十一月二十六日(木) 暮早し机上に積もる入門書
朝、空に飛行機雲の航線が三本あることを、あーちゃんがうれしそうに見つける。
幼稚園への送迎で毎日通る道も、景色は毎日ちがう。そう思うようになったのは、俳句のおかげだろうか。中央分離帯の草紅葉も、だんだんと枯れ木に近づいていく街路樹も、たぶん気がつけなかっただろう。
俳句をよく思いつくのは、この園へ送っていくときの行き帰りで、今日もひとつタネのようなものが浮かぶ。それを手がかりに、ぽんぽんと何句かができて、うれしくなる。途方にくれていたふらんす堂の投句も、これでなんとかなるかもしれない。
さいきん、木下龍也『天才による凡人のための短歌教室』(ナナロク社)を読んだ。勝手に俳句のことに、置き換えて読めたぶぶんもあって、面白かった。なかでも、ふっきれたような気持ちになれたのは、〈短歌についてではなく、まずは短歌を考える〉というところだ。
短歌を始めたばかりのあなたが考えるべきは、「短歌」であって「短歌について」ではないということ。いい歌とは何か、どうすれば他者の心を打つことができるか、それらはもちろん大事なことだが、考え始めたらキリがない。
「作歌を日課に。」-木下龍也『天才による凡人のための短歌教室』(ナナロク社)
この日記のタイトルを俳句にしてみようと思ったとき、自分のすきな俳人が「わたしは俳句を日記とは思っていませんので……」と、言っていたなぁということが、頭をよぎった。でも、わたしはそこは考えなくていいのだと、乱暴なのかもしれないけれど、そう思った。俳句は日記じゃない面もあれば、日記である面もあるかも、しれない。俳句について、作っていればいやでも考えてしまうものだと思うが、一辺倒なものではないから、まだ初学者の手には負えないのだった。
おやつに大好物の「アクビ」のシュークリームを食べていたら、あっというまにお迎えの時間になってしまった。毎日おなじことを思っている。あっというまに、お迎えの時間が来る。もともと通う園のお迎え時間が遅めだったので、かなり助かっていたのだが、秋になった頃から、もっと早く迎えに来てほしいと言うようになった(理由は彼女なりにちゃんとある)。お迎え時に泣かれることがつづき、三十分以上お迎え時間を繰りあげたのだった。
今日読んだ本:堀越耕平『僕のヒーローアカデミア』25〜28巻(集英社)
ふと再読しはじめたら止まらず、頭がしびれたようになる。ヒロアカはやはり面白い。