「世界」11月号「岩波俳句」佳作をいただきました。
夏まけの夫いくらか熊楠似 かおり
「世界」11月号(岩波書店)掲載「岩波俳句」にて、池田澄子選・佳作をいただきました。ありがとうございました!
「岩波俳句」へは、大ファンである選者の池田澄子さんに、自分の句を読んでもらいたい……!という一心で、投句を始めました。池田さんの〈じゃんけんで負けて蛍に生まれたの〉は、俳句に興味をもった六年ほどまえに出会い、ずっとだいすきな一句です。思いがけず、初掲載がかない感無量でした。
季語は「夏まけ」で夏。漢字で書くと負け。「夏痩」の傍題になり、暑さにバテて痩せてしまう状態を表している。
夫は顔が濃い。出身地はわたしとおなじで岐阜だが、とにかく濃い。顔の濃い有名人などをみると、夫のことを思いだす。出産後、一ヶ月ほど実家で過ごしていたとき、あまりの辛さとさびしさから、山田孝之の画像を必死に検索していたという、よくわからない思い出がある。
学者である南方熊楠も、おそらくそうやって、夫と結びついていたのだと思う。
夫は暑さに弱い。今年もしんどそうだった。粘菌学者であり、野山を駆けめぐっていた熊楠はきっと夏まけなどしないだろう、という勝手なイメージから、掲句ができた。できあがったあと、熊楠の顔写真を検索してみたら、思っていたより夫とは似ていなかった。
この記事を書きながら、熊楠のことをいまいちど調べてみたら、多汗症のため夏は一糸まとわぬ姿で過ごしていたという記述があった(出典はウィキペディア)。夏があまり得意ではなさそうという点で、自分のイメージだった、似て非なるもの、というわけではなかったかもしれない。
夫が登場するといえば、池田澄子さんの句で好きなものがある。自分もそんな気持ちで、夫にたいしているような、と思わされる。
定位置に夫と茶筒と家守かな
句集『空の庭』
いつもそこに在ることの安心感。
屠蘇散や夫は他人なので好き
句集『いつしか人に生まれて』
自分以外は他人である。だからこそ、ありがたくも感じられる。
木下闇ときどき亡夫がこちら見る
句集『此処』
最新句集である『此処』(朔出版)には、亡くなられた夫君の句が収められる。言葉なく、じっと見つめかえす姿を思い、胸がぎゅうとなる。夫とはひとまわり近く年が離れているのだから、自分にもいつか、そんな夏が来る。