあつめてみたら五千字しかない。思っていたよりすくなくて焦る(日記をまとめたzineは十万文字ある)。あたらしい原稿、もともとふたつ書く予定でいたけれど、ぜんぶでいったい何文字になるのだろう。日記zineのような頁数にしようと思ってないけれど、それでも……。そのことが、あたまのなかを占めはじめる。
「百年」のオンラインストアで購入した、恒子 Kohxi (成重松樹)の写真集『THE SALAD WITHOUT DRESSING 1』が届く。成重さんはきくちゆみこさんの夫君。〈ドレッシングはかけないでおいたよ〉という言葉のひびき、なんだかいいな。
夕飯 鶏むね肉の照り焼き、ブロッコリーの蒸し焼き、ミニトマト、レタス、えのきとわかめ、豆腐の味噌汁
四月四日(土)
朝食は、週末恒例の夫が焼くホットケーキ。おおざっぱなわたしでは、こんなにきれいにならない丸と色。習慣には安心がある。
晴れていた。自室の窓を開けて、PCで昨日まとめたzineの原稿を立ちあげる。わずかに風が流れてくるのを感じて、心地よい。新作書けるんじゃないか、という気持ちになってくる。つづきをすこしだけ書く。
午前中は家族三人でスーパーへ買い出し。
岸本佐知子さんが出演されたラジオ番組の、聞き逃し配信を聞く。鴨居羊子の『女は下着でつくられる』(国書刊行会)を、「女子バディとともに道なき道を切り開く、冒険の書」と紹介されていて、いてもたってもいられずポチる。鴨居羊子の本は気になっていたが、未読だった。今月はほかにも本をポチっていて、はやくも予算がなくなりそう。それでもまだ、欲しい本がある。
発売されてすぐ買ったのに、読めていなかった大阿久佳乃『のどがかわいた』(岬書店)を手にとる。いまの自分に沁みいる、やさしい文章。
あーちゃんが朝から、「とうちゃん、とうちゃん」と後追いしていて、夫しんどそう。わたしがご飯をつくったりしているあいだ、あーちゃんがリビングの扉をぴしゃりと閉め、ふたりきりで過ごしていて、これがほんとうの密室育児……と思う。そうやってひとりになれた、すきまの時間もただiPhoneを見て過ごしてしまい、反省。
夜、ふたりは眠ってしまったけれど、寝落ちせず起きていた。
わたしは趣味で音声配信をしている。これもあーちゃんが春休みに入ってからは、収録できていなかった。音声配信にはどこか、音声配信用のテンションがあって、ひとりのときにしかできない、と思っていたからだ。今日のように夜ひとりになるチャンスはあるが、住空間がせまく、寝ていてるふたりを、わたしの声で起こしてしまうかもしれないという不安もあった。でも、それもふと、思いこみかもしれないと収録してみたら、だれも起きなかった。ひそひそ声だけれど。
これまでRadiotalkを使っていたが、さいきんTwitterを見ていたら、stand.fmというアプリで音声配信しているかたがいて、そちらをためしてみたいと思っていた。でもそのまえに、Radiotalk内で話した内容にいただいていた感想に、お返事がしたかったのだ。だから最終回のつもりで話す。
夕飯 そぼろ丼、ピーマンきんぴら、味噌汁(二日め)